浦島太郎、現代にてヒモ生活を満喫す〜玉手箱をなくしたら、嫁が迎えに来ました〜
■竜宮城
海の底の、きらびやかな竜宮城。
豪華絢爛な宴。そこかしこで鯛や平目が舞い踊る。
太郎は上機嫌だった。
酒は美味い。料理も美味い。そして何より、乙姫が美しい。
盃を置いた太郎は、ふと思い出したように懐を探った。
「そうじゃ」
ごそごそと懐から取り出したのは、一本の簪。地上の市で見つけた品だった。本当なら、いつか嫁に迎える女子へ贈ろうと思っていたもの。
「乙姫様」
銀細工の美しい簪。
乙姫は目を見開く。
「これは……」
「地上で見つけたものじゃ」
太郎は照れくさそうに笑い、簪を差し出した。乙姫は戸惑いながらも、そっと両手で受け取る。
「いつか嫁に迎える女子へ贈ろうと思うておった」
魚たちがざわつく。
乙姫も固まる。
「わたくしに?」
「うむ」
太郎は当然のように頷いた。
「乙姫様によく似合うと思うてな」
乙姫は簪を見つめる。
そして、恐る恐る尋ねた。
「太郎様」
「なんじゃ?」
「それは……求婚ということでしょうか。」
太郎は首を傾げる。
「求婚?」
「夫婦になる約束の証です」
「ほう」
太郎は感心したように頷いた。
「竜宮城ではそうなのか。じゃが、乙姫様にはよう似合っておる」
魚たちは一斉に頭を抱えた。
(そこじゃない!)
(否定しろ!)
(話を聞け!)
乙姫の頬がみるみる赤く染まる。
「……嬉しいです。太郎様と夫婦になれるなんて……」
俯き、両手で頬を覆う。
「うん?何か言ったかの?しっかし、恥じらう姿も美しいの!」
その一言で、乙姫の理性はぷつりと切れた。
「皆の者!」
ばんっ、と乙姫が立ち上がる。
「宴を開きなさい!最大規模で!本日より太郎様は、わたくしの、おっ、おっ、夫です!」
魚たちは一瞬だけ固まり、次の瞬間には蜘蛛の子を散らすように駆け出した。竜宮城はたちまち大騒ぎになった。
太郎は元気よく頷く。
「乙姫様が嬉しそうで何よりじゃ!」
■数日後
宴は終わりを迎えようとしていた。
太郎は名残惜しそうに盃を置く。
「乙姫様」
「はい」
「一度、故郷へ帰りたいのですが」
乙姫は少しだけ目を伏せた。
それから、小さな木箱を差し出す。
漆黒の箱。金の細工が施された、美しい箱だった。
「では、この玉手箱をお持ちください」
「玉手箱?」
「これは貴方を守るお守りです」
静かに語る。
「この竜宮城は、地上とは時の流れの異なる異界」
太郎は首を傾げる。
「異界?」
「恐らく、地上では数百年ほど経っているでしょう」
「……へ?」
数秒。
太郎の顔色が変わる。
「数百年!?」
乙姫は静かに頷いた。
「故郷も、知る者たちも、既に失われているでしょう。この玉手箱は、その急激な時の流れから貴方を守るもの。決して開けてはいけません。……貴方の身体が、時の流れに耐えられませんから」
太郎は黙り込んだ。
故郷、浜辺、村の者たち、助けた亀。様々な顔が脳裏をよぎる。
そして。
「つまり」
ゆっくり顔を上げる。
「未来の日本へ行く、ということか?」
「その通りです」
真剣な顔で頷いた。
「なるほど」
しばし沈黙。
乙姫は少しだけ不安そうに尋ねる。
「……太郎様?」
太郎は考える。
数百年後。未来の日本。見たこともない景色。見たこともない文化。
そして。
にへら、と表情が崩れた。
「……数百年後の日本の女子とは、どのような姿をしておるのじゃろうな」
「はい?なにかおっしゃいましたか?」
「いやいや!未来とはどのようなものか楽しみじゃとな!はっはっは!」
乙姫は微笑んだ。
