12.4が見つからない
注意書き:この不条理小説を摂取する前に、不条理耐性を得ることができるとされるアンサイクロペディアの記事「君は牛を二頭持っている」を読むことを強く推奨します。
序文
何故このような短編が生まれたか? それは音ゲーマーの友人とのスカイプにおいて深夜遅くに「12.4」という数字が繰り返し声に出されスピーカーを通して私の脳を刺激したからだと書けるかもしれませんが、おそらくそれは真実の欠片でしかないでしょう。
真実なるものは常にその一面しか我々に見せず、その全容を確認するためには人生はあまりに短い。
だからこの文章に意味を求めてはいけない。意味というのは後の歴史家が付与するステータスでしかないのですから。
私はあえて、ここにダリの言葉を引用します。
「ダリの作品は誰にも理解し得ない。ダリは謎を生み出すからだ。ダリはダリを理解し得ない!」
僕は12.4を探している。
12.4がなんなのか、ということをまず探求している。円周率、フィボナッチ数列、ネイピア数。そのどこにも12.4は存在しなかった。
12.4はどこにでも存在するようで、かなり発見が困難らしい。少なくとも、公園の砂場にはなかったし、学校の図書館にもなかったし、母のへそくりが隠されたタンスの引き出しにもなかった。
僕は12.4を探している。
自分の家は昨日調べ尽くした。見つかったのは未返却だった繰り下がりのある引き算の10だけだった。僕はそっとそれをトイレに流した。12.4を渡してくれる泉の精霊は現れなかった。だから、今日は街に出ることにした。
12.4は大通りには見つからない。デパートにもなければ、ドン・キホーテにも存在しない。おそらくドラゴンめいた風車にも存在しないだろう。
人混みの中を歩きながら僕は12.4を求めた。視界の端々には、ネオン灯で表示された様々な値段が輝いている。そのどれもが、12.4ではなかった。有象無象の数字ばかり。雑踏の足音が表現する不協和音も、どう変換しようと12.4にはならない。僕は疲れを覚えて、立食い軽食店によることにした。
食券機のタッチパネルを操作する。12.4は存在しない。一番安い牛丼を購入して、近づいてきた店員に渡した。
「つゆだくで」
「かしこまりました」
「あ、ところで……」
「なんでしょうか?」
「12.4はお取扱されていますか?」
「……申し訳ありません、もう一度おうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「12.4です。少数の、12.4。なにかを意味するはずなんですが、どうも思い出せないのです。けれど僕は、これを見つけなくてはいけないんです……」
店員は口の端を歪め、なにかいいたげに沈黙した。僕は彼女の口が動くのを待っていた。後ろからどつかれて、僕は前のめりにすっ転んだ。
「おまえ、わけわかんないこと言って、困らせんな。あ、店員さん。俺つゆだくで」
「あっ、……か、かしこまりました。……ありがとうございます」
埃を払っている間に店員は厨房に引っ込んでいった。僕は抗議の意味を込めて、自分をどついた者を睨みつけた。しかし、すぐに同情した。彼の鼻には、銀色のピアスが三つほど輝いていた。
「おい、おまえ」
「僕ですか」
「そうだよ。こっちこい。座れや」
僕は店の壁際のソファに連行され座らされた。向かいに男が座った。男は若く、僕よりも年下に見えた。男は眉もないのに目の上をさすった。テーブルの左右を確認した後、箸と七味唐辛子とバーベキューソースをテーブルの真ん中に並べた。それから、自分の分だけお冷を注いだ。
喉を鳴らして水を飲む不良少年に僕は憤っていた。
「さっきはなんで邪魔をしたんですか」
「あんたが店の邪魔をしてたからだよ」
「つまり、迷惑行為に対する迷惑行為を君は行使したということか」
「あんたなに言ってるんだ?」
「カウンターメジャーも調べたけれど、12.4はどこにもなかったんだ。無意味なことをするもんじゃない。飯がまずくなる」
「俺はあんたの話で頭が痛くなってきた」
「鼻じゃなくて?」
「馬鹿にしてるのか」
「まさか。12.4ほど美しくはないが、君の鼻はイケてると思うよ。そこにキーホルダーでもかけられそうだ」
僕は頭をはたかれた。
「やっぱり、馬鹿にしてるだろ」
「まさか、そんな」
「牛丼大盛りつゆだくと、牛丼並盛りでよろしかったでしょうか」
折悪しく店員が――先ほどの女性店員とは別の、恰幅のいい、左手の小指の先が欠けた男だ――が飯を運んできた。僕らは自分の食事を受取った。
「ごゆっくりどうぞ」
店員はそういうと少し離れて、厨房の入口付近に立った。その視線は僕らに向けられたままだった。僕は彼と視線を合わせた。眉も唇もピクリともしない。ターミネーターみたいだ。
