1rep目1/3—それはとても果てしない巨乳だった。
桜が咲くには、まだ少し早い頃。
そわそわして浮き足立った空気とは一転。教室内では早くもバカ騒ぎするほど打ち解けたグループが散見された。
入学式が終わったばかりとはいえ、早くもクラス内に派閥が形成されているといったところか。なるほど高校生活における勝ち組と負け組というのは、現時点である程度決まっているものとみえる。
私立名楼高等学校はなかなかに底辺校だ。
見渡す限りのヤンキーとヤンキー。合間に散見される陰キャ。勉強ができない? なら名楼高校に行こう! 巷には名前さえ書ければ入学できるとも囁かれる悪評っぷりで、なるほど、入学して見ればその評価についても頷ける。
俺自身、ちうがく時代に遊びかまけて勉強? なにそれ状態で入試に挑んだところ第一志望は見事に落選。例に漏れず底辺高校生の仲間入りを果たしたわけだ。
教室に咲き乱れる金髪。金髪。アンド金髪。桜の下でブルーシート敷いて宴会してるジジババにも劣らぬ騒ぎっぷりは、いち早く花見のシーズンが訪れたものと錯覚させられる。動物園みたいだ。
しかし悲惨なのはサル山の中に放り込まれた陰キャ達で、自分の席に着いたっきり誰とも目を合わせずにスマホをいじいじしている。その負け組っぷりたるや、無惨の一言。
時折、ハイテンションなヤンキーの体がガツガツと陰キャの机に衝突していたが、陰キャはまるで動ぜず。いったいどんな人生を送ったらそんな強靭なメンタルを身につけられるんだろうか? まったく陰キャ様の鋼っぷりには頭が上がらない。
——ところで、俺はどうなのかって?
いやまさか、聡明なるなろう読者諸兄にそんな愚問を抱く輩などいるはずもないが、いらぬ誤解を招かぬうちにはっきりと明言しておくのが吉であろう。
いやこういう事を自分で言うのって、なんだかおこがましさを感じるし、図らずとも嫌味ったらしさを帯びてしまうからあまり言いたくはないんだけども。しかし、あまり自己紹介を先送りにしていては話も進まない。
なのでここはひとつ、自分の立場というものをハッキリさせておくのも大切だろう。
俺——川崎精飛愛は、圧倒的陽キャである。
「え〜〜‼︎? てかさ、川崎くんってばどこ中からきたの〜〜???」
「川崎は南中だよー。てか俺と同中な!w」
「てかさ、川崎くんマジでカッコよくない?! ジャニ系? てかマジ、惚れるwww」
「まーじで? 照れるわw」
「いやマジ、俳優とか目指せるんじゃね? え、今、川崎くん彼女いる? アタシと付き合っちゃう?」
「おーいいぜ突き合っちゃうべ」
「ちょwwww川崎調子のんなやwww」
約束された勝利の遺伝子。
聖人君子も羨む紅顔を両親から賜った俺は、既にクラスのグループの中心に君臨していた。友達100人できるかな?w そんなことはお安い御用でござい。なんなら彼女を100人作れる勢いでモテまくりである。それですら、中学時代に百人斬りを達成した俺にとってさしたる価値はないのだが。童貞なんかは小学生の頃に捨ててきた。
「てかアタシたち放課後カラオケ行くんだけどさ〜。川崎くん達も来る??」
「おーいいね! 行く行くw あ、どーせだし加藤と荒井も誘わね?」
「全然オッケー! じゃみんなで駅前のカラオケね!!」
「いや〜ひさびさに歌っちゃいますか」
「川崎wwwお前下手クソだろwww」
「川崎くんオンチ?w でもギャップでかわいい〜!」
そんなこんなでホームルームも終わり、カラオケグループとは後ほど合流することとなった。教室にはまだちらほらとヤンキー達がたむろしていたが、陰キャは1人残らず姿を消していた。音もなく。
俺は同中の石塚とてきとーに駄弁りながら、あの女子かわいいよなーとか、おっぱいでかいよなーみたいな話を垂れ流していた。
「そんなわけで俺は皆川さんを推すわけだが」
「石塚お前ショートカット好きだなおい。てかお前それなに?」
「あ? うさぎだけど」
「そうなる前の状態を聞いてんだよなあ」
やたらと器用に折られたうさぎさん、もといさっき配られたプリントを広げると、しわくちゃになった仮入部の申し込み用紙だった。
「部活のプリントだわ。そういや川崎、お前何部に入るの?」
「帰宅部でよくね?」
「バーカお前部活強制なんだよ。つっても、幽霊部員はけっこう多いらしいけど」
「強制って知ってて折ったのかよ馬鹿か」
名楼高校は底辺高校の割に(底辺だからこそ?)部活に力を注いでいるらしく、何らかの部活に入らなければならないらしい。野球部なんかはすごい強いらしい。知らないが。興味はない。
ともあれ、あまりに忙しい部活は避けられたい。何故なら中学同様、高校でも散々遊び倒す所存であるからだ。理想としては適度にサボれて、たまに顔を出して気楽にやれる程度の——
「あ、中学のさあ。わかるべ? 心先輩。あの人ここのバド部入ってんだけど」
