1334 補足編3 神々の憂鬱
サモナーさんが行くⅩ巻 2024年11月25日発売予定です。
『アポロン、まだ動こうとしないのですか?』
『叔母上、ここは牢獄ですよ?』
『自らに枷を作って引き籠もっているだけでしょうに』
アポロンは女神達の訪問をもてなしていた。
否、彼女達の詰問を聞き流していた。
そんなアポロンを世話する女神、ムーサ達が主人を見る目には諦めの色が濃い。
『貴方にアルテミスをけしかけてもよいのですよ?』
『勘弁してくれませんかね?』
『貴方達が鍵なのは承知でしょうに』
『彼女に大地母神の位置を埋めさせるおつもりで?』
『まさか』
アポロンはムーサの一人が持つ籠の中からオリーブの実をつまんだ。
彼が手にしたその瞬間、それはアムブロシアと化す。
食べ物は全てアムブロシアに、飲み物は全てネクタルになる。
そうなってしまう。
ある意味でこれは彼にとっての祝福であり、同時に呪いだった。
『では揃ってのご訪問、真意は何です?』
アポロンの目の前に佇むのは美しき女神達。
正面に叔母のデメテル。
アポロンから見て右側にグリッド、キュベレー。
左側にイナンナ、ダヌ。
それぞれが大地を守護する女神であり、その役割を放棄していた。
偏りを生じさせ、その修正に神々の力を使わせる為だ。
均衡を崩すそのやり方はある意味で豊穣をも司る神の手口ではない。
だがアポロンにはそれを糾弾する気になれなかった。
『貴方と同じですよ』
『買い被りですよ、それ』
アポロンもまた太陽神としての役割を放棄しているのも同然であった。
だが大地母神達と異なる点もある。
ただただ、怠惰を貪り、人間達との交流を楽しんでいる。
自らが構築した牢獄に身を置くのは自らの意思でもあった。
だがそこは太陽の牢獄という名の天国でもあった。
あちこちに出現しては神々との対峙を続ける女神達とは違う。
『プロメテウスもまた走狗である事に気付き独自に動いています』
『私だって動いてもいいんですがね。面倒なの、嫌なんです』
『何を恐れているのです?』
『主神の位置ですよ』
アポロンと問答を続けていたデメテル、その美しい顔がより険しくなった。
それが答えでもあっただろう。
『啓示でもありましたか』
『預言、でしょうかね?』
『誰の?』
『さあ?』
それは名も無き絶対者。
世界を調律し、観測し続ける者。
彼等は共通してそう認識していた。
だが彼等は知らない。
それは運営、又は管理者と呼ぶべき存在であった。
幾つもの世界を観測し、選定と剪定を繰り返す者達だ。
『主神ゼウスが占める位置、興味は無いとでも?』
『あの有様を見て憧れたりしませんよ』
『辛辣ですね』
『叔母上も分かってる筈ですよ』
ゼウスが辺獄から帰還したのは知っている。
様々な役割を担っている神々、何柱かがそうなっている。
何かを失い、何かを得ての上でだ。
それはある意味で恐るべき事態を示している。
新たな神殺しの介入だ。
『ここの生活は気に入ってるんです。分かって下さいよ』
『面倒事からいつまでも逃げられると思わない事です』
『承知しておりますよ』
平然と受け流すアポロンを見るデメテルの目は厳しい。
否、彼女だけではない。
女神達が彼を見る目はゴミを見るが如く。
それが分かっていても尚、アポロンは超然とした態度を崩さない。
『時間を無駄にしたようですね』
『申し訳ありませんね、叔母上』
別れの言葉は互いに無かった。
アポロンはアルゴスとアンタイオスに女神達を見送らせた。
本人はムーサの一人に膝枕をさせてソファに寝そべっている。
『最近、来客が多いな。本当に面倒だよ』
そんなアポロンにだって悩みがあった。
彼をけしかけようと様々な神々が訪れるようになっている。
