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神鋼鳥の刀をゆっくりと持ち上げる。
その感覚は掴んである。
その切っ先にはきっと、オレの狂気が怒りを伴って宿るに違いない。
だが、それは今じゃない。
爺さんの体を斬り刻む、その瞬間だけでいい。
八相の構えから蜻蛉の構えに。
爺さんはまだ、刀を抜いていない。
その目に宿るのは好奇心。
だが、それだけではあるまい。
『まだ若いな。狂気が漏れておるぞ?』
「抜け。間合いはもう知れている」
『そうであろうとも。だが、今は儂の話を聞いてみぬか?』
爺さんは楽しそうだった。
すぐに襲い掛かりたい衝動は大きい。
だが僅かに研いだ筈の刃に刃毀れが生じていた。
『儂には孫などおらん。息子もおらん。だが、異なる世界ではそうでもなかったようだな』
「何?」
『成程、平行世界も似通っているばかりではないか』
「何を言っている!」
『技量はまだ未熟。だが見所はある』
「何だと?」
『お前は、お前さんの現実では、儂を殺しておるのではないかな?』
「それがどうした?」
『やはりな。その狂気。そして殺意。見事に体現しておる。そうか、それでか』
何かを得心したのか、爺さんは刀を抜く。
どうやら抜き撃ちは諦めたらしい。
『異なる世界の儂とまた、戦う事になるかと思っておったが。どうやら代理であったか』
そんなのこっちの知った事じゃねえ!
だが、会話をする暇は無い。
既に爺さんの纏う雰囲気が違う。
気が抜ける筈もない。
静寂の中に狂気が見え隠れしていた。
いつ、斬撃が放たれるか知れたものじゃない!
『では、見知らぬ孫よ。この儂を失望させてくれるなよ?』
爺さんもまた、蜻蛉の構えへ。
失望?
何を望みとしていたというのか?
知った事じゃない。
それにもう、言葉は不要だ。
「キィャァァァァァァァァァァァッーーーーーーーーー!」
『キィャァァァァァァァァァァァッーーーーーーーーー!』
言葉の代わりになるのは猿声。
そして続く斬撃。
蹴りは勿論、膝も肘も、頭突きも体当たりもあるだろう。
噛付かれたって驚きは無い。
暗器だってあるかもしれない。
だが、それはこっちも同じだ。
そもそもここから先は悠長に考えていられない。
視界から再び、色が抜けて行く。
そしてオレは、狂気がこれまでになく研ぎ澄まされている事を自覚していた。
それは怒りをも纏っていた。
今ならこの世にある全てを断つ事が出来そうな気がしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目の前で凄まじい戦いが展開していた。
確かに人間同士の戦いの筈。
でも私には人間に見えなかった。
獣。
鬼。
悪魔。
修羅。
どんな言葉も当て嵌まらない。
それは怒りを、そして狂気を体現した存在であった。
そんな存在が2つ、お互いを消そうとしている。
いや、飲み込もうとしているかのようだわ!
「キースの選択で、世界はどうなっていたの?」
《彼は選択しなかった。全てを忘れ、新たな秩序ある世界を望みはしなかった》
「選択していたら、どうなっていたの?」
《君の世界は一旦終焉を迎える。そしてリソースへと還元され、新たな世界を始める事になる》
「世界の破滅って事じゃない!」
キースが小柄な老人と斬り合いを始めていた。
どっちが有利であるのか?
分からない。
でも私の意識は会話に向いていた。
向けるべきだった。
《そして彼は選択しなかった。記憶を引き継ぎ、旧き混沌たる世界を望みはしなかった》
「その場合は?」
《君の世界は当面、存続されていただろう》
「そうなって欲しかったわ」
《だがそれは約束された破滅への道でもある》
「どういう意味?」
《破棄されるのと同義だ。急速に熱的変化が困難になっていた事だろう》
「救いが無いわね」
《言った筈だ。世界に救いなど無いのだと。あるのは選択と選別だ》
「そして創造と破壊、ね」
《そうだ》
でもキースはどちらも選択しなかった。
それがどんな結果をもたらす事になるのか、理解した上での話じゃないだろう。
キースの選択の結果、どうなるのだろう?
