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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第一色 『少年は、荒野を目指す』 ~Liese’s lecture 「day 01」~
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師匠(せんせい)

「リーゼ、リーゼさん……!」

聞こえているはずの名前の主は、頑なに返事をしない。

「じゃなかった師匠!」


「なんだい弟子よ」


その癖、師匠と呼ばれると即座に振り向くのだ。

振り返った少女にエルモは顔の高さまで積み上がった書物の山を示した。


「ちょっとこれ、多過ぎませんか?」

自分の腕の上に積み重ねられているのは、色名辞典、植物図鑑に、炎色反応辞典・鉱物図鑑。

戯曲や童話のダイジェスト集。

二人はリーゼの、正しくはアウローラの家に戻ってきていた。

エルモは改めてその家の中を見て、驚く。一間だと思っていたが、奥に続く扉が二つ。

それでも2LDKのごくごく小さな間取りの家の、壁一面が作りつけの書棚になっている。しかも、そのジャンルは幅広く、まるで小さな図書館か本屋のようだった。


「確か、神話とかは読んでるんだよね」

半分悲鳴のようなエルモの声は意に介さず、これでもかと巨大な書棚の前で本を引っ張り出してはエルモの腕の上に載せていく。

「子供向けの一番簡単なやつですけれど、読み聞かせとかでも使いました」

ちょっと得意になって答えると、なるほど、とリーゼは満足げに頷いて


「じゃあ、今回はそれパスでいいね。代わりにもう一つこれ行っとこう」


ずしり、と載せられたのは一抱えもある巨大な天体図鑑だった。

恐らくエルモが使っていた神話の十倍は厚さがあるだろう。うわ、とバランスを崩しそうになる。


これなら、なまじっか知っている分だけ神話を読んだ方がまだましだったぁ。

本に潰されて死ぬのが先かもしれない、と恨みがましく師匠になった少女を振りかえると、


「アローの、アウローラ・ルル・エスカトーレの弟子を名乗りたいなら、これくらいは常識として押さえておかないと」


「じゃあ、リーゼさん……師匠も?」


「いや、あたしはアローの弟子じゃなかったし」


あっさり交わされてしまった。


良くよく聞いたところ、アウローラ・ルル・エスカトーレというのは親から授かった本名であるようだ。

高名な想鎖術師がそんな風に簡単に本名を晒していいのか疑問に思っていたが


「別格の存在は、もう名前とか正直そういうレベルじゃないんだよ」

「じゃ、どういうレベル……?」

「キミが持ってるその神話とか、童話とか。それとおんなじレベル。アローがどういう想鎖をして、それがどういう結果になったのか。それが一つの言葉として想鎖術に組み込めるくらいかな」


つまりは、生きながらにして伝説になったということだ。


「キミは、そんな人の下で勉強するんだ。今に立派な想鎖術師になれるよ」

それまで、面倒みるから心配しないで。

ふわりと伸びてきたリーゼの手が、エルモの前髪に触れた。

ちょっと貼り付いていた埃を払うと、優しく微笑む。


「はい。いつか、リーゼさんや、アローさんみたいな、想鎖術師になります」


そうじゃないよ。と、リーゼは笑う。


「キミは、アローを超えるような、立派な想鎖術師を目指すんだ。それこそ、大陸中の人全てが、キミの名前を知るような……ね?」


それは、今日初めて本物の想鎖術に触れた少年に対しては、あまりに重すぎる言葉だった。

そして、想鎖術を志す全ての人にとって、その言葉はあまりに重い。

それでも、それでも少年は。

揺らぐことなく、真っすぐに師匠となった少女の顔を見上げ、


「はい」


そう、はっきりと返事をしたのだ。


一瞬、虚を突かれたようにリーゼは真顔になるが、すぐにその表情を崩す。

「それくらいの気持ちで臨んでいけば、失敗してもまあ、人並な想鎖術師にはなれるってことさ」

目標は大きいほどいいからね、とリーゼは笑う。


 「でもまあ、今日はここまでにしよう。朝から色々あって、もう疲れたでしょう?」

ご飯の支度、始めるね。とリーゼはこちらに背を向ける。ダイニングの椅子にかけてあったエプロンを手に取り、着用する。

手伝います、と言いかけたところで

「いいよ」

先に釘を打たれてしまった。

「手伝う暇があったら、少しでも勉強しなさいな」


はあい、と素直に従いつつも、甘いんだか厳しいんだか、よくわからない師匠である。


仕方なしにぱっと眼に着いた色名図鑑を手に取り、広げて見る。

同じような色が、よく見ると微妙な色合いの違いで掲載されている。遠目に見れば全て同じ色に見えるのに、一つとして同じ色はない。


それら全てに、名前の由来があり、歴史があり、使われてきた、望まれたり疎まれたりして来た、過去がある。


知りたいな、とエルモは思う。これらの色を、全て、遍く。


本当に、全てと出会えることはあるのだろうか。

その時に、自分はあやまたずに名前を呼んであげることが、出来るだろうか。


 ふうっと、意識が吸い寄せられるようにページをめくる。


虹の色の順に赤、橙、黄色、緑、青、藍、紫。


そして、白。


虹の色が本当は七色で無いように、一つとして同じ部分は無いように、一つ一つに決められた名前を捉えることは、出来ないのかもしれない。


それでも、知っている。


この、色に囲まれた美しい世界を。


とろりと、全てが混ざり合い、けれど互いの色を損なうことなく美しく絡まり合う、そんな世界を。


エルモは、覚えていた。


橙と青が絡み合う。あれは夜明けの色。

ちょんと手を伸ばして触れると、絡まった二色はそれぞれにほどける。

片方は太陽の色と絡まり合い、夏空の色に。

他方は紅と絡まって、夕焼けへ。


夕焼けの色。


知っている。夕焼けに照らされた雲の色。

優しいけれど、ほんの少しだけ泣きたくなってしまう。


大好きな、色。

 

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