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光のもとでⅠ 第八章 自己との対峙  作者: 葉野りるは
本編
14/55

14話

「リィ、七時回ったから起きよう」

「ん……」

 まだ頭がはっきりしない中、唯兄に手を引かれて部屋を出た。

 廊下を歩きながら考える。

 もうみんなは集っているのかな……。今日は秋斗さんもいるのかな……。

 少し後ろめたい気持ちでダイニングに踏み入ると、そこはとても静かだった。

 ……人が、いない? 会食は……? みんなは?

「今日はみんな予定が合わないみたいなんだよね」

 唯兄の言葉に疑いの眼差しを向ける。と、キッチンから蒼兄が出てきた。

「起きた? なら夕飯にしよう。今料理を運ぶからそっちにいな」

 言われるままにラグに腰を下ろしたけれど、変……だよね?

「海斗くんと司先輩はマンションにいるのでしょう?」

 綻びを見つけるように尋ねると、

「海斗っちの勉強仕上がりが悪いみたいで、司くんが鬼になってるらしいよ」

 ……その様は想像ができなくもない。でも、夕飯の時間はしっかりと取る人たちだと認識していて、違和感を覚えずにはいられなかった。

「須藤さんが摘んで食べられるものを作ってくれたんだ」

 蒼兄が両手にプレートを持って後ろから会話に混ざる。

「唯はスープカップ持ってきて」

「了解っ!」

「十階の湊さんの部屋で、きっと同じものを食べてると思うよ」

「それならここで食べても……」

 突き詰めて訊いてしまいたい気持ちと、全部を知るのが怖い気持ちが半分半分で語尾が弱くなる。すると、蒼兄がクスクスと笑いだした。

「翠葉と一緒に食べてたらなかなか席外せないだろ?」

「え……?」

「あぁ、リィは食べるののんびりだもんね」

 それが何か関係するのだろうか……。

「翠葉、司は翠葉が食べ終わるまで席を外さない人間だと思わないか?」

「……うん、そういう人だと思う」

 ……あ、れ――?

「私が食べるのゆっくりだと、その分タイムロスするということ……?」

「ご名答~!」

 手元にハンドチャイムがあろうものなら、それをカランカランと鳴らしそうなノリで唯兄が答えた。

「海斗くんたちなら十分十五分でご飯食べられるからね」

「そっか……」

 それなら納得できる。

「秋斗さんは……?」

「秋斗さんなら仕事の打ち合わせで本社に行くって言ってたよ」

 そっか……。出張から帰ってきたばかりだものね。

 全部訊いたら少しほっとした。

「さ、冷める前にいただこう」

 テーブルの上にはオードブル風の色とりどりのおかずにホワイトシチュー。ライ麦パンにサラダはトマトの輪切りと大根の千切りサラダ。

 ドレッシングはなんだろう……。

 じっと見ていると唯兄が教えてくれた。

「梅ドレッシングって言ってたよ」

「嬉しい……」

 ここしばらく梅を食べていなくて、食べたいと思っていたところだった。

「あ……でも、司先輩に止められたんだ」

 大好きなものを目の前に沈没しそうな気分。

「翠葉、ホワイトシチューを食べたあとなら大丈夫だって」

 蒼兄の言葉にはっとする。

 ……胃に粘膜ができるから?

「そういえば須藤さんは……?」

「今、司たちのところに料理を運んで用意してるところ」

 蒼兄が言い終わる前に玄関で音がして人が入ってきた。

「翠葉お嬢様、お加減はいかがですか?」

 やや心配気味の表情をした須藤さんに訊かれる。

「大丈夫です。それより、梅ドレッシングっ。ありがとうございました」

「喜んでいただけて何よりです。ただし、シチューを半分ほど召し上がられてからになさってくださいね」

 それに素直に返事をすると、

「すみませんが、今からホテルへ戻らなくてはいけません」

「片付けなら俺がやるから大丈夫ですよ」

 唯兄が口にすると、「当たり前だ」と上から目線で須藤さんは唯兄を見下ろした。

 須藤さんが帰ると、再び食卓に着く。

 夕飯で必要になるカトラリーはフォークとスプーンだった。

 お箸よりは断然に楽。食べるものに硬いものがあるわけではないので、フォークを軽く刺せば困らずに食べることができる。スプーンも同じ。シチューを掬うだけなら痛みはさほど感じない。パンがハードタイプのものでなくて助かった。柔らかいパンを千切るのも問題なくできる。

 困るものが出されなくてよかった……。

 そのおかげなのか、今日は意外と食べられている気がした。途中で蒼兄に、「無理はしなくていいよ」と声をかけられるほどには食べられていたのだと思う。


 夕飯が終わり、お風呂に入りながら考える。私はいったい何に安堵したのだろう、と。

 今日起きた変化と呼べるものはひとつだけ。

 秋斗さんと会ったこと。

 秋斗さんと会えたから? それとも、すべてが白紙に戻ったから? それとも――臆病な自分を秋斗さんがそれでも好きだと受け入れてくれたから……?

 ちゃぷん――。

 バスタブで前屈をすると、身体がすっぽりとお湯に浸かり、周りでコポコポと自分の吐き出した空気が浮上していく音が聞こえる。

 ゆらゆらゆらゆらお湯の中。ずっとこの中にいられたらいいけれど、私の息はそんなに長くは続かない。

 息苦しさを覚えて上体を起こす。湿気を帯びた酸素薄めの空気を肺いっぱいに吸い込み、

「ただ、ずるいだけじゃない……」

 前には進めず、なかったことにはできず――。

 自分の不甲斐なさを改めて感じることで涙が溢れてきた。喉の奥からこみ上げてくる嗚咽を必死に堪え、涙が枯れるまで泣いた。

 お風呂はいい。蒼兄も唯兄もここには立ち入らないから。

 でも、栞さんはきっと入ってきちゃうだろうな。

 そう思うと少しおかしくて、ほんの少し笑うことができた。


 実家に帰っているという栞さんは気になるけれど、やっぱり今の私はお見舞いに行ける人間ではない。それだけはしっかりと肝に銘じよう。

「翠葉、大丈夫か……?」

 曇り戸の向こうから蒼兄の心配そうな声がかけられる。いつもよりも長く入っているのかもしれない。

「大丈夫。あと少ししたら上がるから」

 普通に、いつものトーンで返す。

「倒れる前に上がれよ?」

 そんな声と共に、蒼兄の気配はなくなった。

 お風呂はいい。どんなに鼻声になっていても、音の反響のせいか、ドアの向こう側にはそれすらもわからなくさせる。

 最後はシャワーで冷水と温水を代わる代わる顔に当て、瞼の腫れを引かせる。こんなことができるのもお風呂ならではだ。

 お風呂を上がる前の最後の儀式――冷水を手脚に浴びせ、シャワーのコックをきゅ、と捻る。

「まだ大丈夫……。まだ、お風呂に入る余裕はある」

 それは一種私のバロメーターだった。

 バスルームを出て洗面所の鏡に映る自分を見る。

 だいぶ痩せた……。

 自分でもわかるそれを隠すようにバスタオルに包まれる。そしてもう一度鏡を見ると、自分の目に視線を合わせた。

「テストが終わったら帰ろう、幸倉の家に……。だから、それまではがんばって――」

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