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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第二色 『師匠の秘密』 ~Liese’s lecture 「day 02」~
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名前を乗せた唇の色が、時には花びらに移り

 苹果が、灰色の石畳を跳ねていく。

いつも自分の作品にはあまり積極的な評価を下さないリーゼが、珍しくいい出来だ、と笑った苹果が。


 たまには生の果物をデザートにしようかねえ。

そう女主人に言われて見繕った、とっておきの果実。

ついには他の苹果農家に声をかけてまで、格別良いのを分けて貰った。

それが、なすすべなく蹂躙されているのは、エルモだって腸が煮えくり返るほどに辛い。恐ろしいほどの無表情は何を考えているのだろう。


 だから、こちらの手を握りしめたまま玉蜀黍頭の少年に向かって飛び出して行ったとき、とても驚いたけれど同時に―――ああやっぱり、と安心もしたのだ。


ずかずかと突っ込んでいったリーゼは、はあっと、息を固く握った拳に吹きかけ


―――ゴンッ!


玉蜀黍頭の少年……ダーヴィンに向かって振り下ろした。


上背のあるリーゼに真上から拳を振り下ろされて、少年はそのまま石畳に膝をつく。

それを冷たい目で、じっと睥睨したリーゼは

「誰とつるむのもあんたの勝手!むしろどぉぞご自由に、と言いたいもんだわ!」

予期せぬ闖入者に、集団が怯えたように動かなくなる。

「タマの一つや二つ、とられて反省でも何でもすりゃいいのよ!」

胸のすくような啖呵。ドン、と足を踏みだして

「でもねえ!あんたの体は苹果で出来てるってこと、忘れるんじゃないわよ!」


「なっ」膝をついた体勢のままリーゼを睨んだダーヴィンは「なんだよ、くそアマ!」

「おうおう何とでも言いやがれ」

罵声にもいっそ涼しげな表情。

しかし、次の瞬間にはその瞳に燃えるような怒気が膨れ上がっている。


 「この苹果は、おばさんが丹精込めて作った、あんたの分身!あんたの命の糧だ!それを、あんたは蹴っ飛ばした!どういうことか、わかってるね!」

不貞腐れた表情でそっぽを向くダーヴィンの胸倉を掴み、吐息のかかるような距離まで顔を寄せる。


「あんたは、自分の命を蹴り飛ばしたんだ」


「だから、それがなんだってんだよ」

つかまれたシャツを強引に振りほどくダーヴィン。

「つまり、煮るなり焼くなりあたしの自由ってこったな」

閃く、酷薄な笑み。色素の薄い瞳が常夜灯に照らされて、猛禽類のそれのように輝く。

「お前に何が関係あるんだよ!ほっとけよ!俺の勝手だろ!」

「そうさな、あたしには関係ない。あんたの問題だ」

ひゅうっと、息を飲んだダーヴィンの目の前でそれが、ふっと緩んで


「あんまり、ソラヤおばさんを悲しませるんじゃないよ」


格好つける相手を、あんた間違ってるだろう?

年長者らしい貫録で、柔らかに微笑む。

ぽん、と玉蜀黍頭に載せられた掌。

髪形こそ変わっているが、彼はリーゼを町中で売女呼ばわりし、瓶に入ったジュースを浴びせかけもした少年。

そんな相手だと言うのに、リーゼは啖呵を切り正論を吐く。

あまり柄の良くない連中から、彼を守ろうとしている。 

どうして、そんなに必死にしているんですか?