「そうなん?」
「楽らしいよバド部。あと、あの人おっぱいでかいじゃん」
バドミントンか。まあ、悪くはない選択肢だと言える。
「バドミントン……っと」
「書くのはえーよwww巨乳好きすぎかよ、川崎w」
けっして巨乳に惹かれたからという不純な動機ではないのだが、まあ楽をしたいからというのもそこそこ不純であるので、あえて訂正するまでには至らなかった。
実際のところ、大きなおっぱいが嫌いなわけはないのだから、そもそも否定する要素はないのだが。
「てか巨乳が嫌いな奴なんていねーだろ」
「俺はほどほどが好みだぞ?w 例えばあんな巨乳は——うッ⁉︎」
にこやかに巨乳を指差した石塚は、鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。いや、絶句するほどの巨乳とは何事か? 恐る恐る、石塚の指差した巨乳を一目拝もうと振り返ってみたところ、俺もまた言葉を失ってしまった。
たしかに、それはそれは立派な巨乳であった。はち切れんばかりにブレザーを押し上げる稜線はくっきりとした陰影を伴って、はるかにEカップは下らないことを主張していた。
なるほど、文句のつけようもなく巨乳である。巨乳ではある……が、俺の欲している巨乳はあんなにカチカチではないと、俺は石塚に文句を垂れてやりたい。しかし言葉は出てこなかった。皆さんは、突如教室の入り口にガチマッチョが現れたとしたらどうするだろうか? 「すげーマッチョがおるwww」なんて腐れ縁の友人に対してリアクションを返してやることなどできるだろうか? そんなことは不可能である。気づけば教室中が絶句していた。
しかも恐るべきことに、マッチョは1人ではなく、2人組だった。マッチョの視線はじっと俺たちに向けられている。
「あ、呼ばれ…てんじゃね? 行って来いって川崎」
「馬鹿俺じゃねーよ」
「……川崎精飛愛に、用があるんだが」
俺じゃねーかッッッッッ‼︎
「(あ、川崎……なんかよくわかんないけど、まあ、がんばれ。俺先に行ってんね?)」
「(馬鹿オメー待てよッ‼︎)」
石塚はそそくさと荷物をまとめ、後ろの入り口から逃げて行った。非情である。これが中学来の友人のすることだろうか?
いかめしい表情を浮かべながら、マッチョ×2は手招きをする。このマッチョはヤバイと本能が激しく訴えていたものの、俺も正念場というやつは弁えている。というか、逃げ出したらナニをされるかわかんないしね。促されるままにマッチョの元へ行く。
「……なんか用っすか?」
改めて近くで観察してみると、これほどのマッチョがあったものかと驚かされる。制服越しでもわかる、巨大な雄っぱい。太い腕。縦に、横に、前後に分厚い肩。おまけに頭は凄まじい天パで、いっそアフロとでも言うべき頭髪はさながら獅子の鬣を彷彿とさせた。俺細マッチョで〜すwwwなんて自慢する輩は居合わせただけで無口君になるだろう。ガリガリは鼻息だけで吹き飛ばされそうだ。
体格も体格だが、この張り詰めた威圧感を生み出しているのは厳つい表情。ピシッと締まった口もと。そこから発せられる声までマッチョだった。
「勧誘だ。部活のな」
「は? ……部活っすか? 何部……?」
俺の脳裏に浮かぶ超絶ハードモードな練習風景。ガチ勢の部活。ラグビー部だろうか? それとも柔道部? いやいや、ともあれ同じことだ。マッチョに張り倒される未来しか待ち受けていない。
しかし、マッチョの一言はその想像の遥か斜め上をいくものだった。
「筋トレ部だ」
「はあ???」
「自己紹介が遅れたな。俺は3年の津田沼大輔。となりのこいつも3年の、秋葉原安彦」
「よろしくな川崎君」
津田沼と名乗ったマッチョは、巨大な腕で握手を求めてきた。いや、普通に嫌なんだけど。190センチはゆうに越し、ともすれば2メートルに達するかと思われるほど、デカい。教室へ入るときなんかドア枠に頭をぶつけそうだ。
秋葉原と紹介されたマッチョにしても、津田沼ほどの背丈はないが180前後はあり、比較的スリムに収まったマッチョだがやはり俺と比べればボリュームが凄まじい。
日本人離れした体格の2人に圧倒されながらも、かろうじて冷静な判断力を保っていた俺は真っ先に質問することがあった。
「いやいや。なんで俺?」
お世辞にも、俺はマッチョとは言い難い体格だ。お世辞にもってか、普通に普通体型。ガリガリってほどではないけど、こんなマッチョに勧誘される覚えは微塵たりともない。
「君を一目見て分かった。筋トレの素質ってやつがな」
「はあ……?」
「顔だけじゃなくて、体までイケメンってことだ」
「いやその言い方はキモ……」
頭の中まで余すことなく筋肉で出来ているらしく、何を言ってるかわからないが、1つだけ間違いなく言えることがある。ヤバイ奴に目を付けられた。てかなんで俺の名前知ってんだろ。ひょっとしてあっち系の方なのか??