しかし、周囲の魚たちは、なんとも言えない顔をしていた。
太郎の脳裏には、見たこともない未来の美女たちが浮かんでいた。
「きっと、べっぴんさんが沢山おるに違いない」
にゅいーん、と鼻の下が伸びる。
乙姫は無言になった。
魚たちも無言になった。
遠くで亀だけが。
「かめぇ……」
と、呆れたように鳴いた。
乙姫は、そっと簪に触れた。指先で銀細工をなぞる。どこか寂しそうに微笑み、
「私は海で待っております。……必ず、お戻りくださいね」
太郎は力強く頷く。
「もちろんです!乙姫様ほどのべっぴんさんを置いて、どこかへ行ったりせぬ!」
乙姫の頬が少し赤くなる。
魚たち。
(言質)
(今の言質)
(全員聞いたぞ)
「では、亀。太郎様を、お送りして差し上げて」
「かめぇ」
太郎は亀の背に乗り、海面へ向かって浮かび始めた。
ゆっくり、ゆっくりと。
竜宮城が遠ざかる。
乙姫が小さく手を振っていた。
太郎も大きく手を振り返す。
「では、少しだけ行って参ります!」
「お気をつけて」
海面が近付く。
ゆらゆらと光が射し込む。
■海岸
ざばぁっ。
大きな波しぶきと共に、亀が砂浜へ乗り上げる。
「かめぇ」
「おおっ!」
浦島太郎は勢いよく飛び降りた。
目の前には、見たこともない景色が広がっていた。
空へ伸びる灰色の建物。黒く平らな道を駆ける巨大な塊。空には白い線を引いて飛ぶ物体。
「未来の日本……!」
胸を躍らせながら、一歩。二歩。
歩き出した、その時だった。
「キャーーッ!」
「待って待って、今撮るから!」
「やばーい!映えー!」
太郎は、ぴたりと止まった。
視線の先。
浜辺では、数人の若い娘たちが水を掛け合って遊んでいた。
布地は少ない。脚も、肩も、惜しげもなく晒されている。
太郎の目が、かっと見開かれる。
「な、なんと……!」
ごくり。思わず唾を飲み込む。
「未来とは……なんと恐ろしく、なんと素晴らしいところなのじゃ……!」
娘たちが、こちらを振り向いた。
目が合う。
「あれ?」
一人が目を丸くする。
「何あの人」
「え、ちょっと待って」
「ガチでイケメンじゃない?」
波打ち際に立つ青年。
黒く艶のある髪。日に焼けた健康的な肌。無駄のない引き締まった身体。素朴な着物姿なのに、不思議と絵になっている。
まるで昔話から、そのまま抜け出してきたようだった。
「コスプレ?」
「俳優さん?」
「え、撮影?」
太郎はそんなことには気付かない。
震える指で娘たちを指差した。
「み、皆……、下着姿で往来を……!?」
一瞬。
娘たちは顔を見合わせる。
そして。
「あはははははっ!」
爆笑した。
「何それ!」
「ウケるんだけど!」
「ていうか、声までイケメン!」
一人のギャルが、ずんずん太郎の前まで歩いてくる。
亜麻色に染めた髪。眩しい笑顔。
「ねえねえ、お兄さん!名前なんていうの?」
太郎は、少しも臆することなく答えた。
「わしは、浦島太郎という名だ!」
「え?」
「うらしま?」
「マジ?」
娘たちは、また吹き出した。
「絶対ウソじゃん!」
「芸人さん?」
「YouTube?」
「ゆーちゅうぶ?」
太郎は首を傾げる。聞き慣れない言葉だった。
その様子を見て、ギャルたちの笑い声はさらに大きくなる。
「やば、この人かわいい!」
「天然じゃん!」
「ねえ、ちょっと一緒に遊ぼ!」
太郎はきょとんと目を瞬かせた。
「よいのか?」
「もちろん!」
「ご飯も食べ行こ!」
太郎の腹が、ぐぅぅぅぅ、と鳴った。
「では、少しだけ世話になるとしよう!」
娘たちは腹を抱えて笑う。太郎もつられて笑った。
「太郎くん、焼肉好き?」
「やき……?」
