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さんざめく

作者: 上月

---さんざめく



 遠くで虫の鳴く声がする。点けっ放しのテレビからはしきりに笑い声が流れている。わたしが足のマニキュアを指の爪で押し剥がしていると、それ消して、と隣で雑誌を読んでいたよう子が心底煩わしそうにしながら顔も上げずに言った。わたしは言われた通りに手元にあったリモコンでテレビの電源を切る。ぷつん、と音がして、それから妙な静けさが居間いっぱいに広がった。よう子の雑誌をめくる音がやけに大きく響いて、わたしはどことなく居心地の悪さを感じた。中途半端に剥がれたマニキュアを見ていると、そのすぐ横で畳の上をぐるぐると歩いている翅虫を見つけた。ぐるぐると同じような場所を回ってはたまに小さな翅を使って一瞬だけ飛び上がる、というのを繰り返している。しばらくそれをずっと見ていると、よう子が、あ、といきなり声を上げた。

「何、どうしたん」

 わたしは虫から目を外してよう子の方を見る。

「明日、わたしらの結婚記念日や」

「そういえばそうやなあ。春信はるのぶさんからまだ連絡来やんの」

「ぜえんぜん。する気ないんちゃう」

 春信さんとはよう子の旦那で、ついでにいうとよう子はわたしの妹だ。確かよう子は今年で三十のはずだから、もう結婚して七年は経つ。早いものだな、と思いながら、わたしもまだ前の旦那と暮らしていたらもう少しで十五年くらい経つのだろうかと考えている自分に苦笑した。この前中古で買った扇風機が、がたがたと小さな音を立てて右に首を振り、左へ戻るときには何事もなかったかのようにすいーっと、首を振りながら風を送っていた。

「あーあ、あのひとのこと考えてたら気持ち悪なってきた。はよ寝よ、もう十時やん。あ、ゆきちゃんなんか毎週見たいドラマとかあるタイプ?」

 よう子は広げていた雑誌を閉じて、本棚の中に戻しながら訊いてきた。さっき見ていた虫を探しながら、あー、うん、と生返事する。よう子はそう、とだけ相槌を打って、布団ってどこに置いてあるのとわたしに訊いた。


 押入れにあったのは一組の布団とブランケットが数枚で、結局ブランケットだけ引っ張り出して畳の上で寝ることにした。若干背中が痛くて寝にくいが、気にしないように努める。開けっ放しの窓からは虫の声やら人の声やらたまに車の走行音やらが入ってきて、こうして静かに目を瞑っているとふと、夏だなあとしみじみ実感させられる。なあなあよう子ちゃん、と天井を見つめながら声を掛けてみたが、少し経っても返事が来ないのでちらと横を見ると、よう子はもうそれはもう気持ち良さそうに寝息を立てていて、その息の音がリアルに耳に響いた。わたしもブランケットを頭まで被ると、目をきゅっときつく閉じた。


 朝起きると知らない間にぐっしょりと汗をかいていて、なんだか暑くて何度か目が覚めてはまた寝てを繰り返していたのを思い出した。よう子はまだぐっすりと眠っていて、時折寝苦しそうに眉を顰めて汗のにじみ出ててらてらと光る首筋をぼりぼりと掻いていた。

 わたしは全身脂っぽくなったような体が気持ち悪くて、とりあえずシャワーを浴びることにした。風呂場に入ると、窓から差し込む強すぎる日差しが、折角点けた電気よりも明るく中を照らしていた。蝉の声も鬱陶しいくらい聞こえる。シャワーの蛇口を捻ると水が勢いよく出てきて、夏とはいえどやはり冷たさになれない体は反射的にその水を避ける。最初に足の先に水をかけて、脚、太腿、と段々その範囲を広げていく。体が温度を調節するように水の冷たさに慣れてくると、わたしは思い切って頭から水を被った。冷たいけれど、体の不快感がすべて洗い流されていくようで、気持ちが良い。一頻りシャワーを楽しむと、タンクトップに短パンと楽な格好に着替えてよう子の寝ている居間へ戻った。

 「あ、起きたんや。おはよう」

 よう子は扇風機の首振り機能を止めて、扇風機の風を思う存分堪能していた。わたしに気が付いたよう子は、目線だけをわたしに向けてからおはよう、と妙にはっきりした声で挨拶を返した。

