3、熊庭亭のバーマントゥ
人間の街は目に入る全てが新しくて、雨上がりの草原みたいにピカピカ輝いて見えた。俺でさえそうなんだ、パイホゥなんてガラにもなく目をキョロキョロさせて挙動不審、終いにゃ「目が乾いて痛いよ」なんて笑う。
「だって一秒でも目を閉じるのがもったいないからね」
すぐにパイホゥは仕事を探して回ったけど――まあ人生甘くないよな――どうにもうまくいかなかった。そのへんの人間と話したって、言葉にもならない鳴き声じみたものをこぼすだけだったしな。
それに。
なあ、例えば魚屋がさ、「このニシンはマズイと思うけど買ってくれないか」ってやってきても、あんた買わないだろ?
つまりそういうことさ。
自分嫌いのパイホゥが、自分を他人様に売り込もうってんだ、そりゃ無茶ってもんだ。結局、腹を空かせて行き倒れたところを太っちょのオバサマに声をかけられた。くたびれた紫色のドレスに、クチバシまでひん曲がりそうな酷い香水だった。
パイホゥは身構えた。おれは屋根の上まで飛んで逃げた。なんだかんだ言っても――「人間は危険」――里でそう育てられたってことだ。
「あんた、食わせてやるからバーマン(バーテンダー)としてウチのパブを手伝いな。戦争に取られて男手が足りないんだ」
「……えっと、あうあうあー」
パイホゥは相変わらずだったが、おれは人間と話すわけにゃいかないし、物事の行く末を黙って見てた。
「あんた名前は」
そう言ってオバサマは蒸しパンを投げてよこした。
「……マントゥ」
パイホゥはつい、そう呟いた。その蒸しパンが、俺たちの里でいうマントゥとそっくりだったんだな。
「そう。じゃあマントゥ。食事は一日二回、給料は客のチップをそのままやる。部屋がないなら店の屋根裏に住むといい。頑張りな」
オバサマは名前を勘違いしていたしふざけた姿だったが良い女だった。まあ、おれに言わせりゃヒマワリの種をくれるやつに悪いやつはいないね。
それからはパブ「熊庭亭」の寒い屋根裏兼物置に住み込んで番をしながら、おれはただのペットの黒鳩として、パイホゥはだて眼鏡を掛けて「バーマントゥ(バーマンのマントゥ)」という芸名で過ごした。本名を言って万が一クン・ヤンの奴らにバレるのは避けたかったから都合が良かった。
パイホゥは里にいた時よりはるかに生き生きしだしたから、まあ満足だった。ミステリアスなバーマントゥとしてなら人と話せるようにはなったし、足だって姿を現した。ただ気になったのは、多くの人間と触れ合うにつれ今度はウソをつくようになっていったことさ。
もちろん魔術師ってのは隠さなくちゃならないからウソを全くつかないってのは無理があるけどな。でも可能な限りウソなんてのは吐くべきじゃないんだ。
どこから来たのかと聞かれれば、パイホゥは「東の小さな里から」と答えたし、そんならそこはどんなところだと聞かれればその場しのぎで「こことは真逆のところだな」と答えた。
お次の質問は「例えばどういうところが真逆なんだ?」と、こうくる。
お前さんならどう答える?
ウソを言わずに答えられるか?
そう、ウソはウソを呼ぶんだ。
世の中には二種類の人間がいるんだよな。ウソをついて、バレそうになった時に「もうウソはやめよう」って思うやつか「もっとうまくウソをつこう」って思うやつか。
パイホゥは明らかに後者だった。ウソをウソで塗り固めるのが普通になっちまったんだ。でまかせに口数も増える増える。
だて眼鏡をかけた瞬間にバーマントゥへと変身し、パイホゥがこれまで溜め込んできた言葉は機関銃のように吐き出された。ウソは確かに混じってたが、それでもおれはたまげたね。こいつがどんだけ豊かな世界を抱えてたかってさ。
やがて、だて眼鏡の奥の小さな目のオリエンタルな容姿に不思議なイントネーション(ド下手な翻訳魔法のせいだ)、どこかトボけたキャラが面白いってんで、売れっ子バーテンダーになった。
パブのママはパイホゥが何かしらウソをついていることはわかってたみたいだったな。
店を片付けている時、ふとこう言ったことがある。
「ま、今はスネに傷のない奴の方が少ない世の中さ。ウソでも何でも、それで生きてんだからあたしは何も言わないよ。ただ、ウソを吐くなら吐きとおすくらいの甲斐性は持っときなよ」
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