こうなっては何がなんでも勧誘を断るしかあるまい。教室ではひそひそとどよめきが起こっている。変な噂が流れる前に、なんとしてでも離脱することが肝心だ。
「……俺、もうバド部に入るって決めちゃったんすよねー。あやっべ、ボールペンで書いちゃったしw これはもう消せないっすわ」
「仮入部届はいくつでも届け出すことができる。ほれ、用紙ならもう一枚あるぞ」
用意周到かよ!
「いい加減にしてくれよ。俺は入る気は無いんだよ。なんでそこまでして俺を勧誘するのかわからないけどさ、迷惑だから。正直」
「まあ、いきなり押しかけてきて、無理に入部をお願いするのも忍びないとは思うけどね。しかし、君の類い稀なる才能を見込んでのことなんだ」
眼前のゴリマッチョに比べ、はるかに紳士的な態度を見せる秋葉原。しかし肩まで伸ばした金髪と、眼鏡の裏で光る鋭い眼光からは、どこか言い表しようのない凄みを感じた。
「才能……って言っても、俺筋トレなんてしたことないぜ。ガタイだって別に良いわけじゃないし」
「まあ、筋トレをしなければそれこそ才能には気付きようはないさ。僕たちだって、生まれついてのマッチョではないわけだしさ」
だが、と秋葉原は続けた。
「日々トレーニングを重ねるうちに、他人の素質ってのは見抜けるようになる。そいつがどんな生活を送り、どんなトレーニングを重ねているのか? 果てには、鍛えてない奴であっても、そいつがどのレベルまで筋肉をつけられるのかまで……」
「川崎君。君には筋トレの才能が眠っている。もし俺たちの部活に入ったならば、俺たち以上のマッチョになれることを約束しよう。賭けたっていい」
「ええ……」
正直、俺は自分の運動神経の高さには自信があった。しかし、筋トレの素質というと、そんなことを言われた経験はこれまでになかった。当たり前だが。むしろ、教室でいきなりマッチョに声をかけられ、君はマッチョの素質があるよ! なんてカミングアウトされる経験など異常極まりないと断言できる。
俺は想像した。目の前のマッチョを超えるマッチョになる俺。筋トレ大好きアメリカ人ですらドン引きするような、常軌を逸したマッチョになる自分。世界最高峰の筋肉に、私はなりたい————??
いやいや。
「嫌だよ!」
そんなレベルのマッチョになったらまともな学校生活送れなくなるわ!
こちとら楽な部活に入って、楽しい高校生活を送りたいんだ。ハードな筋トレをやらされた挙句、常識離れしたマッチョにさせられるなんてこっちから願い下げである。というかあんまりゴリゴリだと、女子からも嫌われてしまうこと請け合いだ。
「しかし……」
「しつこいぜ。モテないだろあんたら。しつこいマッチョは女子にも嫌われるから。あんたらにそっちの気はないかもしれないけど……勧誘するならそっち系の奴にしとくんだな」
「ぐっ……!」
「そんじゃ、失礼」
「ま、待てよ!」
言ってやった。
そそくさとその場を逃げ出したが、マッチョどもの追ってくる様子は無かった。いや見た目に気圧されていただけで、正直言って陰キャの類いだったらしい。陰キャ相手に心臓はバクバクだが。
高校生活早々、最悪な1日。帰って寝たい。
しかしラインを確認してみると『おせーぞーみんなカラオケついたわ笑』と石崎からのメッセージ。自分だけそそくさと逃げといてなにわろてんねん馬鹿。
しかしここでドタキャンするのは陽キャとしてどうなの? と思ったので、気は乗らないが駅前へ向かわざるを得まい。
女子もいるし?