覚悟
「誰なんだろうね、私は」
そよぐ薔薇色の髪がより赤みを増して、血のような色へ。
口許は愉しげに吊り上っているのに、瞳が、全く笑っていない。
あの優しく艶やかな気配は、もう何処にも微塵にも、感じられない。
あるのは、何処か艶やかだが、高圧的な気配。
少女が、一歩。
こちらへ寄ってくる。動けない。
魅入られてしまったように、琥珀色の瞳を見つめ続ける。
また一歩、もうすぐ触れられる距離まで。
手が伸びる。
また一歩。
こめかみに指が触れる。
ぞくりと冷たい、この世のものではない温度。
骨の作りのはっきりした、女性にしては陽に焼けて武骨な印象の手。
それが、ぴたりと肌に吸いつくように、添えられる。
「―――っつ」
鋭い痛みが頭皮を襲う。髪を一本抜き取られたのだと悟る。
「いい色の髪をしているね。良く混ざっていて、想鎖術にはぴったり」
身近に使えるものが何もなかった時に、想鎖術師は自分自身の持ち物を対価として使う。
だから、より多くの色を身体の内に持っていることもまた、才能の一つ。
その中でも、エルモの髪はきわめて特殊な色をしていた。光の当たり方で色が変わるのだ。
「緑、黒、紫、それに赤と金色かな……。うん、なかなか」
再び頬に、次いで髪に、くしゃりと触れる。
「綺麗な、玉虫色をしているね」
瞬間―――エルモの頬の辺りが光った
。鋭い極光が眼球のすぐ傍で発され、思わず目をつぶった一瞬の内に、現れたのは
「ああ、そんなに怖い顔をしないで。こんなものしか、読めなくてごめんね」
緑、黒、紫、赤、そして金色の大輪の薔薇だった。
こんなもの、ではなかった。
たった一本の髪の毛から、これだけのものを一瞬で読むなんて。しかも想鎖術の為の物語もなく。
それでも、そこにエルモが望んだ、薔薇色はない。
「キミにあげるよ。君の髪の毛一本を対価にして読んだものだから」
頬に、色とりどりの花束があてられる。
「瞳の色も、とても綺麗。これだけ混色しているのに、澄んだ色って言うのも珍しいね」
もう片方の手も、頬に触れる。両側から包み込まれるようにして瞳の色を覗かれる。
「覗色……甕覗き、花色」
まるでこちらを尋問し、楽しむかのように。
「いいえ、瑠璃色ね」
玉虫色、そして瑠璃色。
間違いなく、正確に色を言い当てられる。
「色の名前を正確に呼ぶことができる」才能を持ったエルモが自ら見定めた色だった。
逃れられない。反射的で言いようのない恐怖に、さっと顔を背ける。
途端に、ピッと鋭い痛みが頬を掠めた。
薔薇の棘で頬を切ったのだ。
「いやな花だね。私の可愛い『弟子』を傷つけるなんて」
少女が忌々しげに呟く。すると、花が淡く発光し、はらはらと散り始めた。
あっという間に、花は花びらになり、二人の足元に散る。
「あなたは、一体誰ですか?」
三度目の問い。
「アウローラ」
少女は、悪戯のように答えた。
「アウローラ・ルル・エスカトーレ」
それは、予期していたものと同じだった。
ふわりと、少女が……アウローラが抱きついてくる。
「やっと逢えたね。私の可愛い『弟子』。ずっと、逢いたかったよ」
逢いたかったよ、と繰り返し繰り返しアウローラが呟く。
「今まで、何処に」
「ずっと、ここに……ずっと一緒にいたんだよ。ずっと、ここから君とあの子がいちゃいちゃしているのを見ていた」
抱きついたまま、片方の手を取られる。
そして、そのまま左の胸へと導かれる。
引きちぎられて大きく開いた胸元へ、二つの掌が滑り込む。
「そして、今はあの子が、ここで休んでいる。私が出るために、変わって貰ったの」
極光の名前にふさわしい、強い光を両眼に宿してアウローラが告げる。
「それは、どういう意味ですか」
「ううん、幾らでも教えてあげたいところだけれどね。どうやら、限界みたい」
またもや悪戯っぽくアウローラが微笑む。
リーゼと同じ声帯、リーゼと同じ声なはずなのに、話し方が違う所為か、もっと年を経た女性と対峙している錯覚に陥る。
