参
『今一度訪ねる。汝が我と契約を望む者か?』
仮面が俺に再度訪ねてくる。
「え、えっと……」
俺は目を白黒させて目の前の現実を受け入れようと努力する。まさか仮面が浮かんで、更に喋るとは思わなかった。とあるゲームでは表情豊かで主人公の身代わりになり、三個集めれば一定時間無敵に慣れる仮面があるが、それと似たようなものだろうか?
ゾンビやゾンビ犬がいるんだから、浮いて喋る仮面がいても不思議じゃない。そう自分に言い聞かせる。
言い聞かせて、納得させるのに二呼吸。こんな目に遭っているから、順応力が上がっている。
そして、俺は仮面に尋ねる。身体の強張りは緩和されたけど、まだ息切れしているから途切れ途切れに。
「ごめん、契約って、何だ?」
『何だ? 知らずに契約陣に血を捧げたのか?』
仮面は呆れ混じりに嘆息する。
「契約陣?」
『汝が今いる場所に刻まれている陣の事だ。この陣に血を捧げる事により、契約の儀式が始めるのだが……』
仮面の言葉につい下を見る。この光っている魔法陣が契約陣なのか。そして、契約に蜂を捧げる必要がある。……何か、物騒な儀式だな。
『見た所、捧げられた血は汝の鼻孔から垂れた血のみだな。まさかそれだけで我が呼び起されるとは思わなんだ』
この仮面の口振りからして、本来の儀式ではもっと大量の血が必要になって来るんだろう。けど、どうしてだか俺の場合は鼻血数的で事足りた、と。
『まぁ、それはよい。汝の質問に答えるとしよう。契約とは、我の力の一部を汝が扱えるようにするものだ』
「力?」
『そうだ。我の力の一部が扱えるようになれば、汝の後ろで今尚牙を立てている腐肉犬をも容易く黄泉へと送る事が出来る』
ふと、後ろを向けば未だにゾンビ犬二匹が俺目掛けて跳び掛かってきているのが目に入る。
しかし、ゾンビ犬は光に阻まれて俺の方へと来る事が出来ずにいる。
『安心しろ。契約が成立するか、不成立するかまで契約陣によって守られ、こちらに干渉は出来ぬ』
契約中は妨害されないようにしているのか。
ただ、あくまで契約している最中は、だ。契約が無事に終わるか、失敗するかすればこの光は消えるのだろう。そして、障壁がなくなればゾンビ犬は俺へと襲いかかって来れるようになってしまう。
そうなると、俺の永らえた命は儚く消えてしまう。
「……本当に、あれをどうにか出来るのか?」
『無論だ。だが、相応の代償は存在するがな』
「代償……」
『代償とは言うが、そこまで深刻なものではない。あくまで力を使う際にだけ生じるもの。力さえ使わなければ生じない』
代償……。この状況を打破するには契約に用いた血だけでは足りないと言う事。その代償が何なのか聞く前に、仮面の方が先に口を開く。
『さて、どうする? 汝の立場としては、我と契約するしか彼から先へと続く道はないと思うが?』
「……そうだな」
代償が何なのか、その心配は後回しにしてしまおう。今知る事も出来るが、訊いた瞬間に契約を躊躇うかもしれなくなる。
そうなるよりは、躊躇せずに今を生き延びる選択をしよう。
「……契約、する」
『そうか。では契約の儀式を続行する』
仮面はその場で一回転すると、僅かに俺に近付く。
『とは言うが、残す手順は後二つ。まず、汝の名を教えよ』
「俺は、津奈木勇希」
『ツナギユウキ、か。ではツナギユウキよ、我も汝に名を教えよう。我が名はイクロック。儚く揺蕩う幽かな魂を統べる者』
仮面――イクロックは俺の周りを回り始める。
『ツナギユウキよ。汝は我と契約を交わし、いつ何時、我と共にあると誓うか?』
「誓う」
すると、魔法陣の光が赤く変化する。まるで鮮血のような、鮮やかな赤色に。
『よかろう。これで最後だ。我を被れ、さすれば契約は完遂し、我の力の一部を扱えるようになる』
イクロックは俺の手の中に降りてくる。
俺は契約を終える為にイクロックを被る。
すると、被った瞬間は除き穴が無く真っ暗だったが直ぐに視界が良くなり、前のめりになる感覚が襲ってくる。
魔法陣の光が無くなり、ゾンビ犬が襲い掛かってくる。
「温いな」
が、ゾンビ犬は俺の目の前に突如現れた少女に容易く薙ぎ払われてしまう。
「ツナギユウキよ、何時まで倒れている?」
少女の髪は真っ白で、瞳の色は底冷えするような青、肌の色の死人のように白い。
ただ、この見知らぬ少女は俺と同じ高校の制服――しかも男子用の制服を着ていて、口元はイクロックの下半分を形成していた白い部分で隠されている。
「あぁ、これが代償だ。汝が我の力を扱う際に、汝の身体の主導権を我が貰い受ける」
つまり、今俺の身体はイクロックが入っている? と言う事になる。
じゃあ、今の俺は? と思いながら自分の身体を見ると半透明になっていた。服はぼろぼろの擦り切れた灰色のもので、肌の色は淡い黒。顔に手を当てれば上半分に何やら被さっている感触がある。多分、イクロックの黒い上半分かもしれない。鏡が無いから確認出来ないけど。
現状を確認していると、ゾンビ犬がふらふらと起き上がり標的を俺に再度ロックオンしてくる。
「さぁ、ツナギユウキよ、そこの腐肉犬二匹を安らかに眠らせてやれ」
「いや、どうやって?」
「簡単な事だ。目を凝らせ。さすれば腐肉犬の中に光る珠が見える。それを引き抜け」
「引き抜くったって」
「やれ」
有無を言わさぬ言葉に、俺は目を凝らしてゾンビ犬二匹を見る。
すると、薄らとゾンビ犬の中に光る珠が見え始める。二つとも淡い青の光を発している。
「見えたな? では、引き抜け。安心しろ、その状態なら腐肉犬に喰らいつかれる事はない」
俺はイクロックの言葉を信じ、ゾンビ犬二匹へと駆ける。ゾンビ犬も同時に跳び掛かってくる。
両手を前に出し、丁度跳び掛かってきたゾンビ犬の中にある光の珠へと軌道を合わせる。
俺の手は衝撃を受ける事も無く、ゾンビ犬の中へと入り込み光の珠へと触る。
珠は嫌に冷たく、思わず手を離してしまう。
その際にゾンビが俺の喉元と胸に喰らいつこうとするが、そのまま何事もなく通過してしまう。いや、透過してしまったが正しいのか?
今の俺は肉体を持たないから、物理的な影響を受けないのか? だからイクロックは喰らいつかれる事はないって言ったのか。
地面に着地したゾンビ犬はめげずに俺へと再び跳び掛かってくる。余りの冷たさに放しそうになるも、今度はきちんと光る珠をしっかり掴み、身体から引き抜く。
すると、身体から抜かれた珠は即座に温かくなり、空気に溶けるように消えて行った。それと同時に、ゾンビ犬は力が抜けたように弛緩し、そのまま地面へとダイブする。ピクリとも身動きせず、体が暗くになったかと思えば灰となって崩れ落ちる。
「うむ、これであの腐肉犬二匹の魂は黄泉へと向かった」
イクロックは灰となったゾンビ犬二匹を見つめる。
これで、俺は生き残る事が出来た。
命の危機から脱した安堵からどっと疲労が襲い掛かってくる。
兎にも角にも、よかった……。