~夏~
夏、その日。渦巻く海の中で。私はその魔法使いと出会った。
浅川夏季。それが私の名前であるが、『江藤』という名字の家に居候として住むことになったのは、もう二、三年も前の話である。両親が死に、引き取ってくれたのが親戚で特に仲の良かったこの人たちだった。江藤さん夫婦は様々な事情で子どもが作れず、突然家族の一員となった私に対して、とても暖かく接してくれ、今ではもう両親の死は過去の話だと笑い飛ばすようになれたくらいだ。
二人に引き取られたため、私は引っ越した。本州のある橋を渡れば着く島の、海がベランダから見える、真新しい家。場所も少し田舎でスーパーから遠いが、良い人たちばかりで、ここに来て正解だったと確信している。そして、私も無事毎日橋を渡って登校する高校に慣れてきて、やって来た初めての夏休み。私は決めていることがあった。――一人で墓参りに行く、と。
今までは墓はここから少し遠い場所にあって、いつも三人で一緒に車に乗って行ってたのだが、私ももう高校生だ。もう一人で来れるくらいしっかりした、と両親に伝えたかった。おじさんとおばさんにその旨を伝えると、反対されるどころか、むしろここまで成長したんだね、と喜ばれ、私は何だかくすぐったい気持ちになった。
何はともあれ、無事行くことが決まった。不安なのは不安だが、どうにかなるだろうなんていつものお気楽思考で考える。そして、墓参りに行く前日。私は落ち着けなくて少しでも気を紛らわそうと、近くの浜辺を散歩していた、ら。
信じられない光景が目に映った。黄色の髪をポニーテールにした少女が、海の上に立っていた。しかもその少女を軸としたように海が渦巻いていたのである。これは、誰のせいなのだろうか。少女なのか、はたまた海なのか。距離を考えると大声を出せば声は届きそうだ。私は少し迷ったが、口に手を当てると大声で、
「あのー!何してるのかわかんないけど、服着たまま海に入ると危ないよー!」
黒いタンクトップに、スカートのようなひらひらがついたものの下に黒いスパッツ。そしてこげ茶のオシャレなサンダル。どう考えても海に入るような格好ではない。と、向こうが私に気付いたらしくこちらを向いた。すると、海が渦巻くのがピタッと止まって、彼女はなんと水中歩行をしながらこちらに歩いて来た。さながら忍者のような行動に私はただ、驚くしかない。思考も、何で服やサンダルが濡れてないんだろう、とか間違った方向にしか働いてくれない。そうしている内にも彼女はずんずんこちらに歩いて来て、ついに私の前でピタリと止まった。
「私に声かけたのあなた?」
「そ、そうだけど」
「悩みとかある?」
「へ?」
いきなり脈絡のないことを聞かれたので私は思わず変な声を出した。確かに悩みがないと言えば嘘にはなるが、宿題がめんどくさいなど小さなことばかりで他人に話すような大きな悩みは何一つ抱えていない。断言できるくらい自信がある。
「ごめんだけど、ないかな」
「マジで?じゃあ、あっきーが嘘吐きなだけなのかな~」
あっきーとは彼女の友達なのだろうか。それにしてもこの人、誰?
