正しい婚約破棄のその後。
シャルロッテ嬢と新しい婚約者の顔合わせ。
一目見て思った。
皇太子より全然美男だと。
王者としての風格、王族としての清廉さに欠けるが遊びなれた色気があった。
皇太子が太陽なら――こちらは差し詰め月か。
「初めまして。シャルロッテお嬢様」
「初めまして。ローレンツ子爵」
――所領の増加に関する政治的なやりとりに関しては言及を避けよう。
淑女の知るべきでない事でもあるし。
ただ、土地こそ痩せているものの――交通の面で友好国と近い場所にある、とだけは言っておこう。
観光地にせよ、と言われたわけではないが――
「……なれませんね。その子爵と言うの」
「あら、伯爵でも良かったぐらいですのに」
エーレンベルグ侯爵家令嬢たる自分が嫁ぐのだ。侯爵と言わずともせめて伯爵ぐらいは、と思う。
「領地が広くなったところで私には統治しきれませんから」
歌劇以外とりえのない男なのですよ、とローレンツ子爵は笑った。
何の裏表もないような笑顔。
シャルロッテより十も年上だとは思えないほど。
けれど確かに――魅力的ではあった。
「どうか一つ――謝罪を聞き入れていただきたい」
深く――それこそ九十度近くまで下げられた頭。
紳士の淑女に対する礼では――勿論、ない。
「どうか――どうか、我が領民の事を嫌わないで欲しいのです」
私の事はどれだけ憎んでくれても構わない――けれど、領民だけは。
お得意の華やかな修飾の妙も何もなく――いっそ恥も外聞なく子爵は言う。
「勿論ですわ。どうして私があなたの領民を――あなたを恨むことがありましょう」
扇で口元を隠してシャルロッテは楚々と笑った。
ただし。
目だけは笑っていなかった。
「――お怒りは承知しております。私のせいで――あなたは王妃の座を失った」
真摯。
そう聞こえる。
けれどその舌が――無限の虚構を生み出すことを忘れてはならない。
「侯爵令嬢のあなたが――子爵夫人。恨まれるのも――当然の事です」
シャルロッテは答えない。
ただ扇の向こうで微笑するのみ。
「何人愛人を持とうが構わない。服でも宝石でも好きなだけ用意しましょう。あらゆる自由を認めます。けれど――領民だけは。彼らには――罪はないのです」
「随分と――肩入れなさるのですね」
領地経営に熱心な方ではないと聞いておりましたが?
そう問えば――子爵は初めて顔を上げた。
「彼らが――私の最初の観客でした」
一言。
だからこそ――それは雄弁に。
「夏至祭りの奉納劇――それが私の最初の舞台でした」
名優がいたわけでもない。
舞台装置は粗末なもので――衣装は古着に手を入れたもので。
だけど――それでも。
「すべてはそこから始まりました。あの歓声がなければ――何も始まり得なかった」
何もできない領主だった。
灌漑設備の建設、堤防の修復、盗賊の捕縛……何一つ満足にできなかった。
余所が一月でできることに半年かかり――半年でできることに一年かかった。
それでも。
笑ってくれた。
自分の拙い脚本に――目を輝かせて笑ってくれたのだ。
財も地位も名声も所領も――あの時笑ってくれた彼らが居なければ天の星より遠い輝きに過ぎなかった。
けれど。
そんなこと彼女には関係ない。
「巻き込んでしまって申し訳ないと思っています。謝って済むものなら何度でも謝りましょう」
それで済むとは思えないが――それでも。
それより他にできることも無い。
「私の事はどう思ってくださっても良い。どうか――どうか、彼らだけは」
「――元よりそのつもりですが?」
ぱちりと――扇を閉じて。
にっこりと笑う。
「元よりあなたの領地経営は杜撰すぎると思っておりましたの」
ご安心くださいまし。
花の咲くような笑みを浮かべていっそ無邪気なまでに言う。
「エーレンベルグ侯爵家が第三子シャルロッテの名に賭けて――ローレンツ領を再興させてみせますわ」
十年の王妃教育が伊達ではない事を証明して御覧に入れます。
シャルロッテは未来の夫にそう宣言した。
――ローレンツ領の領内総生産額が二倍になるのはこの出会いからわずか一年後の事であった。
初めて読んでくれた誰か。
初めてブクマしてくれたあなた。
初めて感想くれた君。
きっとあなたたちのおかげで今ここに立ってられます。
本当にありがとう。
どうかその道行に幸多からんことを。