無謀なダッシュ
九郎がそちらを見る前に、もう盛大な悲鳴が一斉に上がっていた。
見れば、隣の車両の中程に、呆れたコトに長剣――そう、どう見てもブロードソードとか、そんな名前で呼ばれそうな長剣を持った男が、その武器を使って手当たり次第に斬りつけているのだ。
どこに隠していたのか謎だが、既に二人の男女が足元に転がっていて、冗談ごとではないことが見てとれる。
さほど混んでいないのが幸いして、周囲の乗客はみんな九郎達がいる車両へ逃げてくるか、あるいは反対方向の別の車両へと走り去っていく。
見た目がスーツ姿のサラリーマンなのに、そいつはギラギラした目で左右を見やり、結局、九郎達がいる車両の方へ来た。
「ま、まさか、俺が狙われてる……とか?」
小声で麗に尋ねたが、彼女は首を振った。
「それなら、最初から九郎さまのおそばで機会を窺っていたはずです。これはおそらく、その同時多発テロとやらの一つに、間が悪くも出くわした結果でしょう」
冷静に説明しながらも、麗は九郎を背後に隠すような位置に立ち、あたかも戦闘準備に入るような緊張感を漂わせている。
「敵は、自分達が本気であるというデモンストレーションを、あえて都内で演じているような気が致します」
「こっちはいい迷惑だって」
九郎が呻いたその時、ようやく車両が減速を始め、駅のホームに近付いたことを知らせてくれた。
幸い、二人は最初から車両の端っこにいたので、あいつが来るまでに今しばらく時間があるだろう。
……ただし、ここは先頭車両なので、隣へ逃げるという選択肢はない。他の車両へ逃げるためには、あいつの脇を駆け抜ける他ないのだ。
「でも、どうやら先に駅へ着く方が早いっ」
「ドアが開いたら、一気にホームへ走り出ましょう」
九郎を庇うような姿勢のまま、麗が付け加える。
大いに賛成したいところだが、だがどうしてもすぐそばで起こっている惨劇に目が行ってしまう。
口々に喚く声や悲鳴だけでも、耳を塞ぎたくなるほどだった。
「助けてっ、助けてぇえええええ!」
「誰か、警察に電話したかっ」
「馬鹿! それどころじゃないだろ、今はっ」
数少ない乗客は死にものぐるいで逃げているのだが、追いつかれた者は例外なくその場で背中から切られ、仰け反って倒れていく。
今こうしている間にも被害者がどんどん増えていて――
「うわっ」
いきなり急ブレーキがかかり、車両がガタッと大揺れした。
「九郎さま、今ですわっ」
頼もしくも、慌てず騒がず、麗が九郎の手を取る。
遅まきながら、運転士が後ろの惨劇に気付いたらしく、ホーム途中の中途半端な位置で急停止をかけ、問答無用でドアを開けたらしい。
「わかった!」
九郎も続いて走ろうとして――しかし、その途中で真に迫った悲鳴を聞いた。
思わず足を止めて見れば、さっきラジオを聞いて青ざめていたアヤと呼ばれていた女の子が、腹這いになって倒れている。
今の急ブレーキで足を掬われたようだが、お陰で長剣を持った男に追いつかれていた。
ちなみに、連れの男子は自分だけ先に逃げたらしい。
「はははっ! 我が帝国に栄光あれっ」
「やめろ、ちくしょうっ」
既に鮮血で染まっている長剣を男が振り上げた時、九郎は夢中で麗の手をふりほどき、そいつめがけてダッシュしていた。