プロローグ
木漏れ日が揺れる。
いつからだろうか、
こんなにも太陽が眩しく感じるようになったのは
人は、気づかぬままに大人になっていく。
大人に近づいていることには気づかぬまま、
ただ当たり前の毎日を甘受して生きている。
気づいた頃に、青春はない。
気づかない当たり前こそが、青春なのだから。
朝5時過ぎ。清々しい朝を迎えるべき時間に、何故か彼女は血溜まりの中にいた。ぱしゃりと軽く跳ねる朝露と血が靴に付いて赤く滲んでしまう。
「今日は、これで終わり?」
「あぁ。戻るか」
ここは聖ローズマリー学園。各地から各界の名だたる名家の子息令嬢が集まる、屈指の名門校。
格式ばった見た目だけでは設備は甘く見えるが、セキュリティーは最先端の技術を惜しげも無く使っているために国内最高峰と言っても過言ではない。学校の周りをぐるりと一周水路が覆っており、徒歩だけでは校内に入ることすら出来はしない。
この学校にはいくつか特徴がある。
そのひとつが、この場所が国家の中に存在していながら、完全な治外法権が認められていることだ。生徒会を頂点として、独裁政治とは言わないまでも、それに近しいものが生まれている。
その頂点の生徒会に在籍するのが、彼女城之内百合亜と鬼龍院アラン。幼少期から共に過ごしてきたこの二人の関係は、幼馴染であり主従関係だ。城之内家に代々使えてきた鬼龍院家。初めこそこの二人の結婚話も出ていたものだが、必然的に直ぐに消えた。
「ねぇ、アラン。今日は?」
「このまま生徒会室に直行。準備出来たらそのまま下」
「……また?」
百合亜のテンションが「下」というワードが出た途端、急に下がった。それに伴って、歩く速度もどんどん静かに下がっていく。
「しょうがねぇだろ。本部が下にあるんだから」
「しょうがないって言ってもね、嫌なものは嫌なのよ」
百合亜は下がとても苦手だ。暗いし、ジメッとしてるし、なんと言っても自分とは相反する存在しかいないと言っても過言ではないのだ。好んでいきたい場所ではない。
「お前の愛しの婚約者様も下で待ってるから我慢しろ」
その言葉に、少しだけ顔を上げる。
「……その言葉に何度騙されてきたことか」
「騙されるお前が悪い」
そう言って頬を緩く抓るが、さっきまでと違い、百合亜の顔には少しだけ笑みが見える。
靴音が鳴らす音が変わったところで、百合亜とアランは顔を上げた。聖ローズマリー学園の正門を通り過ぎ、学生証をかざして認証し、慣れた動きで別棟三階にある生徒会室へと足を進めた。急ぎ生徒会室の中に設けられた自室に走り込み制服に着替え、生徒会室最奥のエレベーターで電子キーをかざせば、そこには表示されていない地下二十階のボタンが押され、ゆっくり下降を始める。
「あー、もう。また今日も一日が始まっちゃうのよね」
「そうなるな」
「……頑張りましょうか、アラン」
エレベーターと言ってもこのエレベーターに限っては荷物を運ぶ用途はなく、使うのも生徒会を使う人に限るために、エレベーターには備え付けの小型ソファーが8つある。
エレベーター自体の速度はとてつもなく遅い。三階から地下二十階まで、ざっと見積って5分。それだけの時間を掛けて、ゆっくりゆっくりと下降を続ける。立っていたら疲れて気がおかしくなりそうだ。
「さ、行きましょうか」
聖ローズマリー学園地下二十階。そこは人間ではないもの達の国。大きな船が横付けされた港には物資をやり取りする人間と精密には人間でないものが話し合いをしている。
行き交う人も、百合亜とは血の流れが違う。その位は感じられるようになっている。
すたすたと慣れたように歩いていく百合亜とアランのことを、目にした人は一様に道を開け頭を下げる。それにもう彼らはなんとも思いはしない。なんと言っても、これが毎日だ。今更珍しがっても特別に思っても、ただ時間の無駄。
たどり着いた先は大きな家と言うよりは城。百合亜もアランも、また迷いもなくエレベーターで上がっていく。
「おはよう、雅玖。もう朝よ」
「あぁ、おはよう。百合亜」
同じ制服を着ている彼こそが、百合亜の婚約者であり、この治外法権が許された地の絶対的王。冷泉院雅玖。職業、吸血鬼の王。
地下二十階は吸血鬼の世界。彼は吸血鬼の始祖の血を受け継ぐ吸血鬼の純血であり、吸血鬼の王。
その婚約者の百合亜は、彼とはその血から混ざり合うことはない。
吸血鬼の王の婚約者である百合亜は、人間の王である城之内の末裔。
人間の純血を束ねる家に生まれた彼女と、吸血鬼の王として生きる雅玖。
─────────────さぁ、物語を始めようか。