「肉!」
「にく!?」
太郎の瞳が輝く。
「よし!腹ごしらえをしたら、乙姫様への土産も探さねばな!」
少し離れた海の中から、乙姫は静かに太郎のことを想っていた。
「……太郎様」
その手には、太郎が渡した簪があった。
夫婦の証。
波が寄せる。
さらさら。
さらさら。
「……ちゃんと、帰ってきてくださいね」
その声は白い泡となり、ぱちりと消えた。
■一ヶ月後:ワンルームマンション
朝。
カーテンの隙間から、初夏の日差しが差し込んでいる。
テーブルの上には食べかけのポテトチップス。飲みかけのペットボトル。
そして、場違いなほど立派な漆黒の玉手箱。
その横で。
「……すぅ」
浦島太郎が、床に敷かれた布団で気持ち良さそうに寝息を立てていた。
ぴぴぴぴぴ。目覚まし時計が鳴る。
「んぅ……」
ベッドの上。
若い女が眠そうに腕を伸ばして止めた。
「……太郎くん」
「うむ」
「仕事行くから」
「うむ」
「お昼代、置いとくね」
「ありがたい」
女は苦笑した。
「太郎くんさぁ」
「なんじゃ?」
「全然働かないよね」
太郎は真顔で答える。
「働こうとは思っておる」
「思ってるだけじゃん」
「じゃが、おぬしらが皆、『いいよいいよ』と言うので」
「……まあ、顔がいいからねぇ」
女は笑いながら太郎の髪をくしゃりと撫でた。
「じゃ、行ってくる」
「うむ!」
ぱたん、とドアが閉まる。
静寂。
太郎はしばらく天井を見つめていた。
それから、むくりと起き上がる。
Tシャツ。ハーフパンツ。ツーブロックに刈り上げられた髪型。完全に現代人の格好だった。
「うむ……」
テーブルを見る。千円札が二枚。太郎は指でつまみ上げた。
「便利じゃな」
ぺらり。
一ヶ月前、初めて見た時は驚いた。ただの綺麗な紙切れだと思った。
しかし、これで飯が食える。服が買える。電車にも乗れる。
「未来の小判は軽くて良い」
満足そうに頷く。
その時、ぶるるるる、と青いスマホが震えた。
太郎は自然な動作で手に取る。もう驚かない。
一週間前。
「連絡取れないと不便だから」
そう言ってギャルの一人が中古のスマホを譲ってくれたのだ。
最初は妖怪の類だと思った。今でも少し思っている。
『今日ヒマ?うち来る?カレー作るよ』
送り主は奈々。
太郎は眉をひそめた。
「ふむ」
文字はまだ遅い。
しかし、覚える気はある。
未来は面白い。知れば知るほど面白い。
じぃーっ、と画面を睨む。
「うち。くる。かれー」
数秒後。
太郎は立ち上がった。
「なるほど!」
ぽちぽち。
『いく』
送信。
ぴこん。
『やったー!じゃ駅で待ってるね!』
太郎は満足そうに頷く。
「未来の文は飛脚より速い」
スマホ。財布。様々な家の鍵、じゃらり。
出掛ける支度を整える。
その時、ふと。
テーブルの端に置かれた玉手箱が目に入る。
箱を持ち上げる。
「持って行くか」
玄関へ向かう。スマホが震えた。
『駅着いたよ!』
「おお、もう着いたか!」
慌てて靴を履く。
「待たせてはならぬ!」
ばたん。
ドアが閉まる。
玄関には、玉手箱だけが残されていた。
その頃。遠い海の底。
乙姫は簪をそっと撫でていた。
「……太郎様」
静かな声。
「ちゃんと、お持ちですよね?」
珊瑚の間を魚たちが横切る。
返事はなかった。
■半年後:海沿いのファミレス
昼。
窓の外には青い海。
制服姿の学生。買い物帰りの親子。サーフボードを抱えた若者。
その中で。
「マジ、それじゃな」
金髪の青年が、ドリンクバーのコーラを飲みながら頷いた。耳にはピアス。少し焼けた肌。ゆるく着崩したパーカー。
誰が見ても、どこにでもいるギャル男だった。
