丘の上のリーゼ
睫毛長いな―、綺麗な子だな―、と言うのが最初の印象だった。
少し離れ気味の垂れ目が、何処か寂しげで儚い印象を見る人に与える。
まだ疲れているのか、やや伏せがちな視線の下で、落ちつきなく両の瞳がさ迷っている。
シチューと麺麭のありきたりな朝食を啜りつつ、リーゼはそんなことを思う。
「ねえ、名前聞いてもいい?」
「あ、えーっと」そこで何故か困ったように眉根を寄せ、視線で何かを訴えかけてくる。
「あたしはリーゼ。丘の上のリーゼ」
リーゼは微笑んで、手を差し出した。
「丘の、上の……?」
「うん。丘の上に住んでいるからね。分かりやすいでしょ?」
躊躇いがちに握り返してくる手は、少年のものにしてはやけに力無い。
「ええっと、僕は」
ちらり、とまた視線を逃がした。こちらから名乗って欲しかったわけではないのかもしれない。
良くわからないままに、どうぞ。と促すと少年は立ち上がり、壁にかけた外套へ手を伸ばす。
何かをポケットから引っ張り出すと、やっと安心したように戻ってきた。
その胸に、鎖と小さなタグがある。
「『セントエルモ・ホルス・ヘスペソデス』です」
躊躇なく自分の名前を読み上げる少年に、リーゼはうん?と一瞬怪訝な気持ちになる。
けれど、すぐにその気持ちは氷解する。
タグを読み上げ、少年がにこり、と笑ったからだ。
純粋で、邪気のない笑みだった。
全体的に寂しげで落ち着きの無い表情が、花を咲かせるように。
俄かに、心臓が高鳴る。こんな風に、男の子に笑いかけられたことってない。
「へえ、綺麗な音だね。西大陸から来たお客さんなんだ?ひょっとして、留学生とか?」
暴れ出した心臓を宥め、名前に集中する。
「あ、そうです。西大陸のええっと、何だっけ。聖主国からです」
それならリーゼも良く知っている。船で一月以上かかる西の大陸。確かその内この東大陸に最も近い国だったはず。
けれど、自分の国の名前も覚えていない?
先程少年の笑みで氷解した疑念が再沸する。
どう見ても、彼の外見は十五歳ほど。それで自分の出身国や名前をきちんと覚えていないと言うのは、とても変で。
「拾ってくれた師父様と、身元を預かってくれた神殿があるから、そういうことになってるんです」
何事もないようにさらっと言い切る少年に、今度はリーゼが目を見開く番だった。
「ごめん。なんか言いにくい話かもしれないけれど、聞いていいのかな?」
いいですよ、と善悪の判断一切なく、少年は自分が見聞きしたこと全てを語ってくれた。
半年ほど前に、行き倒れていたところを、神殿の師父と神学生によって拾われたこと。
目が覚めたときには、と言うよりも元より何も覚えていなかったこと。
ただ一つ、強く興味を覚えたのがこの大陸にのみ伝わるものであったこと。
その為、親代わりの師父と神殿が彼を留学生としてこの大陸に送ったこと。
船でこちらの大陸に渡ってきた所までは良かったが、港町からここまでの定期バスが無く、山一つ越えて歩いてきたこと。
聞いていて、思わずあちゃー、とリーゼは額を押さえた。
「何でよりによって山道越えてくるのよ。海沿いの道をくればすぐだったのに」
「え、でも海の道は危ないからって。乾物屋さんが」
必要な物を買ったら、沢山おまけもくれました、と笑う。
……キミ、騙されたんだよ。そう言い出したいのを、辛うじて飲み込む。
教えてもらえてよかったです。と笑うその笑顔を曇らせたくないと、思ったから。
「無事につけて、良かったね」
本当に、純真な子なのだろう。海千山千の商人の揶揄半分の言葉を信じてしまうほどに。
はい、と少年は笑った。
「決して迷わずに目的地に辿り着けるように、師父様に名前をつけて貰いましたから」
リーゼの呆れ半分、やっかみ半分の言葉にも、また笑顔で頷く。
「名前が無いと不便だろうって。僕がやって来た日は、とても朝の光が強くて、海まで遙かに見渡せたから。聖典の中に出てくる船や海を守る『セントエルモの灯』からセントエルモと、名前をつけてくれたんです……ぁ、こういう話って駄目ですか?」
リーゼ自身は因るべきものがあるから、宗教や信仰を自分の縁にはしない。だが、否定する気も毛頭ないので、首を横に振った。
「聖典の中身も少しなら知っているよ」
読み物として純粋に楽しめる部分もある。
それに、何より、より人口に膾炙した『言葉』や『単語』、
―――『物語』として。
「なるほど、それでセントエルモね?」
「はい。でも長いから、みんなエルモって略して呼んでいて」
おっけ、とリーゼは呟く。「じゃあ、あたしもエルモって呼んでいいかな?」
勿論です、と少年……エルモは力強く頷く。
「じゃあ、拾ったよしみで一つ教えておいてあげる」名を知ったばかりの少年に、一つ先に教えておかなくてはならないこと。
「この村では、名前を名乗らない方が身のためだよ」
ごくり、とエルモが息を飲む。食い入るようにこちらを見つめるエルモに敢えてリーゼは、陰惨に微笑む。
「死にたくないのならね?」
はい!と上ずった声で答えるエルモに、リーゼは冗談だよ、と表情を和らげた。
脅しておくのはこれで十分。これくらいしっかり脅しておかないと、後々トラブルに巻き込まれかねない。
リーゼに関わった時点で、この子はトラブルの種を一つ、余分に持つことになるから。
「君があんまり面白いから、ちょっとからかいたくなっただけ。普段はそうだね、ミドルネームを隠しておけば大丈夫」
そこで、眼差しはまっすぐにエルモを見つめて。
「エルモは『想鎖術』を学ぶためにこのカルヴァドスにやってきた。それでいいのかな?」




