見えない敵
のんびり考えている時間などなかった。
今更のようにスタジオ内に悲鳴が木霊する中、男はためらいもなく引き金を引き、魔力を帯びた光弾が飛び出した。
「――くっ!」
周囲には聞こえない程度の気合いの声を上げ、麗はよろめいた振りをして、発射と同時にすとんと腰を落とす。
足が滑って倒れたように見せかけつつ、スタジオ内のコメンテーターや観客達に見えないよう、最新の注意を払って男の右膝を蹴飛ばす。
これを、尻餅をつくのと同時にやった。
幸い、二人がいるのはスタジオに作られたステージ上だし、薄情なバックダンサーや演奏の連中はもう背後の通路から逃げた後である。
客からは、男の身体が邪魔で見えないだろうし、気付いた者はいなかったはずだ。
発射された弾丸は麗の頭上を通り過ぎ、ステージの壁に閃光と共に大穴を穿ったが、麗に膝を痛打された男は、たまらずぐらりとよろける。
ちょうど、ステージに上がる段差がある場所で、躓いたように見せかけるタイミングとしては、最適だったのだが。
あいにくこいつは、なんとか片足でたたらを踏んで堪えようとした。
(悪いけど、チャンスは逃さないわっ)
麗は細心の注意を払って、さっと左手を持ち上げ、相手のジャケットを掴んでぐいっと自分の方へ引き寄せた。
バランスを崩していたところなので、男は今度こそ大きくよろけ、そのまま倒れかかってきた。
「貴様っ」
それでもまだ、しぶとく次弾を撃とうとしていたが、麗は足をじたばたさせる振りをして、もう一度、こいつの右足を蹴り、完全に相手が倒れ込むように仕向けた。
(上手くいって!)
内心で祈りつつ、わざとらしくまた悲鳴を上げ、横に転がって倒れてきた男を避ける振りをする。ただし、男の横顔がすぐ近くに来た時、一瞬だけギフトを使った。
自由自在に出現させ、そして消すこともできる必殺の針を僅か一本だけ、しかも通常よりもごくごく短いものを顕現させ、男の耳穴の中に投擲したのだ。
(お願いね、ノーブル・ローズ・ソーン!)
近距離とはいえ、他人に見えないように腐心したが……これは自分の倒れた身体で隠してなんとかなった。
――次の瞬間、男は両目を見開き、表情を失った。
そのまま、顔面からステージの床に倒れ、ゴチンと頭をぶつけてしまう。
ちょうど、観客やコメンテーター、それに今更のように起き上がった司会者からは、男がステージに上がる段差に躓いて、倒れたように見えたはずだ。
脳内に決定的なダメージを受けたそいつは、全身をびくびく痙攣させていた。
しかし麗は必死に起き上がり、気付かずにステージの脇に逃れる振りをした。
「霧夜さんっ。――麗ちゃん!」
司会の男が悲壮な声を上げたが、麗は肩で息をしつつ、「だ、大丈夫ですっ。麗は平気ですっ」と健気な声を上げて片手を上げてやる。
ちなみに、荒い呼吸は演技ではなく、それだけ柄にもなく緊張していたのである。
スタジオ内に怒号や悲鳴が乱れ飛ぶ中、麗はようやく飛んで来た女性マネージャーによって、やっと奥の関係者通路の方へ逃れることが出来た。
ただ、後のことを考え、麗は逃れる前に大声で、「皆さんの誘導を先にっ」と叫んでおいたが。
……実際は、あいつもすぐに起き上がれるような状態ではないし、今となってはゆっくり逃げても問題ないだろう。
放ったギフトの針も消したし、証拠は残らないはずだ。
しかしそこで微かな魔力を感じたかと思うと、計ったように誰かの声が耳元でした。
『ふん……私は騙されはしないぞ』
「ええっ!?」
女性の……しかも、恐ろしく冷酷そうな声だった。
「どうしたの、麗ちゃん! どこか痛む!?」
心配そうにマネージャーが尋ねたが、麗は通路の左右を見渡し、新たな敵を求めていた。
(今のは……誰っ!?)