ただし、顔だけはとんでもなく良かった。
「太郎くん、また女の子の家変わったん?」
向かいに座るギャルが尋ねる。
太郎はストローをくるくる回しながら答えた。
「んー。昨日までは美咲ん家。今日は優奈ん家。明日は、多分あかりん家?」
「最低」
「クズ」
「人の心ないん?」
口々に責められる。太郎は首を傾げた。
「皆、自分から来いと言うのだが?」
「天然って怖」
「ていうか、それで何で嫌われないの?」
太郎は真剣な顔をした。
「飯を作ってもらったら、皿洗いをする。洗濯物も畳む。風呂掃除もする。犬とも遊ぶ」
一同、沈黙。
「……普通にいいヒモじゃん」
「ちょっと欲しい」
「顔もいいし」
太郎は首をかしげる。
「ヒモ?……それは、ええ男って意味かの?」
「うん」
「未来では最高の男の称号」
「そうか!」
店内に笑い声が響く。
テーブルの端。太郎のスマホが震えた。
『今日、泊まり来る?』
太郎は慣れた手つきで返信する。
『爆速で行くからの!』
「ギャル語まで覚えてる!」
「吸収力バケモンじゃん!」
「未来の文化は面白いのう」
太郎は満足そうに笑った。
「コンビニ」
「スマホ」
「サブスク」
「あと、ギャル」
「ギャル?」
「ギャルじゃ」
全員が吹き出した。
「そんな好きなの!?」
太郎は真顔で頷く。
「数百年後の女子は、皆べっぴんさんじゃ」
――……そうですか。
ふわり。潮の香りがした。
太郎は振り返る。誰もいない。
「太郎くん?」
「どした?」
「……いや」
気のせいか。
海の方を見つめる。波が寄せては返す。
さらり。
さらり。
どこか懐かしい音だった。
「そういえば」
ギャルの一人が言う。
「太郎くん、あの古そうな箱は?いつも持ち歩いてたやつ」
太郎は、ぽかんとした。
「あ」
「……え」
「……まさか」
「……どこじゃったかの?最後に見たのが思い出せぬ」
全員が固まる中、太郎は腕を組む。
「芽衣ん家か、瑠奈ん家か。いや、葵ん家?」
しばらく考え、にかっと笑った。
「まあ、誰かん家にはあるじゃろ!」
「「「軽っ!!」」」
ざぶり。
水平線の向こうで、何かが静かに動いた。
■一年後:海水浴場
夏。青い空。白い雲。
波打ち際では、若者たちが笑い声を上げていた。
「太郎くーん!」
「こっちこっちー!」
「早くー!」
「今行くぞー!」
すっかり現代に馴染んだ浦島太郎が、笑いながら海へ飛び込む。
ばしゃんと大きな水しぶき。
「現代さいこー!」
ギャルたちも笑う。
「何それー!」
「また言ってる!」
「太郎くん、ほんと現代好きだよね!」
「うむ!」
太郎は胸を張る。
「飯は美味い!風呂は勝手に湧く!箱が勝手に喋る!しかも女子は皆べっぴんさん!」
「はいはい」
「チャラ男」
「女たらし」
太郎は悪びれもなく笑った。
「皆、優しいからのう!」
その時。
ざぶ。波が、不自然に揺れる。
波打ち際だけ、水温が急に下がった。
太郎だけが気付く。
「……なんじゃ?」
沖に誰かが立っていた。
膝まで海に浸かっている。白い着物。濡れて体に貼り付いた長い黒髪。
微動だにせず、こちらを見つめている。
太郎の笑顔が、少しだけ固まった。
「……乙姫様?」
女は一歩、海の中を歩いた。
ざぶ。また一歩。
波は、その足を沈めない。
ギャルたちも異変に気付く。
「え」
「誰……?」
「撮影?」
女は静かに微笑んだ。
「太郎様」
その声は、波の音も周囲の喧騒も、すべて飛び越えて太郎の耳へ届いた。
太郎は一歩、後ずさる。
「乙姫様……」
乙姫は、竜宮城で別れた日と何も変わらない笑みを浮かべていた。
