猫と鍵と少女
何があるのか分からなかったので、とにもかくにも家の中を見させて貰うことにした。
その結果が、先程のタナとの遭遇だったわけだ。
「タナさん?それとも、タナちゃん?」
大きな広い屋敷。
一階も二階も数えきれないぐらい部屋がある。
エルモが間借りしているリーゼの家など、失礼だが玄関先に収まってしまいそうなくらいだ。
装飾品も煌びやかで、隅に置いてある柱時計もアンティークらしくどっしりとしている。
それなのに、一人娘のタナが使っているのは、二階の一番奥の部屋だ。
北側に面しているだけあって、薄暗くてひんやりしている。
夏だと言うのに、昼間の熱気が何処にも感じられない。
涼しくていいが、冬は辛いだろう。
「冬はきっと南向きの暖かい部屋に移動するんでしょう。もしかしたら、サンルームとかかも」
羨ましいなあ、とリーゼが楽しそうに微笑んだ。
あらかた家の中の捜索が終わったので、リーゼとエルモはタナを訪れることにした。
先程部屋を追われたばかりだから、まだ起きているはず。
そのはずが。
「あれ、誰もいませんね」
空室の部屋に足を踏み入れる。床に直接置かれた絵本を拾い上げると、下から小さな鍵が出てきた。
「随分古い絵本だね」
「そうですね。でも、すごく綺麗です」
どんな手法を使って描かれているのかはわからないが、何度も絵の具を重ねた上から更に技術を凝らしていることぐらいはわかった。
「『扉のアカシャ』だね」
昼間読んでいた本にも、同じ話が載っていた。
沢山の扉を前に、立ち尽くす少女の絵。
ふいと、リーゼは視線を横へ流した。
理由は先程からエルモも気がついて、でも無視している―――ズッ、ズッと重たい何かを引きずる音。
その音は、徐々に近くなり、部屋の前で止まった。
リーゼが息を詰め、それまで使っていた明かりを消す。急にあたりが真っ暗になる。
怖い、と本能が警戒する。
リーゼの姿形もすっかり夜の帳に包まれている。
鮮やかな朝焼けの色が、夜闇に奪われる。
そうっと扉を開けた二人が目にしたのは―――金色の二つの光。
そして、蠢く黒い影!
叫ぼうと大きく息を吸ったエルモの口を、リーゼが塞ぐ。
吸い過ぎた空気が喉を抜け、ひゃく、と小さく喘ぐ。
「駄目よ、イニア。静かにしなくちゃ。お父さんに叱られちゃう」
闇と同じ色の上着を羽織り、這いつくばるようにして廊下を行ったり来たりしているのは、小さな少女。
ふっと、急に顔をあげた彼女が不思議そうに顔をあげる。
「えーと、だから」
エルモは頭をかこうと反射的に手を広げ、その手から何かが滑り落ちる。
ぱっと、その場に蹲るタナ。
転がり落ちた小さな鍵を拾い上げると、タナは心底安堵したようにその場にしゃがみこんだ。
「よかっ……」声が、嗚咽に震えていた。「良かった、あった……!」
ごろごろふしゃーとイニアが警戒しながらタナの周囲をぐるぐる回る。
「絵本の下に入ってたわよ」
リーゼは少女に微笑みかけて
「リーゼと言います。こっちはエルモ。少し、お話を聞かせて貰っていい?」
暗い色彩の部屋で、ひときわ晴れやかな紅い色。廊下に出たことで再び照らし出された鮮やかな笑顔に心奪われるのは、何もエルモだけではない。
こく、と頷いた少女は廊下の奥を指さした。
「ついてきてくれる?ここだとお父さんにばれたら私、怒られちゃうから」
二階の突き当たりの物置が、母親の遺品を集めた部屋だった。
先程エルモが拾った小さな鍵を、かちりと合わせてタナが二人を手招く。
「エルモ、明かりをお願い」
先程のエイガーの様子からして、部屋に明かりをつけて居場所がばれたらまた怒られる。
はい、と答えてエルモは、想像の世界へと身をゆだねる。
すぐ傍にある体温を感じ、呼吸をゆっくりと、切り替える。
身の内にある、鞠の弾むような特有のリズムに身を任せ、次第に全てを同調させていく。
ポケットから取り出した乳白色の石を、そっと空に向けてかざす。
目を閉じて、今目にした色を、記憶の中にある一色と、重ね合わせる。
張り巡らされた糸を縦横無尽に渡り、世界を綾織り成す色の中から、拾い上げる……見つかった。
闇に浸されて、艶のない表面はぼんやりと染められている。
いつ消えるかもわからない、決して触れることのできない、その色の名前は。
『―――ヴィドレア』
エルモの持つ、『色の名前を正しく呼べる』力を最大限に発動するやり方。
余計な装飾も、余分な物語もいらない。ただ、膨大なデータベースの中から、一番近い色を呼ぶ、それだけ。
それは、対象に名前を付ける、名付けとも似た行為。
それが、独自の呼吸と合わさって対象を褒め称える祝言へと変わる。
小さな光が小石から放たれる。想像の中から現れたのは、薄曇りの陽光。
もこもこの雲が和らげる、夏の日差し。
「ヴィドレア(白雲の色)」の名前を与えられた小石から放たれる明かりが、ぼんやりと部屋を照らし出す。