「あなたの名前は?」
「名前?魔法使いだからないよ」
「へ~……って、え?!」
「強いて言うなら夏の魔法使い、かなぁ」
「ま、魔法使い!?」
「うん、そだよー。四季を操る魔法使いがいて、私はそれの夏担当!」
ま、魔法使いって本当にいたんだ……。にわかには信じ難いことだが、さっきの不思議な現象や
濡れていない衣類が、彼女が本物だと物語っているような、気がする。魔法使いって隠れてこそこそしているイメージがあったけど全然そんなんじゃばかったんだなぁ……堂々と自分魔法使いだってばらしてるし。
「で、あなたの名前は?」
「私?私は浅川夏季。十五歳だけどもうすぐ十六かな」
「へ~。もうめんどくさいから率直に言うけどね、私たち本当は人間に認知されない存在なの」
「え?!」
じゃあ、何で私には見えてるんだ?死期が近い?……そんなの真っ平ごめんだ。
「そ、そんな暗い顔しないで?別にアンタが霊能力者とかそういうワケじゃないから」
「じゃあ、どういうワケなのよ……」
「あっきー……あ、秋の魔法使いのことね。が言ってたことには悩んでいる人間には私たちが見えるらしいって噂があるらしいんだけど……つっきーがそう言うならただの偶然なのかなぁ?」
つっきー、とは私のことか。夏季の『つき』でつっきー。別に不快感はないし、『なっつー』と呼ばれるよりは数倍マシだ(なっつーなんてダサすぎる)と思ったので、何も言わないことにする。
「ねえ、本当に何にもないの?」
「そんなこと言われても……」
何か、変わってるな。いや、魔法使いだからもうすでに十分変わり者なんだけど。普通の人間なら、誰か悩んでいる人がいても親しい人でない限り面倒事に巻き込まれたくないって見て見ぬフリをするのに、彼女は自分自身進んで首を突っ込もうとするのだ。……まあ、彼女の努力も私に対しては空しいものになってしまうのだが。
「せめて不安なこととか……」
どんだけこの人は私から悩みを見つけ出したいんだ。でも、『不安』というキーワードに私の体がピクリと反応した。
「お!何かあるの?」
「……人が不安で喜ぶなんて不謹慎じゃない?」
指摘されたのが何だか決まり悪くって、私は皮肉交じりにそう言い返してやる。すると、彼女は今度は私を宥めるようにして、
「ごめんごめん。そんなつもりじゃなくって、ただ、つっきーの力になれるんだったら協力したいな、って思っただけなの。私も魔法使いだけど、季節を動かすこと以外だったら海の水を少し操るのと水上歩行くらいしかできない。そんな私でも力になれるんだったらなりたいの!」
無垢な、なんの裏もない笑顔を見て、私は皮肉を言ってしまったことを少し後悔した。そして、彼女に明日のことを言うと決めた。
「明日ね、墓参りに行くの。初めて一人で」
「へえ。誰の?」
「お母さんと、お父さんの」
そう言うと、彼女の顔が曇った。
「ご、ごめんね。聞いちゃって……」
「ううん、気にしないで。聞かれるのは想定内だったし」
逆に聞かない人の方が少ないんじゃないだろうか。私の言葉を聞いて彼女がまた顔を明るくする。さっきから思ってたが、随分単純だ。魔法使いだったら絶対私より年上のハズなのに。って、魔法使いだからって勝手にイメージで決めちゃいけないか。ついつい決めちゃうけど。
「で、何が不安なの?」
「不安、っていうか……一人だけど大丈夫かなぁ、って。本当にそれだけ」
しょうもないでしょ?と苦笑しながら言うと、彼女は首を横に振った。
「不安に思うことをバカにしたりなんてしないよ、私」
「そ、そう」
「……あ、随分遅くなっちゃったけど。私のことはナツミって呼んで!せっかく考えたあだ名だったのに、みんなノリ悪くて呼んでくれないから不満だったの!」
何となく、自分のあだ名がなっつーにならなかった理由がわかった。
「わかった、ナツミね」
「そうそう!さすがつっきーは人間だから話がわかるわね!」
何だかテンションが上がってるみたいだが、結局彼女……ナツミはどうしたいのだろうか?
「ナツミ、協力するとか言ってたけどどうするの?私としては別に協力するほどのものじゃないんだと思うんだけど」
「あ、忘れてた!」
忘れてたのかよ!ツッコミたくなったが、話がまたそれそうだったのでなんとか抑え込む。ナツミは少し顔を下に向けると、やがて何か思いついたように顔を上げた。
「決めた!つっきー一人じゃ不安なんでしょ?ついて行ってあげる?」
「はあ!?」
何言ってるんですかこの人は。それじゃあ私の一人で行くという元の目的が達成できない。正に本末転倒だ。
「私、一人で行きたいんだって言ったわよね?」
「言ってたよ。だけど、魔法使いなら人間じゃないからカウントに入らなくない?」
「そういう問題なの?」
「それに……友達がいた方がつっきーのおじさんとおばさんは安心すると私は思うけどな~」
なるほど、そんな考え方があったか。……かなり本末転倒すれすれだが、それでもいいかもしれない。旅は道連れ世は情け、だ。
「うん、いいよ」
「え?じゃあ……」