いつの間にか繋いだ手が離れ、空っぽの左手が少しだけ悲しい。

エルモは師匠の背中をじっと見上げ


―――ぞくり、と。耳朶に生臭い息がかかった。

背中からのしかかる重み。

胸の前で交差された腕が、ぞわぞわと全身を這いまわる。

何?と思う間もなくぐいと腕を引かれた。


「うちの可愛い弟子に何すんのよ!」

リーゼが羽交い絞めにする腕からもぎ取るようにしてエルモを引っ張り、背中に庇う。

助かった、と思うと同時に、新たな危険の予感がする。


「へぇ―、そっちのお嬢ちゃんが弟子で、君が師匠?」

別の方面から、声。見ると、それまでダーヴィンを取り囲んでいた男たちが移動していた。

ダーヴィンから既に興味は、こちらへ移っていたらしい。

遠慮のない視線が値踏みをするように、二人を見る。

露出されたリーゼの腕や足をさっと思い出し、エルモは前に出ようとした。

……こんな風に、見られていいものじゃない。

欲望にぎらついた視線が、今度はエルモに注がれる。

立ち竦んでしまいそうな、恐怖。

まだ先程の衝撃から抜けきれない自分が恨めしい。


すいと、リーゼがそんなエルモを手で制する。

きゅうっと、手を繋がれる。

背中にエルモとダーヴィン、二人の少年を庇って、リーゼは男たちと対峙する。


 「そうよ。あたしが師匠でこの子が弟子。もういいでしょ?仕事があるの」

「俺たち相手にもじゃあ、一仕事してくんないかなあ?」

お願いだよー、と声をかけつつも、それは明らかな脅迫。

つっと、男の一人が伸ばした指が、リーゼの顎にかかる。

誘われるように、ぐいっと顔を上げるリーゼ。


「よく見たら、なかなか綺麗な顔してるじゃん、シショウ?」

ひゅうっと、誰かが口笛を吹いた。

げらげらと笑いが方々で上がる。

エルモの手を握る指先に、力がこもる。

リーゼさん?と尋ねようとして口を噤む。

不安だからじゃない、……これは、何かを伝えようとしている?

黙ってろって、そういうこと?


「いいよ、二人で相手をしてあげる」

ねえ?と言葉だけでこちらを窺う。

何も言えずに黙っていると、苛立った風にリーゼが足を揺らす。

爪先で小刻みに、石畳を叩く。


ぱんぱんぱんぱん、一拍とまって、またぱんぱんぱんぱん。


「この事はあたし達だけの秘密にしてくれる?」

良いぜ、シショウ。

そう言って、男がリーゼの腕を引く。

引っ張られたリーゼの爪先が何かを踏んだ。甘い香気が漂い始める。苹果を踏んだのだ。


「貴方はそう、約束してくれたわよね」

ふっと、艶やかなほどにリーゼが呼気を詰め、無垢な瞳で男を見上げる。


「だから、どちらがいいのかもう決めないと?」

「お、気前がいいね」

「赤と白、誘う二つの色に揺れて、さあ、どちらから摘み取る?」

「俺は赤い髪の方かな、シショウ?」

「いや、俺は白い方かな、可愛いし」


リーゼとエルモを値踏みする声が次々と重なる。


「スキ」

目の前の一人を指さし。

「キライ」

今度は別の男。

「スキ」

また別の男。

「キライ」

更に別の男。


嫌われたぞ、ひでー、師匠ひでえよ、と男達はゲラゲラ笑うがエルモは別のことに気付いていた。


これ、想鎖術の………!


紛れもない。自分自身の作った想譜だ。

こつこつと、石畳を爪先で叩く音がメロディ。

その中に、男達との問答に合わせる形で、リーゼが物語を乗せていく。

応答の形で、しかも気取られることなく、一瞬で物語を紡がなくてはならない。


 もし不必要に呼吸の合間があけば、不振がられる。余分な音を入れてしまえば、想鎖術は完成しない。

まさに一瞬の綱渡りをする師匠の顔を、じっと見上げる。


「貴方の名前を、一つ一つちぎって風に乗せました」


男に顎を取られたまま、勝ち気に顔を上げる。

頬を伝う汗が、険しい瞳が見える。

高密度の緊張に、普段のように想鎖術を楽しむ気配は微塵もない。


「宛所なくこの身この想い、風に揺られ水に流れ」


歌うように、囁くように、言葉を放つリーゼに男たちが顔を見合わせる。

際どい。少しずつ、話の筋と噛み合わなくなっている。

それを見越していたのだろうリーゼは自ら片方の手を挙げ、男の頬へと手を伸ばす。


手袋に包まれた指先が、男の頬を撫でる。

「名前を乗せた唇の色が、時には花びらに移り」

頑張って。

頑張って、リーゼさん……!

祈るように、再度師匠の顔を見上げ


―――とくん。


緊張とは異なるところで、心臓が一つ大きく鼓動を打った。


とくん、とくん。


なんだろう、これ。

ほのかにあたたかく柔らかで、胸の奥がくすぐったくなる、気持ち。

その癖に少しほろ苦くて、目を逸らしてしまいたくなる。

それでも、逸らせない気持ち。

目の前の、リーゼと男から、目を逸らせないのと同じように。


とくん、とくん、とくん。


くすぐったいのに全然不快じゃない、これまでになかったもの。

目を閉じると、胸の奥で泉のように滾々とわき上がるメロディ。

これに合わせたら、何か素敵なものが読めそうな気がする。


―――いいよ、二人で相手をしてあげる。


リーゼの言葉の意味がわかる。……そういうことなんですね?

「さあ、どちらかを決めないと。もう_|刻限(終わりの時間)は近づいているのですから」


もう、男たちの声は聞こえない。


リーゼの作るリズム。

エルモ自身の心の音。

そして言葉。

それだけに全ての意識が集まっていく。


リーゼが何を呼んでいるのかを想像。

呼ぶものは決まっている、小さな。

それでいて確かなもの。


目を閉じ、エルモは自分だけの世界へと、墜ちていく。

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