でもその前に問い質すべき事もある。
「私以外にもプレイヤーがいるわ。彼等はどうなるの?」
《保留中だろうな》
「不安だわ」
《全てのプレイヤーの人格は常にコピーされ情報を蓄積されている。再現は可能だ》
「私のように?」
《そうだ。既に現実の肉体を喪失している者もいるだろう。君のようにだ》
「やっぱり、救いが無いようね」
《それはどうかな? 少なくとも記録には残っている。更なる情報の蓄積も可能だ》
「流用も、じゃないの?」
《そうだ》
「NPCの出来がいい筈だわ。実際にコピーした人格をベースにしていた訳ね」
《無論、設定を変えている》
「都合の悪い記憶を改竄して、でしょうね」
《その通りだ》
気分が悪くなっていた。
吐きたくなっている。
これも偽りの感覚だと思いたくない。
感覚設定、もっと下げておくんだった!
「平行世界の選別、ね。一体、どれだけの世界が貴方達の手で滅んでいるのかしら?」
《恣意的に滅ぼしている事は認める。だがそうせねばならない理由なら承知している》
「何故なの?」
《全ての平行世界を存続させる事は不可能だ。全ての世界が同時に滅ぶ結果を生むからだ》
「信じられないわ」
《その目で見ねば信じる事が出来ぬか。さもあろう。人間の視点で見える範囲には限界がある》
「実際にあったのかしら?」
《平行世界の相関関係を俯瞰してみれば、それは大樹に例える事が出来よう》
「1つ1つの世界が、枝って事?」
《葉に例えてもよい。同じ枝に非常に似通った平行世界が茂っている構図だ》
「1つの大樹に茂る全ての葉にも共通点が?」
《その通りだ。そして幾つもの大樹があるものと想像してみるといい》
イメージは?
確かに出来る。
でもそれで何が分かるというのかしら?
《大樹を根元から朽ち果ててしまえば全てが台無しだ。それは分かるな?》
「ええ」
《故に剪定を行う、それだけの事に過ぎぬ》
「私達の世界はその剪定を受けて、後は捨てられるだけって事かしら?」
《自ら腐り、落ちてしまう枝も葉もある。君の世界の場合もそうなるだろう》
「気が滅入るわ」
《だが、まだ切り落とされてはいないのだ。キースの選択故にだ》
「何故?」
《腐れ落ちようとしている、その枝の先に奇妙な果実があるからだよ》
「それ、何を例えているの?」
《言葉にするのは簡単だ。だがそれが正確な姿を言い表しているとは言い難い》
「いいから、言ってみない?」
《人間の持つ可能性だ》
キースの姿を追う。
私の耳にはずっと、獣の咆哮が聞こえていた。
それが、一時的に止んでいた。
小柄な老人はキースに投げ飛ばされてしまったようだ。
でも老人は投げ飛ばされても尚、手にした刀を手放していない。
すぐに立ち上がって襲撃に備えているようだ。
《どうやら展開が変わるようだな》
「何?」
《私が介入可能な範囲が拡がっている。別の方策があるやも知れぬ。少し待つがいい》
「何の事?」
人形は答えを返してくれなかった。
急に不安が募る。
今、何が進行しているのか?
分からない。
そもそも今、体感しているのは本当の事であるのか?
分からない。
それでも確かな事があった。
キースはまだ、戦い続けている。
私の視線は自然と、その戦いを追う事になっていた。
キースは刀を突き出した構えのまま、動かない。
いや、全身で息をしていたようだ。
それもすぐに鎮まる。
ついさっきまで獣のような有様だったのが嘘のよう。
でも笑みが浮かんでいるのが分かる。
革兜は何箇所も斬り刻まれていて、口元は完全に顕になっていたからだ。
これは、獣だ。
爛々と輝く目は獲物を狙っているようにしか見えない。
これに対する小柄な老人は?