「明日一緒に行こう!」
「やったー!」
なぜかナツミがぴょんぴょん飛び跳ねる。本当に魔法使いらしくない魔法使いだ。
「また明日この浜辺に待ち合わせね」
「うん、約束ね!」
私たちは手を振って別れた。
翌日。私はナツミと合流して出発した。おじさんとおばさんにはやっぱり友達と行くことにした、とだけ報告した。二人はせっかく都会も通るんだし目一杯遊んできなさい、と交通費とお小遣いをプラスアルファでくれた。ラッキーだ。
ナツミは私と会うまではずっとああして海の近くや中で夏を過ごしていたらしく、初めての電車や
道路を見た時さえも感嘆の声をあげた。なぜかお金を持っていたため、私の所持金はナツミの交通費で削られないまま、私たちは墓に向かう。都会さえやり過ごせば、後は人が少ないので何をしても割と大丈夫だった。途中でアイスを買った。百二十円の、自動販売機で売ってるヤツだったけど、二人で食べると美味しかった。ナツミは毎年夏になったらこれを食べると豪語したくらい、美味しさに感動したという。目的地に近づくにつれ、私は二人で来てよかったと思えた。――そして。
「ここが、つっきーの両親のお墓?」
「うん。ほら、『浅川家之墓』って彫られてるでしょう?」
都会から少し外れた郊外にある小さな寺の近くの墓に、私の両親は眠っている。
「そう言えば、ずっとつっきーって言ってたから忘れてたけど、名字浅川だもんね」
草むしりをするつもりだったが、もうすでに他の親戚が来ていたらしく、墓の周りには雑草がなかった。こちらとしては楽ができるから嬉しいが、やることが一つなくなって気も抜けてしまった。とりあえず水をかけ花をいれ、あとはお供え物。そして、二人で手を合わせて目を閉じる。
お母さん、お父さん今日は魔法使いと一緒に来たよ。こんな子が魔法使いなんて信じられないでしょう?でも、ホントのこと。名前はないらしくって、自分でナツミっていうあだ名を考えたんだって。本当は一人で行くつもりだった。けど、ナツミが一緒に行こう、って言ってくれて。最初は
何言い出すんだとか思ったけど、今はこれでよかったと思う。そう言えば、初めて一人で来たんだよ。え、ナツミがいる?……ナツミは魔法使いで人間じゃないからカウントには入らないんだって。面白い理屈でしょう?二人とも、元気にしてるよね。私もおじさんとおばさんのおかげで元気です。幸せです。そして今年の夏の墓参りは忘れられないものになったことを報告しておきます。ではいつも最後に言っている常套句を。
――私は、お母さんとお父さんの子どもで幸せでした、いや、幸せです。
「一緒に帰らないの?」
てっきり一緒に帰るとばかり思っていたらナツミの答えはノーだった。
「確かにつっきーと夏を一緒に過ごせたらきっともの凄く楽しいと思うけど……。そうしたらきっと後が辛くなっちゃうから」
だから、これでサヨナラ。いつもの元気とは正反対なしんみりとした口調でナツミは言った。改めて、ナツミが季節の魔法使いであることを思い知らされる。そう、夏はよくても秋にはいなくなってしまうのだ。そして、再開なんてできるかどうかもわからない。いや、現実を見ればできないに等しい。……そんなこと気にしないのに。でも、私は今まで我が儘に付き合ってくれた分、最後
のナツミの意見くらい尊重してやりたい。
「わかった」
私はうなずく。ナツミは申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね?」
「ううん、私こそ」
「気にしてないよ、そんなこと」
「じゃあお互い様だ」
そう言えば、ナツミの頬が緩んだ。やっぱりナツミは笑っていた方が良い。夏の魔法使いは夏らしく、元気な笑顔が一番だ。
帰りの電車が来た。どちらともなく離れる。私は電車に乗り込む。
「またね、ありがとう」
「どういたしまして。こちらこそありがとう、またね」
サヨナラなんて言葉が出ることは二人の口からは一度もなかった。やがて、通過待ちをしていた電車がゆっくり動き出す。窓を見ればナツミは走って最後まで私を見送ってくれるみたいだった。この電車は田舎だからか窓が開く仕様になっている。私は窓を開けた。すると、
「つっきぃーーー!」
ナツミが何かを投げてきて私は慌ててそれをキャッチする。見れば、それはリボンがついた向日葵だった。しかもご丁寧なことにリボンには『つっきー』と書かれてある。いつの間にこんなことをしたのだろう。……まったく、こんなことをされたら認知症になってもきっと忘れられないだろう。変わった私のあだ名と……それを付けた魔法使いのことを。ナツミはもう走っていなかった。段々小さくなっていく。その口が『元気でね』と口パクをして笑ったように見えた。
結局都会で買い物をしたのは向日葵が映えそうなシンプルな花瓶だった。水を入れたそれに、私は向日葵を静かに入れる。この向日葵はいつまで咲いているだろう?――せめて彼女と出会ったこの夏までは元気に咲いていてほしい、そう願った。
―END―




