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光のもとでⅠ 第八章 自己との対峙  作者: 葉野りるは
本編
4/55

04話

 試験までの数日間で、私の体調はかなり悪化した。本格的に痛みが出てきてしまったのだ。

 発作的に痛くなることもあれば、じわりじわりと煩わしく付きまとうような痛みのこともある。それでもまだ、飲み薬が効く範囲だった。

 テスト勉強中から感じていたことといえば、痛みの範囲が地味に広がり始めていること。

 最初は左側の胸と背中が痛かったはずなのに、ふとしたとき、手先にまで痛みが及ぶことがある。

 今ではその範囲が徐々に広がり始めて背中や胸の右側が痛くなったり、鎖骨のあたりが痛くなったり、肩や腕、手首や指にまで痛みが及び始めていた。

 気づいたのはとても些細なことからだった。

 唯兄とキッチンに立っていたときのこと。菜ばしを落としたのだ。菜ばしが触れた場所が痛くて……。

 最初は何が起ったのかわからなかった。でも、シャーペンやお箸、細くて硬いものや、一点に圧力がかかるものを持つと痛みが走る。

 短期間に自分の症状が一気に変わり始めて動揺した。でも、怖くて誰にも言えなかった。自分の身体に何が起きているのか、その事象を自覚することが怖くて……。

 それに、期末考査の前でタイムアウトなんて嫌だったから。

 期末考査が終わったら幸倉に帰ろう。このマンションに来て、とても楽しかったし色んな経験ができたけれど、きっと色々とありすぎたのだ。だから私は少し混乱をしていて、身体も同じように動揺しているだけ……。きっと幸倉のおうちに帰ったら落ち着く。

 そんなことを部屋の片隅でハープを抱えて考えていた。すると部屋をノックする音が聞こえ、蒼兄が入ってきた。

「……明日からテストなのに、何やってるんだ?」

 首を傾げて訊かれる。

「少し、考えごと……」

 蒼兄は近くまで来て大きなため息をつくと私の真横に座った。

「どうした? それ、抱えて座ってるときは何か悩みごとがあって落ち着きたいときだろ?」

 蒼兄には隠し事なんてできないのかもしれない。

「司から聞いた。勉強一緒にしてないんだって?」

「うん……なんとなく、自分のペースのほうが今は楽で……」

「そっか……」

 私、ちゃんと笑えてるかな。

 自信がないからつい俯き気味になってしまう。

 海斗くんたちと一緒に勉強しないのは、シャーペンを持つのがつらくて声に出して覚える方法しか取れないからだった。

 今回、暗記科目はかなり悪い点数になりそう。復唱を繰り返してはいるけれど、書かないと漢字や単語のスペルが覚えられない。

 そんな中、タオルをかぶせてシャーペンを持つと少しだけ楽だと判明した。でも、そんな姿を見られるわけにはいかなかったから――。

「翠葉、すごくつらそうな顔してる。そうまでして笑わなくていいのに……」

 咄嗟に隣に座る蒼兄の顔を見る。と、

「訊かないでいてやることはできる。でも、つらい顔をしているのは見なかったことにはできない」

「っ……蒼兄、テスト終わったら、帰りたい……」

 右側に座る蒼兄の手を握った。握った手が震える。

「いいよ、そうしよう。ここはもともと家じゃない。俺たちの家は幸倉だ」

 その言葉にコクリと頷く。蒼兄は理由を訊かずに了承してくれた。

 そこに、「たのもーっ!」と廊下から唯兄の声がかかる。

「くっ、唯か。翠葉、ドア開けてやんな」

 ドアを開けに行くと、トレイに三人分のお茶とフルーツサンドを乗せた唯兄が立っていた。

「俺も入っていい?」

「どうぞ」

「じゃ、失礼しまーす」

 ドア口で唯兄の動きを見ていると、

「ほら、お茶冷めちゃうよ」

 と、席に着くよう促された。

 ドアを閉めると、三人でローテーブルを囲む。

「リィ、全然リビングに出てこなくなっちゃうしさ、この部屋に入っていいものか悩んだよ」

「あ……ごめんなさい。海斗くんたちは?」

「えええっ!? 聞こえてなかったの? 帰るときにあんな盛大に廊下から声をかけて帰ったのに」

 ……知らない。復唱でしか勉強ができない今は、普段よりも集中しないと覚えられないのだ。話しかけられても気づかなかったかもしれない。

「うわぁ……本当なんだ? 勉強中に話しかけても気づかないとか、便利で厄介なシャットアウト機能が標準装備されてるとか」

 機関銃のようにまくし立てられて唖然としていると、「これ」と唯兄がフルーツサンドを指差した。

「司くんが帰り際に作っていった。夕飯もほとんど食べてなかったし、勉強で糖分必要とするからこれだけは食べさせてくださいって。彼、いい人だね? ちゃんとお礼言っておきなよ?」

 プレートを目の前に置かれて、「うん」と答える。

 フルーツサンドはお箸を持つ必要がないし、硬いものじゃないから持っても痛くない。これなら食べられる……。

「明日の朝の分もあるし、さっき栞さんに電話してスープの作り方も聞いたから」

 唯兄の言葉に少しびっくりしていた。そして、言おうかどうしようか悩んで、結果的に話すことにした。

「唯兄、あのね――」

「俺ら、テストが終わったら幸倉に帰るけど、唯はどうする?」

 私の言葉を追い越して蒼兄が口にした。

「そうなの? どうしよっかなぁ……。リィがここにいないんじゃ、俺がここにいる意味ないしなぁ」

 ……やっぱり、私がここにいるから唯兄もここにいるんだよね。

「俺も一緒に行ったら迷惑?」

 え……?

「部屋はひとつ空いてるから問題ないぞ? 今なら俺の部屋のパソコンはメインコンピューターにつながってるし」

「あぁ、あれはすごく簡易的なものだから、少し手を加えなくちゃいけないけど、そんなに大変な作業でもないかな? 蔵元さんのお許しが出たらそうしようかなー?」

 トントン、と進む話に口を挟めずに入ると、

「何? リィ、目ぇ見開いてるけど」

「……ホテルに帰らないの?」

「あ……もしや迷惑? 俺うざいって思われてる!?」

 少し焦ったように訊かれて、私も焦る。

「違うの、そうじゃなくてっ――私がここにいるからここにいるっていうのは、私が手のかかる子だからじゃないの……?」

「……何、それ」

 何それって……そうなんじゃないの?

「俺がここにいるのは俺の意思なんだけど」

 唯兄の、意思……?

「妹に関するリハビリはほぼ終わってる。でも、俺、言ったよね? もうすこし兄妹ごっこ続けたいって。それが俺の意思だよ」

 二週間ちょっと前のやり取りを思い出す。

「ひとつ訊いてもいい……? でも、訊き返されたくはないの……」

 すごくわがままなこと言ってるな、と思いながら唯兄の顔を見た。

「いいよ。聞いてあげる」

「秋斗さんはまだ出張中……?」

「……そう、出張中。でも、トラブル自体はだいぶおさまってるから、出先で通常手がけている仕事も並行してやってるの。俺の仕事量が減ったのはそういう理由」

「……そう、なのね。なら、いいの……。ありがとう」

 私がここにいるから帰ってこられないわけじゃなかった。それだけがとても気になっていたからほっとした。

 そのあと、お茶を飲み終わるまで幸倉のおうちの話をしていた。明日からテストなのに、全くそんな雰囲気の部屋ではなかった。とても和やかであたたかい空間。

 時の流れがいつもこんなふうに穏やかであればいいのに――。

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