正体
そこには誰が居るのか確認すると、黒いスーツを着た知らない若い男が1人──こちらを凝視し硬直している。
「ひっ……あ、ああの……お身体の具合はもう、だっ大丈夫なんでしょうか? あっカルロさんでしたら、もうすぐ……戻られるかと」
この男もオレを見て怯えていた。
その様子に、オレは無意識に眉が動く。あまり怯えられると、気分は良くない。
すると急に目の前の男は、オレとなるべく視線を合わせまいし始め、目が左右に泳ぎだす。
怯えと動揺。この男からは、それがひしひしと伝わってくる。
それは一先ず置いておき、男が告げた言葉を思い出す。
「そのカルロさん、てのは……もしかしてさっきの男の事か? 名前カルロって言うのか」
自分の事ではなかったものの、漸くひとつ情報が入りつい無意識の内に呟いていた。
するとこの男もこれまでの反応と同じくして、驚愕した表情を浮かべているじゃないか。
何故に皆、オレが言葉を発する度に驚くんだ?
……と、一瞬考えてみたが驚くのも当たり前である。
そもそも他人なのだから口調等の違いはあるだろう。
「今のオレは相当、違和感があるのか?」
「あの……」
困惑する相手が喋ろうとするのを手で制し、先に自分が口を開く。
「ああ、言わなくて大丈夫。寧ろ可笑しいのが当然だ」
目の前の男は口をパクパクと動かし、信じられない物でも目にしたような、そんな視線を向けてくる。
オレは掌で目元を覆い隠し、数秒間の沈黙。
その後、目元から手を退け天井を見上げたオレは深呼吸する。
この動作をゆっくりと数秒掛けてやった後、目の前の男に視線を合わせた。
「いろいろと言いたいこと、疑問はあるだろうけど一先ずこれだけ答えてほしい。オレはわからないんだ……自分が誰なのか」
「…………え?」
男は目をかっ開いて、口も開きポカンとしている。
少し間抜けな表情に見えるが、それはすぐに変化し口は一の字に引き締まり──次いで眉間に皺が寄った。
だがしかしその顔もすぐに解け、次いで蒼白していくではないか。
落ち着きがなく、なんとも忙しい表情をする男である。
「それはつまり……」
男は口元を手で押さえ何度も瞬きを繰り返し、視線を左右に揺らす。
と、その時。オレの背後に気配を感じた。
「どうかされたんですか?」
この声には聞き覚えがある。
後ろへ振り返るとそこに居たのは、先程医者を呼びに部屋を出たカルロ。
そしてその隣には、アロハシャツに膝下丈のハーフパンツ姿に麦わら帽子を被る、なんとも場に不釣り合いな男が立っていた。
「カルロさん! 実は……」
蒼白していた男は、はっと我に返った様子で──それでいてどこか焦りを含みながら、カルロの横まで行き何やら耳打ちで話し始めた。
「……っ! やはり、そうでしたか」
「カルロさんは、この事に気が付いてらしたんですか?」
「ええ、もしかするとそうではないか……と、思ってたくらいですがね」
ここで一度言葉を止めると数秒ほど黙り、カルロはオレを見据えて続きを告げた。
「おかしいとは思っていたんです。普段とあまりにも人格が違いすぎるものですから。ドンは……あなたは、記憶喪失になっているんですね」
「へ?」
記憶喪失?
そうか、人格の違いや自分が誰だかわからないといった言葉から、本体が記憶喪失になったと結び付けたのか。
「オレは一体、何者なんだ」
「……っ」
「カルロさん……どうしましょう」
「うわー、大変な事になったねぇ……君達が」
オレが尋ねるとカルロは絶句した様子であり、耳打ちした男は不安そうにオレとカルロを交互に視線を向け、アロハシャツの男はパンツに両手を突っ込み笑っていた。
「一先ずダニロは、フェルモとエルモを呼んできてください。一階のどこかに居る筈です」
「わかりました!」
「ラバス医師も予定通り怪我の具合を見てもらえますか」
「それ以外に僕の仕事はないからねぇ。いいよ」
ダニロは他の者を呼びに一階に向かうため、オレ達の傍を離れる。
ラバス医師は自分は部外者といった感じなのか、廊下の壁に背を寄り掛からせ欠伸をしてリラックスモードに入ってしまった。
そんなオレも、ただ場の成り行きにそうしかないのだが。
「困りましたね……自分が誰なのか、そして我々の事も何もわからないのですか?」
オレは静かに頷く事で返事をする。
カルロは一瞬悲しげな顔をしたかと思えば「そうですか」と、一言小声で呟いた。
そして肝心な事を告げる。
「あなたはシチリア島を始め、イタリア全土にプロベンツァーノファミリーの名を恐怖で轟かせ、我々マフィアのトップに立つ者──チェルソ・プロベンツァーノ。それがボスである、あなたの名です」
「マフィアの……ボス……」
自然と頬が引き吊ってしまう。
オレがマフィアのボスだと……
ああ……だから『ドン』なんて呼ばれていたのか。納得だ。
どうしてそんな初歩的な所で、オレは気が付かなかったんだろうか。
しかし、よりによってマフィアとはな。
それでいてその親玉なんて。
目の前が真っ暗になり頭痛がする。
足元から崩れ、オレは痛む頭を押さえて冷笑が浮かぶ。
カルロとラバス医師が傍に寄り何か叫んでいるも、その声は全く耳には入らなかった。
「は、ははっ……嘘だろう」
警察官から一変、マフィアのドンになってしまった。