悩める勇者
フェリクスの驚きをよそに、くくくっと皇帝が含み笑いを洩らす。
「そろそろ立ってよいぞ、フェリクス。そのままでは、互いに挨拶しにくかろう」
今思い出したように、片膝をついたままのフェリクスに声をかけた。
「魔王が再び登場するなら、当然ながら勇者も転生している道理だ。転生は、なにも魔王の専門というわけではないからな。元々、我がフォートランド世界においては、輪廻転生の事例は少ないながらも皆無ではない」
マントと全身一体化のバトルスーツを着込んだ少女の腕を、皇帝がぽんぽんと軽く叩く。
途端に少女の方が微かに顔をしかめたが、気付いた様子もなく続けた。
「リュクレールというのが、この者の名だ。フェリクス、協力してやるがよい」
紹介された少女は軽く低頭し、礼儀正しく挨拶した。
「もったいなくも陛下のご紹介にあずかりました、リュクレールと申します。田舎娘にすぎませぬが、どうぞよろしく」
「既に聞き及びでしょうが、侵攻軍総指揮官のフェリクスと申す者。こちらこそ、よろしくお願いする」
意外に腰の低い態度に、立ち上がったフェリクスは目を瞬く。
「しかし、勇者殿と申しましても、過去の歴史で何度か登場したことがあったはずですが、そのうちのどなたでありましょう?」
礼儀正しく尋ねたものの、フェリクスの意図は明らかだったらしい。
リュクレールより先に、皇帝が苦笑して指摘した。
「迂遠な言い方をせずともよい。本当のところ、お主はこう尋ねたいのだろう?『かつて魔王に立ち向かった勇者は数名いたが、みんな無残にも敗れた……今更どの勇者が出てきたところで、過去の二の舞ではないか?』と」
「い、いえっ。そこまでは思っておりません」
リュクレールの内心を慮り、フェリクスは慌てて首を振る。
「だいたい、今は魔王と思われる男の方も、別に全盛期の力を取り戻したわけではないようですし」
「ほう? ならば、さらに朗報となるな。これはまだ秘密だが、実はリュクレールは、かつての勇者そのものの転生体ではない。侮って戦えば、例え全盛期の魔王といえども、痛い目を見るのは必定であった」
不動の自信を覗かせ、皇帝が唇の端を吊り上げる。
しかしリュクレール本人は、特に弁明もしなければ説明もしない。
静かな表情で立っているだけだ。代わりに、上機嫌な皇帝が尋ねた。
「ところで、フェリクス。お主のことだから、ナナキが敗れたとはいえ、敵の情報は入手しているであろうな?」
遅ればせながら不意打ちを食らったが、この質問も半ば覚悟していたことである。
フェリクスは意識して冷静に答えた。
「あえて、戦闘に参加させず、遠巻きにして数名ほど周囲に兵士を放っておりました。記録を撮るのに成功した者もおりますので、今、戦闘時の映像を分析中です」
「その記録、私も見せて頂いて、構いませぬか?」
寡黙な勇者――リュクレールが、ふと口を挟む。
当然、フェリクスは快諾した。
「それは無論のこと。お望みとあらば、いつでもご覧にいれよう」
「ありがとうございます」
例を述べた彼女は、なぜかゆっくりと笑みを広げた。
ひどく哀しそうな笑い方だったが、微笑には違いない。
「かつての魔王は、我らのフォートランド世界を統一し、戦乱続きだった大陸に、二百年の安寧をもたらしました。人であれ魔族であれ、結果だけを見れば最高の人生だったと言えるでしょう。死に瀕し、後世のことは残された者達に任せたのも、彼らしいと言えます」
皇帝のそばに控えているというのにあまりに大胆な発言で、フェリクスは内心で危ぶんだほどだ。これはどう考えても、魔王寄りの言葉ではないか?
しかし彼女は、周囲など気にした様子もなく、どこか遠くを見つめるような目つきをしていた。
「――ですが、どうせならそこで本当に魔族とは縁を切るべきだったのです。再び同じことをして死者の山を築くなど、魔王といえども許されることではありません」
一体、どういうつもりでの発言か、フェリクスは理解に苦しむが……少なくとも玉座の皇帝の心には響いたらしい。
手で膝を打ち「その通りである! 今は予の時代ぞっ」と大声で賛同した。
両者を見比べていたフェリクスは、内心で首を傾げる。
勇者だというこの少女が、心の奥底に、誰にも言えない重荷を抱えているような気がしてならなかったのである。