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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第二色 『師匠の秘密』 ~Liese’s lecture 「day 02」~
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工業地帯

 「いい?乗り合いバスよりも先についちゃうけれど、下ろして貰ったところを絶対に外れちゃ駄目だよ。ちょっとだって外れたら、君みたいに可愛い男の子はとっても危険なんだからね?」


何処までが本気で、何処からが冗談か分からないジュジェの言葉に必死に頷き、工業地区まで荷降ろしに行くと言う自動車に同乗させてもらったエルモはそっと周囲を見渡した。


遠くで、波がコンクリートに打ち付ける音がする。


エルモはこの町に来る直前まで海の傍にある神殿で暮らしていた。

だから、海や磯の匂いは無条件に好ましいと思う。

けれど、この町のそれは、廃棄油と、汚水と、そして野望に満ちている。

酷くそれは強く香ってきて、エルモの気分を萎えさせる。


マントで口元まで覆い、やっと一息。

マントの内側に仕込んだ布袋から、薫衣草と加密列が香って気分が和らぐ。リーゼの術はまだ続いていた。

 暗がりでそのまま呼吸を整えること数分。

やっと独特の空気に慣れてきたところで、重たい排気の音が響いてくる。

停留所のひとつ前の角まで近寄り、そこで更に息をひそめる。


 人々の群れの中から、夜闇の中でも映える紅茶色の髪をした少女が降りてくる。

町に出るのと変わらない服装に、大きな鞄が一つ。


決してじっと見つめるのではなく、同じ方向に目的地があるような素振りで、心持ゆっくりと。


ジュジェが教えてくれた尾行のコツを頭の中で何度も反駁しながら、歩き出したリーゼの後を追いかける。

長身のおかげで歩幅も広いのだろう。リーゼはなかなか歩くのも早い。

普段はこちらの速度に合わせて歩いてくれることが、よくわかる。

いつの間にか反駁している尾行のコツは頭の中で回転しているだけになり、エルモは半分息が切れたような速度でリーゼを追いかける。


 自動車の直行で二十分、乗り合いバスでも三十分ほどの工業都市は、海にせり出した地形にある。

エルモが西大陸から渡ってきた際に使った港町と、リーゼの住むカルヴァドスの村からは三対一くらいの距離のところである。


特徴としては海に近い所。

出稼ぎの労働者が多い所。

そして、出稼ぎの労働者の大半は男性であり、規律に厳しい港町に比べると幾らか風紀の緩いところがあるところ。


ということは、つまり。


紅茶の髪が鮮やかに踊る背中を必死に追いかけていたエルモは、ふと辺りを見回した。

あの炎、どうやって作ってるんだろう……?鮮やかな黄緑色の炎を見つけて、ふとエルモは立ち止りそうになる。それに、あっちの明かりは紫色?


あ、硝子の色が違うのか。


人通りの少なかった通りには、いつのまにか大勢の人で溢れかえっていた。

どたどたと陽気な足取りで肩を組み歩く男性に轢かれそうになり、通りの隅っこに逃げる。

まるで何かに吸い込まれるようにふらっと店へ消えていく男性客。

細かい通りに、一人二人とぽつねんと立ち尽くす女性達。

もっとあからさまに建物の前で通行客を呼びとめるのは、肌も露わなお姉さんたち。

想鎖術でもないのに、街に灯る明かりの色が変わってくる。


四角く前衛的な工場地帯を抜けたその先は、無数の明かりが煌めく繁華街だった。

飲食店、酒場。そして、―――

今しがた店に入ろうとしていた客の一人とうっかり目があってしまい、慌ててエルモは目を逸らす。

そんな猥雑な通りをリーゼの足は相変わらず律動的で、滑るような足取りで進んでいく。

やがて、一つの建物の中に、吸い込まれるようにして消えていった。

繁華街の中でも一番奥まった所にある、その建物。


 遅れること数秒で、その扉の前に立つ。他のけばけばしい色合いに比べると、水路を周囲に巡らせたその建物は地味でしっくりとした色合いだった。

顔を上げると、いぶした金属の看板が掲げられているのに気づく。

古めかしい飾り文字で書かれた文字は


何だっけ、これ………ええっと、『聖母亭』?


文字を殆ど読めないエルモだけれど、神話に登場する人物の名前くらいならそれでも覚えている。

続いて見上げた先に、夜闇に艶やかな金髪の女性。

薄物を身に纏ったその目元と額の真中に、赤い紋様が描かれてある。


西大陸と文化を同じくするなら赤い紋様は、娼婦の証し。


ふっと微笑んだ女性が手を振った。すると、大きな建物の雨戸がガラガラと開き、次々に女性が顔を出した。

どの顔も美しく、額と目元には同じ赤い紋様が。


ということは。


「って、えぇぇ……?」

ここも、娼館だ―――!

 


「ねえ?」

ぽんぽん、と嫌味ではないが有無を言わせない強さで肩を叩かれる。

振り返ると、そこには胸も露わな衣装を着た、二人の女性。

その二人の目元にも、刻まれた赤い紋様。

「お嬢ちゃんがこんな所に何の御用かしら?」

肩にかけられた手が、つっと顎の線をなぞる。

「いいえ、わかっているわ。お金が必要なんでしょう?」

もう一人の女性が、ああと大仰な声を上げる。

「国には病気のおっかさんと飲んだくれの父さんと、ちびたちが居るのね!」

「ねえ、うちで働きなさいな。うちなら」


なんか、勘違いされてる?


頭がぐらぐらと沸騰する。表の騒ぎが響いたのか、娼館の扉がぎいっと音を立てて開く。

今気付かれたら、本当にまずいんだから!

「ごめんなさい、あのボクは間に合ってますから―――!」

エルモは相手を突き飛ばすようにして駆け出した。


 その後、エルモを女の子だと勘違いしたお姉さんの何人かから

『ウチで働かない?』

と誘われ、慌てて逃げ出すと、今度は噂を聞きつけたお兄さんから

『うちで働かない?』

と誘われ、更にほうほうの体で逃げ出す。


ようやく全ての追手を振り切って、先程の店の先まで戻ってくると、当然ながらそこに少女の姿はなかった。


見失っちゃったかな……


もう諦めて帰ろうかな、と足を表へ向けたその時だった。


ぱん……ぱん、ぱ、ぱ、ぱん………


ふっと、聞きなれた旋律が耳の奥を駆け抜けて行った。

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