それぞれが何かを意図してのものだ。
『キースのお陰で色々と面白くなってるのに』
キースこそが新たに出現した神殺しだ。
主神ゼウス達だけでなく、あの破壊の女神すらも辺獄送りにした。
切っ掛けはテスカトリポカ。
ある意味、絶対者にとっても予想外だった事だろう。
彼の行動原理は思慮深いドラゴンとはまるで違う。
対応としては関わらないのが一番良い。
その筈だ。
なのに神々がちょっかいを出すのは理解出来ない。
一体、彼等にはどんな啓示があったんだか。
『姿を消して覗き見なんて趣味が悪いですよ?』
アポロンが寝そべったままそう呟くと周囲の風景が歪んだ。
何者かが姿を現そうとしていた。
『秩序と混乱。それは相対しながらも必然』
『停滞と進化。それもまた相対しながらも必然、とでも言えばいいかな?』
『屁理屈ではあるな』
『否定はしませんよ』
現れたのは十人の人影。
否、十柱の神々。
一人だけ図抜けた巨躯、それはあのアンタイオスにも匹敵するだろう。
その姿は様々だ。
彼等は十王と呼ばれる地獄の審判官達であった。
『初めまして、でしたっけ?』
『さて。記憶は曖昧であるがその筈であるな』
『ではご挨拶しておきましょうか。私はアポロン。だらけた太陽ですよ』
『私は秦広王。代表として挨拶させて貰おうか』
『目的は何です?』
『さて。審判は我等に与えられた役割。その為の調査といった所かな?』
『おっかないなあ』
そう言うアポロンだがその顔には笑みが張り付いたままだ。
そもそも寝そべったままで敬意の欠片もありはしない。
『それで、収穫はありましたか?』
『あると言えば、ある。無いと言えば無い』
『謎めいた問答は苦手なんですよ。分かり易くして貰えません?』
『心せよ。それでも世界は続く。汝のような存在がいてもだ』
『耳に痛い忠告、とでも受け取っておきますよ』
『太陽と月。昼と夜。秩序と混沌。相対するのは他にもある』
秦広王が手を高く掲げると昼間の明るさが消え、一気に夜へと変じた。
天空には無数の星々。
否、それらは星々の集団であり、全てが球状星団であった。
『汝の役割は益々、重くなるであろう』
『嫌な事を言わないで下さいよ』
『逃れる術は無い』
『まるで断罪ですねえ』
アポロンは楽しげにそう言うと手を高く掲げた。
夜の風景が一気に昼へと戻る。
『ところで辺獄ってどんな所なんです? 行った事が無いんですよ』
『知る必要などあるまい』
その言葉は秦広王のものではなかった。
十王の一人、最も巨躯の王。
それは閻魔王であった。
憤怒の形相はまさに鬼が如く。
その視線だけで人を殺せそうな圧を発していた。
『知りたくば行ってみるか?』
『それも嫌だなあ。失いたくないモノばかりなんで』
『人間のような物言いであるな』
『神と人間の差なんてね、大したモノじゃありませんよ』
十王がアポロンに浴びせる視線は大地母神達と同じであった。
即ち侮蔑。
それでも尚、アポロンは動じていない。
『我等よりも厳しき裁きを望むか?』
『それもまた必然、じゃないかな?』
十王達はその返答が合図であるかのように姿を消した。
アポロンもまた、退屈そうにそれを眺めていた。
ただ、膝を貸していたムーサは困惑を隠せていない。
『嫌だよねえ。真面目になっちゃって』
そう呟くとアポロンは目を閉じた。
だから利用もされ易いのに、とは思っても言わなかった。
もうどうでもいい事だった。
惰眠を貪り、美食に溺れ、怠惰に過ごす。
そうすると妹のアルテミスが激怒してここを訪れ、ご褒美をくれる。
そんな日々こそが彼の願いであった。
世界は続く。
真理も真実も、彼には何の意味もありはしなかった。