「お迎えに参りました」
太郎の額を、冷たい汗が流れる。
「あ、いや……その……」
「はい」
「わし、今ちょっと……」
太郎は周囲のギャルたちを見回し、へらりと笑った。
「現代で、楽しく暮らしてまして」
静寂。
乙姫は穏やかに頷いた。
「ええ。存じております」
その笑みは崩れない。
「海から、ずっと見ておりましたから」
太郎の背中を冷たいものが走る。
「『少しだけ』と、おっしゃいましたね」
一歩。
波を踏んでも、沈まない。
「わたくしは一年、お帰りをお待ちしておりました」
また一歩。
「ですが」
波が静かに揺れる。
「どうやら、帰ってくるお気持ちはなかったようですね」
太郎は慌てて首を振る。
「い、いや!違うんじゃ!」
「では」
乙姫は首を傾げた。
「玉手箱は、お持ちですか?」
「……あ」
太郎は固まる。
乙姫は変わらぬ笑顔のまま、静かに待っていた。
「お持ちですよね?わたくしとの、大切な約束ですもの」
太郎の口元が、ひくりと震える。
「……その」
「はい」
「……実は」
視線が泳ぐ。
ギャルたちも、ただならぬ空気を察して黙り込んだ。
「……どこに置いたか、忘れたのじゃ」
ほんの一瞬。
乙姫は目を閉じ、小さく息を吐く。
「そうですか」
穏やかな微笑みは崩れない。
「開けては、おられないのですね」
「う、うむ」
「それなら、安心いたしました」
乙姫は静かに頷く。
「玉手箱が近くにある限り、太郎様のお身体に危険はありません」
太郎は胸をなで下ろす。
「よ、良かった……」
「何より、太郎様がご無事で安心いたしました」
乙姫は静かに近付く。波は立たない。
ただ、海だけが、ゆっくりと太郎の足元へ寄せてきた。
太郎の笑みが、消える。
身体が、勝手に震えた。
理屈ではない。
漁師として生きてきた勘が、叫んでいる。
逆らうな。
目の前にいるものは、人ではない。
「……あ、あの」
太郎は引きつった笑みを浮かべた。
「乙姫様。せっかくじゃし、まずは浜へ上がって、一息つかれてはどうじゃ?」
乙姫は、にこりと微笑む。
「お気遣いありがとうございます」
寄せる波と共に、その姿は静かに近付く。
気付けば。もう、手を伸ばせば届く距離だった。
「ですが、夫婦が離れている時間は、もう十分過ぎました」
ぞくり。
太郎の背筋を冷たいものが走る。
逃げなければ。
太郎は反射的に身を翻した。
砂浜へ逃げようとした、その先に。
「え……?」
白い着物が、行く手を塞いでいた。
「旦那様」
ひやり。
白く細い手が、そっと太郎の肩へ触れた。
その細い指は、驚くほど優しかった。
だからこそ、振り払える気がしなかった。
同時に、足首にも氷のような冷たい感触。
見下ろせば、海底から伸びた白い腕。
一本。
また一本。
さらに一本。
ゆっくりと太郎の脚へ絡みついていく。
「ま、待って!乙姫様!悪気はなか――」
肩へ置かれた手に、そっと力が入る。
「ちゃんと、一緒に帰りましょう」
細い指が、ほんの少しだけ食い込む。
「もう、お離ししません」
「……あぁっ―!!」
ぱちゃん。
小さな水音だけが残った。
波間に片方だけ脱げたサンダルが浮かぶ。
そして、呆然と立ち尽くすギャルたち。
誰かが、震える声で呟いた。
「……太郎くん?」
返事はない。
ただ、遠い沖合で。
黒く長い髪が、波間に揺れたような気がした。
それ以来。
夏になると、その浜辺では。
『旦那様』
そんな女の声が聞こえるという。
浦島太郎は、竜宮城で仲良く暮らしているのだろう。
今度こそ。
乙姫のそばを、離れずに。
めでたし。 めでたし……?