「食わないのかよ、アンタ」
男は七味唐辛子を山盛りにかけ、その上に米が真っ赤にそまるほどたっぷりとバーベキューソースをかけていた。調味料が入り混じった複雑な匂いが鼻の奥まで到達し、奇妙な曼荼羅の幻覚を見せた。彼はマリファナを錬金しているのかもしれない。そう思い、彼を真似してみた。けれど、僕がやったときは幻覚は浮かばなかった。彼から奇異の目線が向けられただけだった。
「ここにも12.4はない」
「その、12.4って……」肉をもちゃもちゃ咀嚼し、飲み込んでから言葉を続ける。「なんなんだよ」
「それが僕にもわからない。気づいたときには、12.4を探していた。ひとつだけ目星はついているんだ。それはこの世界の核心に迫る数値なのかもしれない」
「……あんた、ヤクでも吸ってるのか」
「マリファナを錬金したのは君じゃないのか」
彼の目は漫画で見たようにへの字になった。哀れなものを、――羽根をむしられてもなお飛ぼうとする昆虫を見るときのような眼差しだった。彼はなにも言わず、食事を続けた。彼に会話をする意思はなさそうなので、僕も牛丼を食べ始めた。
まだ湯気が出ている牛丼が白米の上に乗っている。あめ色に変わった玉ねぎと少量のネギが添えられていて、それはまるで望遠鏡で見た惑星の表面を煮詰めたようだった。僕は混沌とした大地を天沼矛でかき混ぜて、底深くに隠れていた白い大陸を隆起させた。そうして淤能碁呂島をつまみ、もはや本来の形質を取り戻した牛肉とともに口に運んだ。幾通りもの味のハーモニー。玉虫色の味わいは、やはり12.4ではなかった。僕は完食した後速やかに席を立った。ここにも12.4はない。
やはり人の集まるところには12.4はないらしい。きっと昔は大地に溢れかえっていた12.4は、開拓と調整により棲家を逐われたに違いない。さまよえる12.4は路頭に迷っているはずだ。家なき子は人目を忍ぶ。僕は路地裏に向かった。
ビルとビルの谷間の迷宮に身投げしてもんどりうつとすぐそこだ。路地裏は様々な声で満ちている。残飯を漁るネズミの歯音、動物の糞にたかる蝿の羽音、マウンティングされる猫の悲鳴。それは終わりのない悪夢にも似た風景だった。僕はダリの絵画のように溶けかかったチーズをつかむと、穴の覗きこんだ。限りなく平面上に引き伸ばされた穴に小さな虫がたかっていた。僕はチーズを寄ってきたネズミの親子に投げつけた。べチャリと不愉快な音を立てて、黄ばんだタンパク質は飛び散った。隠れていたゴキブリや捨てられて腹を空かせた仔犬もたかってきた。僕は哀れに思って仔犬を抱き上げた。それから歩き出した。
迷宮を行き当たりばったりに歩いていると、仔犬がか弱い声で泣きはじめた。なにかを指し示そうとしているらしい。ぼくはその声に従ってダンジョンを歩いて行く。あたりは薄暗くなり、分かれ道がなくなった。既視感と未視感がないまぜになった風景がいつの間にか繰り返され始めている。僕らはいくつかの鳥居をくぐった。ところどころ丹塗が禿げて、鴉が留まっていた。
三番目の鳥居をくぐったところで、背後から足音がし始める。それはだんだんと近づいてきた。僕は歩調を早めた。十個目の鳥居をくぐった頃には、足音は名状しがたいほどに大きくなっていて、それに導かれるように僕の内耳にはモーツァルトの交響楽と惑星の磁界の振動とケイオスとの共鳴が鳴り響いていた。それは聴細胞を通じて僕の海馬を刺激し、12.4の形相を余剰次元に結実させようとしている。回転と螺旋が体内を這いずり回り、僕は膝を屈した。腕から力が抜け、僕は倒れ伏した。仔犬はなんとか抱えたままだった。仔犬はつぶらな瞳で、前を見つめていた。
十一番目の鳥居。
柱はマカロニのように捻くれて、どうして鳥居の形を保てているかもわからない。仔犬はびっこを引きながら、僕の腕の中から出た。緩慢な、カタツムリほどの速度で、それでも前進していた。僕は突然に仔犬の意図に気がついた。
「きみは12.4を知っているのかい?」
仔犬は足を止めて振り向いた。そうして答える代わりに、僕の頬を舐めた。それからまた前を向き、歩き始めた。
彼もこの先になにかがあることを確信している。仔犬はそれを求めているのだ。それは飼い主かもしれないし、12.4かもしれない。僕は深呼吸して、立ち上がった。埃で咳き込んだが、その拍子に金縛りのように重たくなった腕が動いた。僕は立ち上がると、仔犬を左手で抱き、右手で腹をなでた。痩せこけて、アバラ骨の硬い感触が手のひらに伝わった。その奥から、心臓の、確かな鼓動が伝わってきた。僕はハッとした。
この仔犬は必死になって生きようとしている。しかし、この弱々しい心臓の鼓動はどうしたことか?
