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ヴェスペルの娘達  作者: さくしゃ
第一色 『少年は、荒野を目指す』 ~Liese’s lecture 「day 01」~
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祝福

そう言えば、とエルモが声を上げた。シードルを飲み終わっての帰り道のことだ。

「さっきの、一体何をしたんですか?」

「何をしたって訳でもないよ。あの子の好きな女の子の名前を耳元で唱えてやっただけ」

あの子、ずっと昔からジュジェのことが好きなのよ。と、小さな声で続けた。

ちなみにジュジェは「ほんと腹立つ!」と騒ぎながらのすぐ後に、お内儀さんに呼ばれて商家へ戻って言った。

なかなか厳格な母親であるらしい。



「ね、想鎖術で一番効力を持つものって、何だと思う?」


「え?―――え、えぇ?」

不意に問いかけられた難題に、エルモはただ眼を白黒させる。


「答えはね、名前なの……愛されて望まれて、この世に生を受けた。その証拠なんだ。何よりの祝福なんだよ、名前を貰うのって」

「それは、なんとなくだけど、わかります」


まだ、自分自身の記憶を持って日が浅いエルモだけれど、それは確かだ。

「僕も、師父様が名前をくれた時に、やっとここで生きていていいんだって思いました」

そうだね、とリーゼは微笑む。


「だからね、名前を知るっていうのは想鎖術で基本中の基本。それから、最後の手段なの」

世界中の名だたる想鎖術師達も誰ひとり本当の名前は明かされていない。

通り名、もしくは愛称に近いものが、公に通じるものとして名簿にも連ねられている。

それは、想鎖術を学ぶ生徒たちにも同じことが言える。

担任教師でさえ、本当の名前、特にミドルネームは知らないのだ。


「想鎖術師の家系の人なんか、元から名前をすごーく長くしたりするんだよ」

「それは、本当の名前が漏れるのを防ぐためですか?」

そうそう、とリーゼは微笑む。

「それで、僕にさっき名前を明かさない方が身のためだ、って言ったんですね?」

名前を明かした時点で、相手に弱みを一つ握られてしまうも同然だから。

この村に来てまだ間もなく、味方になってくれる人も少ない時分に、防衛の術を教えてくれていたのだ。

「迂闊に名乗らない方が、箔もつくしね」

「じゃあこれも、しまっておいた方がいいですね」

胸から下げていたタグを外し、ポケットにしまった。

「そうだね。お上りさんだっていうことが丸わかりだから、しまっておいた方がいいかも」

悪戯っぽく笑ったリーゼに、エルモも、ハイと素直に頷いて。

不意に、疑問が頭に浮かんだ。


「あ、じゃあ。さっきのジュジェさんは?」


確か、彼女も想鎖術を学ぶ学生のはず。

なのに、躊躇わずフルネームを名乗っていた。

嘘をついている気配は、無かったと思う。

「あの子は特別よ。……だって、あの外見でアンソニーなんて名前だと誰も思わないでしょ?」

「アンソニーって確か、男の人の名前なんですよね」

少しでも疑念が挟まれば、想像に揺らぎが生まれ、想鎖術は成功しなくなる。

それを上手に逆手にとり、ジュジェは普段から本名を名乗っている。


 「ってことは、僕の探している人も、もしかして本当の名前じゃないのかな?」

朝から行き倒れたりしていたせいもあって、すっかり忘れていた。

「あれ、誰か当てがあったんだ?」

リーゼがさも意外そうに口を開く。

「あたしはてっきり、学校の寮にでも入るのかと思ってたのに」

「ええっと、本当はそうなんですけど」

エルモはポケットからごそごそと先ほどのタグを引っ張り出して、裏返した。

「いきなり高等部に編入になったりすると、想鎖術の基本を勉強しないままになっちゃうから、まずはこの人のところで色々基礎を学んだ方がいいだろうって」

学問的なものは幾らでも挽回可能だが、想鎖術がどんな風に自分達の日常に関わっているものなのか、東大陸で生まれ育ったなら肌で感じるそれを、西大陸からやって来たばかりのエルモは知らない。

だから、東大陸の暮らしになれる意味も含んで、師父が知り合いの伝手を辿ってくれたのだ。


「なんか、すごく有名な人で、信頼できるって、師父様が」

「もしかして、あたしも知っている人かな?中等部の先生とかかな?」

夏休みはあと一月以上ある。

新学期までには一通り学べるだろう、とエルモは淡い期待を寄せる。


「確か、師父様が無くさないようにって、ここにも住所と名前を書いておいてくれて……あ、あった!」

どうれ、とリーゼも一緒にタグを覗き込む。

エルモは、嬉しそうに顔を輝かせるとやっと見つけたタグの表面を何度もなぞり、ただ一つ頭に組み込んだ名前を呼ぶ。


 「アウローラ・ルル・エスカトーレ」




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