怒りの信頼
鋭い妻は、知っています。
どのようなときに僕が仕事をする気になるのか、そのスウィッチの在り処を、僕よりも詳しく妻は知っているのです。
「わたしの回答は、そこまでお気に召しませんでしたの?」
原因も読み取ったようで、茶を差し入れてくれながら、彼女は甘い声をくれるのです。
愛おしい彼女の甘い声を聴かされたでは、何を言うでもなかったにしても、それを感じ肯定してしまうものでしょう。
内容など関係なくなってしまうことでしょう。
この場合、肯定をするということは、つまり彼女を否定することになっていました。その厄介なところさえ、混乱で言葉の理解が難しい状態に陥っていた僕には、わかりようもございませんでした。
言葉ばかりが全てと信じ、頷いていたのです。
こうなってそこで誤魔化せなくなっていることを悟りました。
「気に入らなかったとか、そういったことではないのです。君を愛しているのですから、だから、気になったのですよ。ちょっと知りたくなってしまったのですよ。僕のライバルが一体誰であるのか、とね」
クスクスと笑っていた君が、ムッとしたような表情に変わりました。
「ふーん、そうですの。ライバル……。わたしを愛しているのはあなたであるというように、あなたを愛しているのも、またわたしですわ。ライバルなど存在しようがございませんのよ!」
怒ってくれているのも、また嬉しかったのでしょう、僕は笑ってしまっておりました。
ここで笑えば、そりゃ更に怒らせてしまうことも明らかだったのですけれど、嬉しさと愛らしさによる愛おしさとで、笑まずにはいられないのです。
「怒らないで下さい。君を信じてはいます」
慌てて言葉を紡ぎますも、チョイスをまたも間違えていたことに、どうしたって言い終えてから気が付くのでした。
もしかしたら、僕にだって、照れというものがあったのかもしれません。
愛しています、信じています、どちらも自信を持ってそう言えるのですが、不安になることもあるというものです。
しかし基礎として僕の心は絶対的な忠誠を誓っておりますから、実際にそれを裏切られるだとは思ってもいない訳です。
それほど信じておきながらも、ただ、面と向かってそう言われてしまいますと、平気でいられる僕ではありませんでした。
恥ずかしいような、照れくさいような、ですが嬉しくて嬉しくて、平常のままでいられようはずもないのです。
むしろここで照れねば僕ではないとも言えるほどでしょう。