喪われゆく生命と、12.4の探求。それを天秤の両側にかけたとき、僕は取捨選択できなかった。12.4を発見乃至観測すれば、おそらくこの宇宙を手に取れるだろう。そうすることで人類史は飛躍的な進歩を遂げるに違いない。僕は確信していた。これはマルチバースの証明にほかならない。しかしここで仔犬の命を捨てることは、果たして良いのだろうか?
ぐずぐずしているうちに、あの足音が間近に迫っていた。僕は振り返った。その瞬間、拳が顔面を捉えた。視界がスパークし、僕に天啓がおりた。
「てめえ、探したぞ。ひとりで置いていきやがって。そしたらこんなところにいやがる」
「君も、12.4に選ばれたんだな」
「はあ? 知らん。俺はおまえに文句が言いたいだけなんだよ。迷惑行為しやがって。社会の邪魔をするんなら家に引っ込んで素麺でもすすってりゃいいじゃねえか。12.4だか14.2だかわかんないけどよ。……まったく……」
去ろうとする彼に、僕は仔犬を差し出した。不良は困惑した。
「この子を病院に連れて行ってやってくれ。きっと間に合う」
「あ、……アンタが連れていけよ。アンタが見つけたんだろ。それがスジってもんじゃねえのか」
「12.4と、仔犬の命。その両方を取ることができるんだ。人助けと思って、頼む。袖振り合うも他生の縁って言うだろう?」
「きゅ、急にまともなことを言いやがって……わけわかんねえ……」
後頭部をガシガシと搔く不良にずずいと詰め寄り、彼の鼻先に仔犬を対面させた。僕の意図をくんだのだろう。仔犬は不良の鼻先をぺろりと舐めた。小さな赤い舌が、薄暗がりにやけに鮮やかだった。
不良は当惑した様子で仔犬とにらめっこを続けた。そうして、彼は震える手で仔犬を受け取った。仔犬は彼のジャージに見を摺り寄せて丸まった。不良は呆然とした様子で僕を見た。それははじめて親に殴られ自立を促された子供の瞳だ。
「振り返り、道を真っ直ぐ戻るんだ。振り向いてはいけない。疲れたと思うまで走り続けなさい。きっと間に合う」
「あんたは、どうするんだ」
「僕は進まなくてはいけない。12.4が産まれようとしている。空間の特異点がこの先にあるんだ」
僕はそう言って、踵を返した。背後で、足音がゆっくりと離れていく。僕が十一番目の鳥居を潜ろうとしたところで声がかかった。
「あんたは最後までわけがわからないやつだったけど、悪いやつじゃないんだな」
声は僕の方に向いていない。僕は安堵し、走り出した。
十二番目の鳥居が間もなく見えてきた。ガラス管に液状の金属の混合物を詰め込んだような鳥居だった。ダマスクス鋼の模様がその表面で蠢いていた。数え切れない鳥たちがその頂辺に留まっている。彼らの合唱が僕を迎え入れた。
光の卵が、鳥居の先に現れた。プリズムと鏡に囲われ閉じ込められたコヒーレント光。保たれるエネルギーがケイオスと交響楽、そして鳥たちの鳴き声と共振し増幅されていく。卵にひびが入る。欠片が爆ぜる。僕の頭蓋が砕け散り、脳細胞から錬金された結晶が輝きを放つ。僕は無限大に引き伸ばされながら、光の卵を抱き寄せた。
然るべき時が来れば、12.4は孵るだろう。
だがそれまでは、12.4は見つからない。
これが にじかん くおりてぃ