「体、べとべとして気持ち悪い。ひとりだけシャワーとかずるい」

「ならシャワー浴びてきたらいいやん。タオルとか風呂場の棚んとこ置いてあるし」

「ほんまに? ありがとう、入ってくるわ」

 家出用に持ってきたカバンの中からよう子は下着と服を取り出すと、そそくさと風呂場へ消えていった。わたしは扇風機の前に座って、充電器に差し込んだままの携帯電話をいじる。ふと隣にあるよう子の携帯電話に気付いて、興味本位でその携帯画面を開いてみた。待ち受け画像は、おそらく購入したときに設定されていたもののままであろうシンプルな写真だった。データフォルダやら色々いじっていると、ふと画面の上側に圏外の文字があった。わたしの家はどちらかと言えば田舎の方にあるが、さすがに電波が届かないということはない。わたしがそれを確認しようとするかしないか迷ってるうちに、よう子が戻ってきた。

「うわ、早いやん」

「うわってなんやの。っていうかわたしの携帯勝手にいじるとか個人情報もうちょっと尊重しましょうよ」

 タオルで髪を拭きながら、よう子はわたしの隣に腰掛けた。

「なんであんたの携帯圏外なってんの。わたしのやつ普通やで」

 わたしはよう子に携帯電話を渡すと、開かれたままの画面を見せて圏外と出ている部分を指差す。

「あ、ほんまや。たまにこんなんになるねん。気付かんかった。いつ頃からなんやろ」

 驚いたような素振りも見せず、よう子は慣れた手つきで一度電源を切ると、また入れた。待ち受け画面が出てくると、電池マークの隣にきっちり三本、電波を受信してるマークが出ていた。

「メール受信してみたら?」

 もしかして春信さんからメールでも来てるんじゃないかと、わたしは少し期待を膨らませる。扇風機がまたがたがた、と音を立てて、また正常に戻った。

「何これ。新着メール十六通やって。なんでこんな来てんの」

 よう子は今度こそ驚いたように目を丸くして、受信ボックスを開いた。案の定、そこには「春ちゃん」という名前が連なっており、どれも未読のままだった。


 「ごめん、わたし帰るわ。丸一日お世話になりました」

 メールを全て読み終えるなり、よう子は嬉々とした様子で荷物をまとめ始めた。そもそもわたしは、よう子がプチ家出なるものをした理由をよく知らない。喧嘩でもしたのだろうと予想はしていたが、核心には一切触れていない。よう子もそういう部分はあまり話したがらないから、まあ別にいいかと気にしないことにした。メールを見たあとの喜びようを見れば、強ち喧嘩が原因という予想も外れてはいなさそうだった。

 「ほんなら今度は家出じゃなくて遊びに来るなあ」

 玄関で荷物を片手に持ちながら、よう子がにっと白い歯を見せて笑う。化粧も何もしていないはずなのに、良い意味でざわついたようによう子の顔はいつもよりもきれいに見えた。

「わかったからはよ戻って旦那さんといちゃいちゃしてき」

 茶化すように笑ってみせると、よう子は雪ちゃんもはやく相手見つけや、と手厳しいことを言われてしまった。

 半ば追い返すようによう子に別れを告げると、ふう、とため息をつく。ベランダに出ると歩いているよう子の姿を見つけたが、すぐに他の民家に隠れて見えなくなってしまった。じりじりと、容赦なく日差しが照りつける。青々とした大きな木が風に揺られて、ざわざわと音を立てる。目に痛いくらい鮮やかな光景にまじって、どこからか懐かしい夏の匂いを感じた。遠くから子どものはしゃぐ声が聞こえてきて、久々に誰かと遊びにいきたくなった。それとついでに恋でもしてみようかなと、衰えていく体の若さとは逆に、変にエネルギッシュな好奇心が青春を求めているのを感じた。


---了

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― 新着の感想 ―
[一言] 『さんざめく』という言葉で、まず思い出すのが谷村新司の『昴』。 って、古いなあ……自分。 どーゆー意味かなーと思い、辞書で調べたら『大勢でにぎやかに声を立てて騒ぐ』【岩波書店 広辞苑第五版】…
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