捨て身の宣戦布告
――その刹那、嘘みたいに派手に鮮血が飛び散った。
映画などでこういう場面はたまにあるが、それとは全く比較にならない出血の量であり、とてもこれが偽装とは思えなかった。
事実、噴水のごとく飛び散った鮮血を避けようとして、記者達は悲鳴を上げながら逃げ惑っている。おまけに、官房長官本人がその場で気が触れたように哄笑しているので、凄惨な場面に一層、拍車がかかっていた。
目を背けたくなる光景だが、不思議と目を逸らすことができず、九郎は結局、長官が倒れて哄笑が止むまで、きっちり全部見てしまった。
彼が倒れた瞬間、まるでそれが合図だったかのようにUDXビジョンは真っ暗になり、「しばらくお待ちください」の白いテロップのみが浮かんだ。
「ど、どういうことだ!?」
九郎はようやく呻いたが、むしろこの反応はささやかな方だったはずだ。
つい今し方、官房長官を「精神的にヤヴァイ」だのなんだのと評した女子大生達などは、二人して盛大に悲鳴を上げているし、他の歩行者達も興奮して口々に話している。
中には「い、今のは作り物の映像ですよね、ねっ」などと見知らぬ他人に訊いている若者もいて、混乱の度合いが窺えた。
「九郎さま! 念のため、ご自宅に戻りましょう」
青ざめた人々が声を上げる中、麗は冷静に声をかけてきた。
透き通った青い瞳にパニックの兆しは皆無であり、ただひたすら九郎の身を案じている様子だった。
「まさかとは思いますが、敵は畳かけるように新たな行動に移るかもしれません。今、駅周辺にいるのは、得策ではございません」
「わかった!」
九郎は珍しく素直に頷き、彼女に手を引かれるまま、アキバブリッジを下りて駅の方へ向かった。
もはや、その辺をぶらぶらしている気分ではない。
電車を乗り換えて自宅へ向かう間、九郎も麗もいつになく黙り込んでいたが……地下鉄に乗ったところで、九郎はようやく息を吐き、そっと麗に尋ねた。
幸い、車内は割と空いていて、話が聞こえるようなそばに人はいない。
「あれは……本物の宣戦布告だったのか?」
訊きたいことは山ほどあったが、九郎はまず、もっとも重要なことを尋ねた。
「間違いなく」
嫌過ぎることに、麗は即答した。
「もうお気づきかもしれませんが、あの官房長官は本物の彼ではありません。いえ……肉体は本物ですが、おそらく魂ごと入れ替わっています」
うえっ……と声に出しかけ、九郎は辛うじて堪えた。
お気づきもなにも、そんな可能性は考えもしていなかった。
「肉体を乗っ取られていたのか!」
「はい。……魔導術で『ポゼッション』という邪道の術がありますが、おそらくそれでしょう。高レベルの使い手なら、条件次第で任意の相手に乗り移ることができます」
「つまり、長官に入ってたのは、実は帝国の誰かってことか?」
麗はゆっくりと頷いた。
「ただし、敵はあの身体を故意に傷つけ、長官を死に追いやりました。通常、ポゼッションを解除して元の肉体に戻るのは、そう簡単にはいきません。少なくとも一時間以上の魔道術を行う必要があるはずです……つまり、さっきの宣戦布告では」
「――乗っ取った敵も既に死んでいるわけだ」
麗の後を引き取り、九郎は呟いた。
「なんてこった……こりゃ相当な覚悟だな」
侵略の話を聞いた時は、まだ「まさか」という思いがあった。
しかし、今の九郎はもはや楽観的になれない……敵はどう見ても、本気で侵略を試みるつもりらしい。