003
カツカツと鳴る靴音は最近変えたばかりの靴。
以前よりも少しだけ音が高い。
春、四月。
始まりの季節とも言うべきこの時期にはもってこいの爽やかな朝。寮から学園までは徒歩十分弱。
私のクラス、3年Aクラスは寮からは一番遠い。
昔は嫌だったこの移動距離も、今となってはいい運動。
つい先日までは割と落ち着いていたこの道だけど、今は新しく高等科に上がってきた子達が楽しそうにはしゃいでいる。
生徒会の子達もこんなふうにちょっとぐらいはしゃいで喜んでくれたらいいのに。年齢に見合わず大人びてるのよ。
「お姉様。ご一緒しても」
「あら、茜。遅かったじゃない、寝坊?」
確かに少し早い時間だし、運動部の朝練の時間よりもまだ早い。生徒会や風紀委員会は通常運転な時間だけど、確かに眠たい時間ではある。
「お姉様が起こして下さらないから!」
もちろん、彼女はただねぼすけなだけだけど。
「いい加減一人で起きる練習ぐらいなさい。2年生よ」
その言葉を聞いてか、目は合わせたままに茜の頬がぷうっと膨らむ。
「明日はちゃんと起こしてあげるから拗ねないで?ね?」
私のルームメイト、生徒会書記の霧澤茜。高等科2年Aクラス。
茜は外部中学からの転入だったから実際1年と少ししか出会って経ってないけれど、私のことを姉としたってくれる可愛い後輩。
まぁ、毎日の寝坊はいい加減直して欲しいところなんだけど。
「百合亜嬢」
「……げ」
女子寮の真ん前。
良くも悪くも目立つところに、また目立つ人。
「ごきげんよう、萱原様。こんな朝早くにわざわざ女子寮まで……、なにか御用でも」
軽く嫌味を敷き、真っ直ぐ前を見る。
顔は見なくても横から漂う茜のオーラからも相当怒りが見て取れる。
「百合亜嬢に会いたかっただけですよ。校舎までご一緒いただけませんか」
「ごめんなさい。雅玖を待たせているの」
この男は冷泉院グループ系列の下請け企業の社長子息。
規模は拡大中と聞くけれど歴史も繋がりも浅い、俗に言う成金の類の人間。
思い上がるのは結構だけど、私にちょっかい出すのなら会社諸共雅玖に潰される覚悟をした方がいいのに。
ルールも何も知らない1年生だって、大目に見てあげたいところだけど、雅玖はそう甘くない。
「百合亜、茜。おはよう」
「あら雅玖。ごきげんよう」
「横にいるのは……えっと、確か萱原さんの所の俊英くん、だったよね?1年の」
あからさまにまずいって顔したけれど、無駄なんだから。もう十分逃げそびれたわよ、あなた。
「あっ、はいっ、お、おはようございます…!」
「わざわざどうした?百合亜になにか取り次ぎてもあったか?」
「いっ、いや、その」
……いやいや、慌てすぎでしょう。
さっきまでのナンパみたいなのはどこいった。
新年度になってからというもの、こういうある意味常識知らずの人間が増えて本当に困った。
普段はそこそこ優しい雅玖が鬼になるだけなのに。後処理させられるこっちの身になりなさいよね、ほんと。
「雅玖さん、きょうも朝から絶好調なようで」
「茜、それは言っちゃダメよ。面倒なことになるのは目に見えているでしょう」
怒りだしたら、そう簡単には収まらない。
目の前の1年生、もう絶対私に近づいてこないだろうから。そんな怯えさせなくても。
「雅玖。もういいわよ、行きましょう」
第一に私たちが彼と一緒に行くことは絶対にない。
別に彼がどうとかそういうのじゃなくて、私たちと彼は絶対に交わらない人間だから。
「……あぁ」
混血の人間は、血の濃い薄いを考えなければ全人口の99%をゆうに超える。 殆どの人間にとって、私みたいな純血は絶対に関わっても得がない。面倒事を呼ぶだけ。
基本寮生活が全生徒に義務付けられているこの学園だけど、私たち生徒会と一部の風紀委員には少しだけ「特別」が許されている。
例えば、授業の無断欠席。校外への外出、外泊の許可。生徒会室や風紀委員会本部に自室を構えること、etc。
そんな馬鹿げたルールが存在するのも、理由を知っている人にしてみれば当たり前かとも思われる
刹那。
「…あら、最近多いわね」
「……仕事だ」
感じるのは私たちぐらいなものだろうけど、確かに空気が変わる。
甘い、匂い。
「近いな」
「どうやら敷地内みたいですね。お姉様、荷物お預かりします」
特に慌てる様子もなく、私達は立ち止まって会話を続ける。人が少ないところまでは歩いていたことと、朝早かったのが幸いした。
荷物を茜に預けて、意識はここに、感覚は研ぎ澄まして。
「春は厄介なのが増えるから困るな」
「本当ね、でもまぁ……、」
周りに人がいないことを確認して、スカートを翻し、ガーターベルトに仕込んである5センチ大の小さな棒を抜き取る。
うかうかしてたらこっちが面倒こうむることになる。それは何があっても嫌。
耳についているピアスを外せば、それと同時に棒が伸びる。その長さ、140センチメートル。
30倍近くにも伸びるそれは、護身用の武器で。
草陰から飛び出す影。
ヒールの音はその間隔を徐々に狭めていく。
「……馬鹿は扱いやすくて助かるわ」
顬めがけて突けば軽く意識を奪うことぐらい容易い。ましてこれをもう何年もやり続けていれば、制服を着るのと同じぐらい容易いもの。
聖ローズマリー学園生徒会。
そこは学園の小機関を超えた、一般学生が吸血鬼の討伐を許される唯一の場所であり、日本が世界に秘匿し続けている吸血鬼の総本山。
目の前に倒れた2人の男子生徒。その横に居るのは制服を着た女子生徒。
紺のブレザー、だから中等部か。
にしてもまぁ、なんでまたこんな茂みの中で居たのか。
いくら一般生徒は吸血鬼や喰種の存在を知らないとはいえ、さすがにこんな時間に男女で茂みに抜け出すなんてね。後で寮長としてお説教しないと。
草木の間から漏れる朝日は眩しくて。
朝日が昇る所を久しぶりに見るなんていう私の生活は、徐々に吸血鬼と一緒にいる生活に慣れてきてしまった証拠なのかもしれない。