けれど、そんなに年をとっている訳ではない。カナテと同じか、それよりももっと若い。
三十代の前半……もしかしたら、まだ二十代。
「あの子が目を覚ましたら、あの子に聞きなさい。あなたになら、あの子は真実を話すでしょう」
最も、と付け加え、エルモの手をきゅっと押さえる―――リーゼの胸元に突っ込んだままの、手を。
「この手は、出した方が賢明だけれどね」
片目をつぶってみせる。
「あの子、変な所で潔癖で気まじめだから、後が怖いよ。それもまあ、あの子の可愛いところだけど」
「うわあっ」
慌てて手を引っこ抜く。
「あら、つれないこと」
からかっているのが明らかな口調でアウローラは呟く。
からかわれたエルモはつれないどころではない。
頬も手も真っ赤で、まだ熱を持つ掌にふーふーと息を吹きかけていると、
弟子、と呼ばれた。
顔をあげると、アウローラが笑っていない、ふざけても居ない、ただただ気まじめで不安げな表情でエルモを見つめていた。
それはまるで、何かを心配しているようで。
それもまた、リーゼとは全く別の表情だった。
「また逢いましょう、私の『弟子』。セントエルモ・ホルス・ヘスペソデス―――総ての道に通じる導を持った、黎明のまよいごよ」
真摯な声でそう言い、ふわりと微笑む。
「あの子を、どうかよろしくね。強がっているけれど、本当は寂しがりな弱い子だから」
何処か寂しげなその笑顔は、やっぱりリーゼとよく似ていて。
「あの!どうしてあの子って!名前を、呼んであげて下さい!リーゼって!」
何故か、そんな言葉が口を突いて出た。
「お願いします!名前を、呼んであげて下さい!」
何を、そんなに一生懸命に訴えたいのか分からない、ただ感情の赴くままに叫ぶ。
「あなたの親戚の、一人の女の子だって!名前を持つ、一人の女の子で!リーゼさんは!」
アウローラが、虚を突かれた表情をする。
疲れた表情で髪をかきあげ
「どうして、そう君は……」
それが、最後の言葉だった。
かくん、と少女の膝が折れる。
リーゼとアウローラの境目を、一瞬行く薔薇色の乙女。
羽を失うように、散らばる薔薇色の髪。
幸いごく近くに位置していたこともあり、殆ど時間差もなく、その身体を受け止める。
苦しげに眼を閉じ、力の抜け切った少女の身体を腕に呟く。
「リーゼさん……アウローラ」
ずっしりと重たい身体を引きとめる、この瞬間。
エルモの中に何かが芽生えた。
覚悟、と呼ぶには到底及ばない、けれど今までと確実に違う、何かが。
その気持ちのまま、背中に少女を背負う。彼女の方が長身のせいもあり、またドレス姿の少女の足をそうそう開く訳にもいかず、爪先を引きずってしまう。
うっく、と呻き声が喉から漏れる。蒸し暑い夏の夜の風が海の風と混ざって肌にまとわりつく。
骨格のしっかりした大柄な少女は、それなりに……本当を言うなら、かなり重い。
意識が無いから、尚更。
直接触れる素肌が擦れて熱を放つ。
かなり蒸し暑い。
一歩進むごとに汗が吹き出し、二歩歩くと手足の痺れで前に進めなくなる。
それでもエルモは、必死に足を進めた。二人の暮らした家に向かって。
リーゼの爪先が地面を抉り、細い二本の溝をつくる。
まるで、同じ方向に向かう二本の道のよう。
まだ、信じきれない。何処か道化に化かされたような気分だった。
だから、確かめないと。
そして、月が完全に傾いた頃、やっと家に帰りつく。
合い鍵で鍵をあけ、リーゼの部屋へ。少しでも早く少女を寝かせようとし
「あ、ああ……」
溜息のように、吐息が零れる。やっと、誰も嘘をついていないことを思い知った。
―――ん、でも心配しないで。二週間の内には、きっと会えると思うから。
―――ずっと、ここに……ずっと一緒にいたんだよ。
今までずっと、リーゼの私室だと信じていた部屋はマットだけで上掛けさえないベッドと本棚、机が一つあるっきりがらんどうの部屋で。
そして、机には『アウローラ・ルル・エスカトーレ』宛ての手紙が山と積まれていた。




