snow white
「すんっごい綺麗だったよ!あれ、『白雪姫』だよね!」
先程までの翳を帯びた表情は一瞬で消え、きょるんとした笑顔を浮かべてジュジェがリーゼに抱きつく。暑いでしょ、とジュジェを引っぺがしながらリーゼも満更でもない表情だ。
「そう。苹果は自分やお母様にとっては悲しみと憎しみの象徴だけど、優しくしてくれたあなた達との暮らしを思い出します。あなた達のおかげで幸せになれた。って、ちょっと不揃いな所に準えて歌ってみました」
がらでもないよね、とリーゼがエルモの顔を覗き込む。
そんなことありません!と慌てて否定する。
それは、自分が思ったよりも、少し大きな声だったようでリーゼのもジュジェも目を丸くしている。
「だって、リーゼさんの髪も言葉も、本当にお伽話のお姫様みたいですごく綺麗だったもの!」
嘘偽らざる本音だった。
エルモという人格が出来てまだ半年足らずだけど、あんなに綺麗なものは見たことが無かった。
エルモの為だけに、苹果に想鎖術をかけてくれた時よりも、ずっとずっと。
誰かに見られ歌うリーゼは、とても綺麗だった。
「格好よかったし、僕もあんな風に……あんな風に想鎖術を使えるようになったら、そうなったらすごくいいって!」
ぎゅっと胸の前で握りしめた手が、何かを握っていた。
硬いけれど、やわらかい手だった。
自分を養ってくれた師父や修道女たちも同じような手をしていた。働く者の、手だった。
その手は白い腕へ、そして紅茶の髪を持つ女性へとつながっていた。
とん、とジュジェがリーゼの脇腹を肘で小突いた。
「ずいぶん熱烈な愛の告白をされてませんか、リーゼさん?」
「え?あ?……ああっと、有難う?」
はにかむようにして、リーゼが微笑んだ。
「そんなこと言われるの。初めて。嬉しいよ。有難う」
もう一度微笑まれて、心臓がどくりと鳴った。
「や―い!売女めが!」
そんな言葉と共に飛んできたのは、あれは―――瓶?
「危ない!」
勢いよく腕を引かれ、背に庇われる。
―――パシャン!
「きゃっ!」
小さな悲鳴が上がる。
酸味と甘みのある香りが辺りに充満する。これは………シードル?
「リーゼさん!」
飛び出しかけたエルモに、黙って、とリーゼが言い放つ。
べたつく液体に濡れる頬だけを拭い、無言で歩き出す。
歩みは、一度とて緩むことなく瓶を投げた少年へと続いて行く。
「な、何だよ……!」
恐らくは十二、三だろう少年は明らかに怖じ気づいている。
虚勢を保とうとしているがリーゼの手が少年の耳朶にかかったその瞬間に表情を失った。
ふうわりと、
冷たくどこか妖しげに微笑んだリーゼは、少年の耳朶に向けてそっと言葉を吐き出す。
何を言ったかは聞き取れなかったが、少年の耳元から唇を離したリーゼは、やや大きな声になり
「いいこと?ばらされたくないのなら、好きだと思うのなら、余計なちょっかいはやめておくことね。……ねえ、そう思わない?」
言葉の後半は、既に少年を離れ細い路地のあちこちへと放たれたもの。
恐らくは、路地の何処かへ潜んでいるだろう少年の仲間たちへと。
「な、何だよ!気持ち悪いな!覚えとけよ!」
陳腐な捨て台詞を残し、少年が更に細い路地の奥へと引っ込む。
それを見届けてから、リーゼはうんっと伸びをして二人を振りかえる。
未だぬれそぼる紅茶の髪を翻し
「あー、疲れた。おまけで冷たい飲み物でもご馳走してよ」
濡れた髪を絞るリーゼの手から、たらと何かが垂れ下がっている。
それは、リーゼの紅茶色の髪よりも鮮やかな緋色をした。
リーゼさん!
そう叫んだはずなのに、その自分の声が耳に入らない。
世界が暗転する。
知らない、こんな世界は知らない。
こんな、一つの色もない世界を、自分は知らない。
嫌だ、怖い。感情が理性を凌駕し、甲高い悲鳴を上げようとしたその刹那。
ぱっと、目の前に飛び込んできたのは、鮮やかな紅を帯びた茶色。
エルモ!と同時に名前を呼ばれる。
エルモ。そう、それが自分の名前。
―――セントエルモ・ホルス・ヘスペソデス
闇を打ち払うようなその色に引っ張り起こされて、意識が復活した。