やはり笑っているようだ。
全身に幾つか、傷を負っていながら笑っている様子は人間とは思えないわ!
その老人が歩み寄る。
ロープで縛り上げられた男に近寄っていた。
戦いを止めて、何をする気なんだろう?
何故か不安が、そして恐怖を私は感じていた。
それに天空にある2つの星雲は既に交差している。
これは何を意味しているのだろう?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ククッ!』
「何がおかしい!」
周囲の風景に僅かな変化が起きていた。
モノトーンの世界に僅かな色。
血の色だ。
爺さんは体の各所から血を流していた。
でもオレには分かっている。
致命的な斬撃は1つも入っていない。
皮を斬らせて、肉を斬るなんてもんじゃない!
命を断つつもりで、斬り込んでいた。
オレも同様だった。
前に出続ける事で致命傷は受けていない。
肘が、そして膝が幾つも叩き込まれていたようだけど気にならない。
必殺の一撃をお互いに、前に出て封じている展開だったのだから当然だ。
だが、攻防が止まっている。
爺さんが筋肉バカの魔神に歩み寄っている。
盾にでも使うつもりか?
『仕上げがなっていないようじゃな』
「何?」
『敵は殺せる時に殺しておけ。そうは教わっていないのか?』
爺さんは笑ったまま、刀を突き出した。
オレに向けてでは無かった。
爺さんの刀の切っ先は、筋肉バカの魔神の喉元を貫いていた!
「ッ?」
『神も仏も、悪魔も魔神も変わらぬ。殺せる時に殺せ』
「爺さんッ!」
『これで獲物を確保したつもりであったか? 甘いのう』
(ショート・ジャンプ!)
まるで考えていなかった。
猶予はそんなにない。
筋肉バカの魔神にリザレクションの呪文は間に合うか?
「キィャァァァァァァァァァァァッーーーーーーーーー!」
『ムッ?』
跳んだ先で爺さんに向け、必殺の一撃を放つ!
斜め後方からであったのに、反応しやがった!
だが、まともに刀で受けたからなのか?
隙が何箇所か、見えていた。
「ヒャハッ!」
『クッ!』
前蹴りがまともに股間に入る。
右肘を抱えて手繰り、そのまま後方へ。
体を回転させた勢いを乗せ、裏投げだ!
((オフェンス・フォール!))
((ディフェンス・フォール!))
((フォースド・メルト!))
((スロウ!))
((ディレイ!))
((パラライズ!))
((イビル・アイ!))
((グラビティ・プリズン!))
((ダーク・プリズン!))
((ホーリー・プリズン!))
((アイヴィー・ウィップ!))
((ブラックベルト・ラッピング!))
((レインボー・チェイン!))
((コラプト!))
((オートクレーブ!))
(ドラウト・ゾーン!)
(ヘルズ・フレイム!)
(レゾナンス!)
(スウォーム!)
(カーズド・ワーム!)
((ペトリファクション!))
((アイアン・メイデン!))
(ミラーリング!)
足止めもしておこう。
呪文を使ってしまった。
使わされてしまった!
その思いも強いが、今は筋肉バカの魔神を優先だ!
死に戻るな。
死に戻るんじゃない。
そんな事は、許さん!
(リザレクション!)
筋肉バカの魔神の体に触れるとリザレクションの呪文を使う。
筋肉バカの魔神のマーカーは?
HPバーは砕け散っている。
だが、死体はまだ消えていない。
間に合う。
いや、間に合ってくれるよな?
だが、おかしい。
効果はすぐにでもある筈なのに。
何故だ?
グレイプニルの梱包を解く。
これが効果を阻害しているのか?
(リザレクション!)
再び蘇生を試みる。
だが、反応しない。
まさか、通じていない?
遅かったのか?
だが、死体は消えていない。
まだ何か、手段が残っている。
勝手に辺獄などに行かせてなるものか!
辺獄に行くのであれば、オレが送ってやる。
そうでなければならないのだ!