12.代償
騎士を圧倒した私は、気づかないうちに歩き出していた。
冷たく言い放って背を向けたはずなのに、数歩進んだところで急に世界がぐらりと傾いた。
視界から色が抜け、セピア色に染まっていく。
心臓が耳元でうるさいほど警鐘を鳴らしていた。ドクンドクンと脈打つたびに、全身の血が冷たくなっていくような感覚。
(あれ、……足に力が入んない……)
膝から崩れ落ちる私を、誰かが抱きとめた。
「ナチュ様!ナチュ様!!」
「おいナチュ!しっかりしろ!!」
ニードさんの悲鳴のような声と、ギギの焦った声が遠くに聞こえる。
さっきまであんなに溢れていた魔力が、今は一滴も残っていない。まるで底の抜けたバケツだ。指先一本動かすどころか、瞼を開けていることすら億劫で、私はそのまま深い闇の底へと沈んでいった。
◇ ◇ ◇
……気づけば、私は駅のホームに立っていた。
夕暮れ時の、見慣れた地元の駅。
部活帰りの中学生の声や、電車の入線音が妙に心地いい。
ふと自販機の鏡を見ると、そこには緑の肌の化物ではなく、紺色のブレザーを着て、髪を少し巻いた「私」がいた。
「菜都、おっそーい!先行っちゃうよ?」
改札の向こうで、友達が笑いながら手を振っている。
そうだ。今日はこれから、駅前のカフェで新作のフラペチーノを飲む約束だったんだ。
駆け寄ろうとして、私は自分の手を見て足を止めた。
私の指先は、真っ黒な泥のような「影」にまみれていた。
ブレザーの袖も、お気に入りのスクバも、触れるものすべてがドロドロと黒く汚れていく。
「ねぇ、菜都。さっきの、本気だったの?」
友達が、無機質な声で問いかけてくる。
いつの間にか、彼女たちの顔には目も鼻も口もなくなっていた。
「あんなの、菜都じゃないみたいだった。……人殺し」
「違う、……あいつが、あいつらが先に……っ!」
言い訳しようと叫んだ瞬間、真っ黒な影が私の足元から爆発的に噴き出した。
楽しかったはずの駅のホームが、友達が、青い空が、すべて私の放った「重圧」に押し潰されてバラバラに砕け散っていく。
(やめて……壊したくない、私はただ……っ!)
◇ ◇ ◇
「……っ!!」
飛び起きると、そこは自室にあるベッドの上だった。
全身が嫌な汗でぐっしょりと濡れている。
「……夢、か」
横を見ると、ギギが椅子に座ったまま、私の手を握って居眠りをしていた。
そして部屋の隅、影に溶け込むようにして、バザルグさんが静かに座っていた。
「……目が覚めたか、ナチュ殿」
「バザルグ、さん……。私、」
「案ずるな。あの騎士は生きておる。ニードが手当をして、森の外へ放り出してきた」
バザルグさんは立ち上がり、ゆっくりと私のそばへ歩み寄った。
「力が心を超えたとき、人は……いや、我ら魔物は『獣』になる。お主が感じた怒りは正当なものじゃ。だが、その力で誰を救い、誰を傷つけるか。それを選ぶのが、お主に課せられた『業』なのじゃよ」
私は自分の手を見つめた。
そこにあるのは、人とは違う、緑色の、ゴブリンの手だ。
もう、放課後のカフェで笑っていた自分には戻れない。
「……怖かった」
騎士の罵倒よりも、自分の指先から溢れたあの黒い影が、何よりも怖かった。
私はギギを起こさないように、声を殺して泣いた。
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