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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第二色 『師匠の秘密』 ~Liese’s lecture 「day 02」~
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21/96

9:00pm

 ところで、想鎖術は特定の言語を持たない術式である。


使用される言葉は全て、普段から使われているもの。

敢えて言うならば、古くから伝わるものであるため言い回しはやや古めかしいが、それでも現代で十分意味が通る。


であるならば、言葉を発するたびに術が発動され、想鎖術師はおちおち日常会話もままならないのではないか、と思う。


実際にはそんなことはない。


織り重ねられたイメージに、呼吸音の一つ一つ、言語に対する注意、そして未知のものを呼び招き、心を伝えると言う強い願い。

それら全てを複合しなければ言葉はただの『物語』になりえても、想鎖術としての『想いを鎖で繋げる』物語にはならないのだ。


そのために必要な、独特の呼吸法、時には言葉を飾る為の鈴や柏手と言った音。

それらは呼吸であって生存のための『呼吸』でなく、音であってただの空気振動である『音』ではない。

全てが物語を構成するに必要な素材である。獲得するためにも、使用するためにも、普段の感覚を全て捨てなくてはならない。


習得するのはなかなか体力の必要な、訓練である。


「ほら、弟子。起きようよ」

乱暴に肩を揺すられても、エルモはまだ起き上がれないでいた。

「もう瞑想の時間は終わったから、夕ご飯にしようよ」

床はうっすらと湿り、膨張した木肌が皮膚にへばりついて気持ちが悪い。


……呼吸をすること、言葉を使うこと。こんなに意識したことはなかったなぁ。

息を吸って、吐き出し、声帯を震わせて音とする。

それだけで、木肌がびっしりと湿るほどの集中と発汗を促した。

加えて真夏の午後の熱気が押し寄せてくる。


最後は殆ど倒れるようにして声を出し、こうして床に放置されたままと言うわけだ。だから実際、気を失っていたのだろう。

当然、着ている衣服も汗でびしょびしょだ。

更に言うならば、夜気が入り込んでくるこの時間は、冷えた汗が体温を奪って逆に寒すぎたりする。

それでも放置され続けていたのは、リーゼが自分の体の限界を知るのも訓練の内、と定めていたからだ。しかし、いよいよ危なそうだ、と思ったらしい。

ちなみに訓練に付き合い、かつ手本を見せてくれたリーゼは飄々として涼しげだ。


「最初はきついけどね、慣れると普通に息をしたり喋ったりするのと同じくらいの感覚になるよ」

何となく、あれだけすごい技術でありながら想鎖術が海の向こう側西大陸では魔法扱いされている理由が分かったエルモだった。

こんな地道な努力、誰も想像できる訳ない。

 

その後、どうやって食事をとったのかもわからない。

何となくリーゼが給仕してくれるまま食べ物を口にした記憶はあるのだが、気が付いたら既に寝台の上だった。

ぱっと眼が覚めて、何事かを確認する余裕もなく下から突き上げるような衝撃があった。


小刻みにカーテンが揺れる。


家……否、地面全体が揺れている。


地震、という言葉が脳裏をかすめた。

火山の多い西大陸ではよほど大きなものでない限り大騒ぎはしない。

暫く無言で振動をやり過ごす。

幸いにしてそう大きなものではなかったようで、床に直接積んであった本が幾らか傾いだだけだった。


今、何時だろう……?それを無意識に直そうとして、エルモは自身の異変に気がつく。身体が動かない。って言うかむしろ


「か、からだがいたいいぃぃ……?」


金縛りなんて生易しい感覚ではない。全身くまなく鋲を打って、寝台に押し付けられているような感じだ。

ありえない痛みと疲労が全身を襲う。


そう言えば、リーゼさんが普段は使わない器官を使うから、暫くは全身のバランスがおかしくなるって言っていたけれど。


その顛末が、どうやらこれであるらしい。悲鳴を上げる体を宥めて懸命に身体を起こす。

震える手で本の山を元に戻し、ゴキゴキと音を立てる首を巡らせて時刻を確かめる。


たっぷり眠ったはずなのに、

「まだ、九時?」

出歩いたり、活動したりするのにはいささか遅い時刻であるが、一日を終えるのには、まだしばしの猶予がある、そんな頃合いの時間だ。


……リーゼさん、どうしているんだろう。

こちらの大陸は地震が少ないから怯えている、とかそういうことはないだろうか、とふと不安になる。落ち着いているが、まだ十代の女性である。


「リーゼ、さん?」

殆ど四つん這いのまま彼女の部屋の前へ。名前を呼びつつ彼女の部屋をノックするが、返事はなかった。


……そんなに大きくなかったし、寝ちゃってるのかな?


扉の向こう側からは眠る前に焚いたのだろう、甘い香が漂う。乾燥した花の香りだった。既存のどんな花とも違う、花の雫を垂らして集めたような、そんな香り。迷子に、なりそう。

「………………も、無理」

それ以上何も考えられず、その場にぱったり倒れ込むと、目を閉じた。


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