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光のもとでⅠ 第八章 自己との対峙  作者: 葉野りるは
本編
29/55

29話

 家に帰ってきてからは、私が起きている時間はずっとお母さんが側についていた。

 特別な話はしない。天気の話から他愛もない話をするだけ。でも、楽しいと思えたし幸せだと感じた。

 お母さんは私の話に出てくる桃華さんと司先輩に会えたことが嬉しかったみたい。

「司くん、格好いいわねぇ? 湊先生とそっくりでびっくりしちゃったわ」

「寝起きだと湊先生と司先輩が咄嗟に判断できなくて、何度も絶叫しそうになったのよ」

 そんな話をすればお母さんはクスクスと笑う。

 その会話に唯兄が混じり、さらに大きな笑いへと発展する。途中、栞さんから電話があり、明日から復帰できる旨を伝えられた。

「じゃぁ……私は現場に戻るわよ?」

 最後の確認のように言われる。

「うん。お仕事がんばってきてね。私もがんばるから」

 お母さんは何も言わないけれど、すごく不安そうなのが見て取れる。

「私には蒼兄と唯兄、それから栞さんもいるから大丈夫」

「……そうね。唯くんがずっと家にいてくれるのはものすごく心強いわ」

「……自分にはなんの処置もできませんけどね。でも、病院に連れていくくらいはできるので」

 毅然と答える唯兄に、

「翠葉をよろしくね」

 お母さんは少し丁寧に頭を下げた。

「碧さん、頭下げるとかやめてください」

 言われてお母さんは頭を上げ、唯兄をじっと見ては首を傾げる。

「……なんでかしらね? 唯くんが息子に思えてきたわ」

 言いながら真顔で考え込む。

「なんでしたら兄弟役に加えて息子役も買って出ますが?」

 唯兄がニヒと笑っておどけて見せると、

「それもいいわね」

 と、お母さんの楽観的な声がはずんだ。

 夕方には蒼兄が帰って来て四人揃ってご飯を食べた。食後、すぐに眠気がやってきてお風呂の時間まで休む予定が、翌朝まで私は目を覚まさなかった。


 目が覚めたのは翌朝六時。基礎体温計のアラームで目が覚めた。

 お母さんも同じように目を覚まし、

「具合はどう?」

「今は痛くないみたい。だから、今のうちにお風呂に入っちゃおうかな」

「じゃ、用意してくるから少し待ってなさい」

「うん、お願いします」

 お母さんが家を出るのは午後一時。それまでに発作が起きないことを祈る。

 せめて、送り出すときくらい笑顔で見送りたい。そう思えば、予防的に薬を飲むという行動に出るのはごく自然なことだった。

 ご飯も食べずに薬を飲んだら胃を荒らす。そうとわかっていても飲まざるを得なかった。

「どうしたの? 怖い顔をして」

 お母さんに声をかけられて我に返る。

「えぇと……少し成績落ちちゃったなぁ、と思って」

 ローテーブルに置いてあるテスト結果を指差した。

「それでも悪い成績じゃないし、私や零はこんなことじゃ怒らないわよ?」

 真顔で言われて少し罪悪感を覚える。

 私、どれだけ嘘を重ねればいいんだろう……。

「お風呂の用意できたから入ってらっしゃい」

「うん」


 今日は生憎の雨模様。痛みが出やすい日だ。それでも一時までは、と思う。

 お風呂に入り好きな音楽を聴いていると、心なしかリラックスできた気がする。

 身体が温まると少し筋肉の硬直がほぐれる気がして、湯船の中で無意識に身体中をマッサージしていた。

 お風呂から上がると朝食の用意が整っており、蒼兄は大学へ行く時間になっていた。

「翠葉、無理はするなよ」

「うん」

 蒼兄はそのあとすぐ家を出た。

 髪の毛を拭きながらリビングのラグに腰を下ろすと、

「髪の毛はちゃんと乾かさないと風邪ひくわよ」

 お母さんの言葉に、ご飯を先にするか髪の毛を乾かすか悩んでいると、ドライヤーを持った唯兄が現れた。

「俺が乾かすからリィは先にご飯食べちゃいな」

 テーブルに着くと、頭の後ろでゴォー、とドライヤーの音が鳴り出した。

 私の前にはサラダとスープが置かれている。これなら食べられそう。

 お母さんが席に着くと、

「昨日の夜にゼリー飲料が届いたわ。どうしても食べられないときはゼリー飲料だけでも口にしてね」

「うん、ありがとう」

「それから、今日の午後には小さな冷蔵庫が届くから、あとで唯くんにお願いして部屋に設置してもらいなさい」

「どうして冷蔵庫……?」

「キューブ型の小さいものだけど、その中にゼリー飲料を入れておけばベッドからキッチンまで行く必要はないでしょう?」

「……何から何までありがとう」

「親なんだから当然よ。むしろ、家を空けることは親らしくはないでしょうけれど」

 きっと不本意なのだろう。顔を歪めるお母さんを見てそう思った。

「ごめんね……。でも、私はそれを望んでいるの」

「……わかっているわ。いいものを作ってくる。だから、早く元気になってそこへ行こうね」

「うん。そのときは唯兄も一緒がいいな」

「当たり前でしょう? もちろん、嫌とは言わせないわ」

 お母さんが軽く唯兄を睨むと、唯兄は嬉しそうに笑っていた。

 なんだか本当の家族みたいでとても嬉しかった。


