1311 番外編3 交渉
東京郊外。
通勤にはやや不便かもしれないが緑は豊かだな。
子育ての環境は非常にいいと言えるだろう。
彼女は庭で遊ぶ子供を眺めていた。
その傍らにいる男性は彼女の夫だ。
・・・
オレと彼女を繋ぐ筈の機会は喪失していた。
運命の歯車が狂った理由ならある。
八年前にオレは爺さんを殺した。
成人後だったから犯罪者として裁かれる事になる。
そう思ったオレは海外に逃げた。
彼女と出会う筈の時期は傭兵として中央アジアにいたからな。
・・・記憶の統合に時間が掛かり過ぎた。
残念だが仕方ない。
それでも十分、報われているのだろう。
彼女は生きている。
幸せな家庭を築き主婦として奮闘する毎日だ。
これでいい。
これでいいのだ、と思う。
他の平行世界で彼女はどうなっているだろう?
それを思う。
送り込まれているであろうオレの分身は何をしているだろう?
・・・多分、このオレと同じだ。
きっと爺さんを殺している。
時期は違うだろうが、殺している筈。
返り討ちになっていない事を祈るばかりだ。
彼女の姿を目に焼き付けるとこの場を去る。
オレにはやらなければいけない事がある。
約束の時間が迫っていた。
「待たせるなよ!」
「時間通りの筈だが?」
「そうだけどさ・・・」
古典的な待ち合わせ方法にした理由は?
特にない。
小春日和のオープンテラスに似合わぬ平服姿の男が二人、か。
目立つんだろうな。
「約束のものを出してくれ」
「そ、そっちもな!」
ノートパソコンをバッグから取り出す。
続けて簡易型のバーチャルリアリティ・ギア。
どちらも最新型だ。
但しオレからしたら一世代以上前の代物で嵩張る上に不格好だ。
男からメモを受け取る。
交換で封筒を手渡したらもうこっちを見ていない。
中身を確認し始めていた。
・・・放っておこう。
メモに記されているのはURL、それにIDとパスワード。
単純だな。
男はあるゲームのαテスターだ。
いや、これからそうなる筈だった訳だが・・・
オレはその権利を買い取った訳だ。
今回は当たりかな?
運営元の登記情報は確認してあるし、確率は高いと思われる。
「た、足りないぞ!」
「確認が終わったら残りを渡す。座って待て」
「・・・慎重なんだな」
「当然だ」
ギアを手早く装着。
URLを入力、トップページに繋いだ。
ゲームの名前はマルチスキル・オンラインか。
トップページのデザインもどこか一昔前の印象だ。
・・・
タイトルもどこかに転がっていそうだぞ!
ログインなら出来た。
生体認証登録は機能そのものが無い。
昔ながらのIDとパスワードによるログイン、か。
キャラクターの初期設定画面も確認。
登録はまだされていない。
よし。
パスワードの変更を行うと一旦ログアウトした。
キャラクター作成ならいつでも出来る。
「オッケーだ。これを」
男は何も言わずオレが差し出した封筒を手にした。
早速、中身を数え出す。
ノートパソコンと簡易型ギアをバッグに片付けた。
オレは冷めかけたコーヒーを口にして暫し待つ。
・・・いい豆を使っているな、これ。
戦場では味わえない贅沢だ!
「・・・約束より多いぞ?」
「不満か?」
「い、いや、そうじゃないけど」
「なら取引成立だ。握手でもするか?」
男は心の底から喜んでいるのだろう。
オレの手を握る力は握手にしては強過ぎた。
その間も周囲をキョロキョロと落ち着かない様子で窺っている。
うん、落ち着け。
傍目から見たら完全に不審者だ。
「あんた、この手のゲームに興味あるの?」
「詮索は無しだ。そういう約束だったろ?」
「聞かれたくなきゃネット上で取引すりゃいいだろうに」
「取引相手の顔は見ておきたいんでね」
「こっちは落ち着かないよ」
そうか。
ならばさっさとその現金を自分の口座に振り込みに行け!
それに余計なお喋りは無用だ。
無言のまま席を立つ。
こっちの用件はもう済んでいる。
・・・厳密にはまだ終わってないが些末なものだ。
取引相手の尾行は済ませた。
身元の詳細までは不明だが苦学生って所だろう。
今の所、怪しい点はない。
ただ日を置いて再確認はしておこう。
そうする必要を感じていた。
理由ならある。
オレは尾行されていた。
いつから?
取引前からだ。
だから取引相手の再確認が要ると思った訳だが・・・
それは後日でいい。
今はオレを尾行している奴が優先だ。
もしかすると運営に迫る糸口になるかもしれない。
いや、単に官憲の類かも?
そっちの可能性が高いだろうな・・・
まあ、いい。
いずれにしても尾行者を確認だ。
撒いてもいいが迂遠だ。
官憲であっても構わない。
職務質問なら日本に戻ってから何度か受けている。
問題ない。
素直に答えるだけだ。
職業、元傭兵。
現在は投資家。
それ以上、何を答えろと?
殺人犯として手配されている可能性ならある。
だが八年の歳月はオレの外見を大きく変えたようだ。
拘束された事はない。
身分証明書なら傭兵時代に作った幾つかのパスポートがある。
全部、本物だ。
何だったら民間軍事会社の社員証だって複数ある。
一応、就労ビザなしで日本滞在は問題ない筈だが・・・
それでも警戒はしておくべきだな。
尾行している事、それ自体が普通の警察がやらない事だ。
刑事か、公安か。
まあそんな所だろう。
「何かご用件でも?」
「ッ?」
逆尾行は簡単だった。
相手が慣れていない事は明白。
それよりも尾行者の姿に戸惑ってしまう。
スーツ姿の若い女性だ。
・・・これは違うな。
官憲の匂いがしない。
何故、尾行なんてしたんだ?
思い当たる理由がない。
「やっぱりバレてたのね」
「・・・」
おかしい。
何かがおかしかった。
知っている顔じゃない。
なのに以前から知っているようなこの感覚。
誰だ?
いや、オレの脳裏に重なる人物ならいた。
「キース、貴方には分かるかしら? 私には分かるわ」
「・・・フィーナさん、か!」
「ええ、そう」
「一体、どうやって?」
「長い話になるわ、後にしましょ?」
彼女はそう言うと抱きついてきた。
何故だろう。
顔は見えていないのに泣いている。
そう思えた。
「今はこうしたい気分なの。いい?」
「ああ」
彼女の肩を抱いてそう答える。
そうか。
疑問なら山ほどある。
でも今、聞くのはやめておこう。
どうやらこの世界でオレは孤独じゃないらしい。
それが分かれば十分だった。




