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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第三色 『心をこめて花束を』 ~Liese’s lecture 「The last day」~
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空白の扉の縁を私は撫で、あなたの訪れを待つ。空白の縁を歩むことに怯えず、歩むのは自分の足と知って

 十分後に、玄関ホールまでお越しいただけますか。


そうエイガーに頼み、リーゼはエルモを先に応接室へ誘った。

行きがけに寄った食堂から取って来た蝋燭へ順々に火をつける。

全部で五本。蝋燭には何某かのハーブが練り込まれているようで、

少し怪しげなけむい気配が漂っている。


 「何に使うんですか、これ?」

ふふ、と微笑んでリーゼは唇の前に小さく指をあてる。

「ただの雰囲気作りだよ。必要なものはもう、全部揃っているから」

そっと、そしてエルモの背中を押す。

「エイガーさんを迎えに行ってくれる?そのまま連れてくればいいから」

だったら最初から食堂へ呼べばいいじゃないか、と思ったが、やはりそれはエイガーも同様だったらしい。

どうして自分の家を案内されにゃいかんのだ、とかなりのおかんむりだ。


 「僕もそれは疑問に思って入るんですけれど、リーゼさん……師匠の依頼なので、仕方がないです」

そっと扉をあけると、リーゼが優雅なレヴェランスで出迎えた。

想鎖術師の淡黄色のコートに加え羽織っていたシャツまでを脱いでしまい、今は、夜闇に溶け込むような黒いドレス一枚っきり。

それも、あちこちほつれてしまっているせいか全体的にひどくみすぼらしくて、まるで黒魔術の儀式でも始めるかのようだった。


 「こちらへどうぞ、そう、出来ましたらもっと真ん中に」

そうして、部屋の中央にエイガーを立たせる。

蝋燭が揺らめいて、煙と甘ったるい香りが部屋の中に充満している。

本当に、黒魔術の儀式みたい。

でも、そうでないとわかるのは、リーゼがその手に、カスタネットを持っているからだ。


 ……想鎖術で、何をするつもりなんですか?


 カスタネットは、想鎖術を使用する際に、リーゼが好んで使う楽器だ。

エルモは合わせて鈴を使うことが多いが、今は師匠たるリーゼの意図が見えない以上何もしない方が得策。

エイガーのいくらか後ろに控える形でリーゼの動きを待つ。

想鎖術を使う、とリーゼが決めたのだから、そんなに悪いことが起きるはずはない。


 「それでは、奥様が何をお嬢さんに残したのか、それをお見せします」

一度言葉を切って、にっこりと微笑む。

「先程、私達が申し上げたことをお忘れなく」

ああ、とエイガーが頷いたのを見届けて、リーゼが呼吸を切り替える。

うっすらと瞼を閉じ、けれど決して全て視界を閉ざしてしまうのではなくあくまで伏せがちに、という程度。


 カスタネットをはめていない右の指が指揮棒のように揺れ始める。

唇が少し尖る。

まるで、今にも歌いだしそうに。

それは、想像がうまく行き始めた証拠。

肩が自然に揺れて、全身が一つのリズムを生みだす。

ひとつ、艶やかに微笑むとリーゼが声を放った。


『十の扉を渡る鳥よ、この物語を私に頂戴。

 茨の塔のてっぺんで、私はひとりきり。

 だからこそ私は一人で笑うのでしょう。

だからこそ私はあなたと泣くのでしょう』


……すごい、ビンビンと気配が伝わってくる。

唇から洩れでる呼吸が、この世のどんな楽器とも違う清らかで深い音色になる。


『暗き黄昏も、赤き夜明けも私はただ一人で越えるのだから。

 だからどうか、これくらいは許してほしいのです』


何処から対価を手に入れているのだろう。

何処からともなく現れた赤と黒の光がリーゼの周りで不規則に明滅を繰り返す。

白く焚かれた煙の中に、光の線を残す。


『全ての客人が私の元を訪れ、けれど誰も私の元にはとどまらない。

 総ての民が私を愛するけれど、総ての時が私と共にあるのを嫌う』


 やがて、赤と黒の光は飛躍的に数を増し、激しく螺旋を描く。

光は幾重もの残像を描き、そしておぼろげに人の姿を為す。

拾える単語を集めればわかる。

これは『扉のアカシャ』をモチーフにした想鎖術だ。

しかし、リーゼは何を呼び出すつもりなのだろうか。


『眠りにつく刹那の寂しさが、頬を濡らしても、拭う手など無い。

 あなたの掌を夢見ながら、私は今日も終わらない夢の中。

全てのものが消えゆく、その扉の向こうにあなたもいるのでしょうか

私には何もない空白の扉。

その先にこの孤独は終わりを告げるのでしょうか。』


けれど、こんなに悲しい『扉のアカシャ』をエルモは知らない。

十の扉を越えてやってくる客人達との楽しい一時も、旅人の訪れを待ち望む気持ちも。

何もかもが彼女の空白と孤独に塗りつぶされていく。

幸福だと信じていたアカシャ姫の日常が、鏡を割るように砕けていく。


『空白の扉の縁を私は撫で、あなたの訪れを待つ。

 空白の縁を歩むことに怯えず、歩むのは自分の足と知って』


最初は見間違いだと思っていた。けれど、もはや見間違いではない。

ぼんやりと浮かび上がるのは、柔らかな曲線を描くシルエット。

ほっそりとした女性のそれだとわかる姿は、徐々にシルエットから実像に移り変わる。

光の明滅はいよいよ激しくなり、光が旋回するたびに白い奇跡を描くようになる。

遅れて散る、黒と赤の炎。

混ざりあって、いつしか濁った赤紫の炎へと変じる。


 リズムが緩やかに転調する。

同じ音を重ねた短調から、宗教音楽にも似た荘厳な音の重なりを持つ長調へ。


『その扉の向こう側に、全ての旅人が還る場所があるのでしょうか。

そこは、私にとっても還るべき場所なのでしょう。

ならばどうか私に、前に進むだけの力を与えて下さい。

大いなる母の旋律と。ただ一度だけ覚えている、あなたの掌の暖かさを』



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