 朝食が終わり薬を飲んで横になると、サイドテーブルに置いてあるカレンダーが目についた。

 今日は七月十四日水曜日。今週の土曜日が終業式で、十八日の日曜日からは夏休みだ。

 毎年、十九日から二十一日頃に梅雨明けとなる。今年も予想では十九日に梅雨明けと言っていた。

 なのに、どうしてだろう……。

 一向に痛みが軽減する気配がない。それどころか、どんどん痛みの範囲は広がるし、痛みのレベルも上がっている気がする。

 連日痛むのは季節柄仕方がないとして、苦痛を伴う痛みが続くことはそうそうあることではなかった。

 一日の間にまとまった睡眠を取れる日はまだいい。けれども、いずれは痛みで眠れない日がくるのではないだろうか。

 そんな不安が常に付きまとう。

 その不安を紛らわせるために、大好きな久遠さんの写真集を眺めて過ごしていた。

 久遠さんの写真は久遠さんのフィルターを通した世界が広がっていて、幻想的な世界に見える。

 雫ひとつもキラキラとした宝石のように思えた。

 森の木々は阻むものを何も知らないように天へ向かって伸びる。その様がひどく美しく見えた。

 私もこんなふうに真っ直ぐに生きられたらいいのに……。

 木のように人生を送る人はいるのだろうか。ただひたすらに真っ直ぐ、目的を目指すようにわき目も振らず――。

 ふと、司先輩が頭に浮かんだ。

 司先輩はお医者様になるために、日々勉強を欠かさない。

 きっと、具合の悪い人を放ってはおけない人なのだろう。

 もっと違う意味で親しくなれた気がしていただけに、昨日の言葉と今の想像を照らし合わせてしまうとひどくショックだ。ズン、と気持ちが沈むのがわかるくらいには……。

「でも、もともと女子は苦手と言っていたし……」

 どうにかして自分を納得させようと試みる。

 今まで、司先輩には彼女がいたことはないのだろうか。

「そっちのほうが不思議……」

 あんなに格好良くて頭も良くて優しくて……。

 現に学校中の女の子に騒がれるような人なのに、浮いた話ひとつ聞いたことがない。

「今度桃華さんか海斗くんに訊いてみようかな?」

 ……あれ? どうして私は司先輩の詮索をしているのだろう。

 理由はわからない。でも、一度気になると疑問は際限なく湧き上がる。

「えぇと……こういうときは」

 精神統一か瞑想か寝る……だったよね。先のふたつは無理そうだから、寝ちゃおうかな……。


「翠葉ちゃん、お昼なんだけど起きられるかな?」

 目を開けなくてもわかる。これは栞さんの声だ。

 でも、どうして……?

 確認のために目を開けると、やっぱり栞さんがベッドサイドで私の顔を覗き込んでいた。

「神崎栞復活です」

 かわいらしい声にはしっかりと芯があった、

「今十二時前。もうすぐお昼だから起きようか」

「はい」

「碧さんが一時には発つって言ってたから、見送り兼身体慣らしに出てきたの」

「……もう、大丈夫なんですか?」

「そうね、ほとんど大丈夫。それに、ここでの仕事って病院の勤務みたいにハードなものじゃないから。自宅で過ごしているときの家事とそう変わりはないわ」

 確かに、うちでやることといったらご飯の支度と掃除と洗濯。それから私の介助くらいなものだ。

「それに、若槻くんがいるから男手もあるしね」

 まだ華奢さは感じるものの、頼りない感じはどこにもない。

「身体起こせる?」

「はい」

 痛みは地味に続いている。けれども身体を動かせないほどではないし、痛みが起きることで多少は血圧が上がる。それが功を奏しているのか、低血圧発作は起こさずにいられた。

「翠葉ちゃんがほとんどスープしか飲んでないって聞いたから、家でパンを焼いてきたわ。焼きたてよ?」

「嬉しい……」

「少しでいいから炭水化物も摂りましょう」

 栞さんは立ち上がるのに手を貸してくれ、そのままリビングまで付き添ってくれた。

 最近はダイニングとは形ばかりで、リビングのローテーブルでご飯を食べることが多い。

 自室を出ると、テーブルにはすでにランチが用意されていた。

 お母さんたちはホワイトシチューとサラダとパン。今日は私にも同じメニューが並んでいた。


 人が増えると会話も増える。人が話している話を聞いていられるだけで満足だった。

 緊張を感じないでいられる時間が幸せだと思えた。当たり前に存在する時間を当たり前に過ごせることが幸せだと思えた。

 けれども、私を見ていた栞さんの目にはそうは映らなかったらしい。

「翠葉ちゃん、本当に食べる分量が落ちたわね」

「……でも、今だけですから。あと少しで梅雨も明けます」

 笑みを添えたけれど、心の中は不安でいっぱいだった。

「お薬飲んだら横になるけど、お母さんが行くときには起こしてね?」

「わかったわ。ベッドまで一緒に行こうか?」

「ううん、そこまでしてもらわなくても大丈夫」

 そう言って、ひとり先に食卓から離脱した。

 自室に入り天蓋を閉める。今、自分の顔を人に見られるのが嫌で……。

 不安を顔に出さないようにしているつもりでも、きちんと隠せているのかには自信が持てなかったのだ。

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