はじまりの虹、初恋
拓磨は俺の手をとって走り出した──。
「今日こそあそこへ辿り着くんだ」
「え、ちょっ…!待って、一体何!?」
急に俺の左手を強く握って俺の意思なんておいてけぼりで力強く引っ張る。
部活の帰り道、もう嫌なほど走った後だというのに、拓磨は容赦なく走る。俺はヘロヘロの足を置いていかないように必死に前へ前へと動かす。
拓磨も俺も息を切らしながら必死にアスファルトを蹴った。
さっき降った通り雨の匂いが、まだ残っていた。
夏の終わりの蒸し暑い夕方。陽の傾きが、かすかに秋の気配を感じさせる。
昼間の熱気を帯びたままのアスファルトは、最後の汗まで絞りとるように身体に纏わりついた。
「た、拓磨、俺もうギブ…」
拓磨の手を離そうと力を抜く。二人の汗で濡れた掌はもう一度きつく握られた。
俺よりも一回りがっしりとした拓磨からしたら、俺なんて引きずって行くことも簡単なのかもしれなかった。
「嵐まだいけるいける!」
「いやいや、いけるかどうか決めんのは俺だから…」
「いや、今日だけは、今だけはオレに決めさせてくれ!」
「え?意味わかんないこと言い出すなよ、マジ、横っ腹痛くなるから笑わせんな!」
俺は空いてる右手で腹を抑えた。
ドタドタと走り、背中のリュックは前に進めと言わんばかりに背中を叩くように揺れる。
「荷物、オレが持つから」
「いや、いいよ。てか、さっきからどこ目指してるわけ?」
俺は散歩を拒否るワンコのように、グッと足に力を込めて立ち止まった。
「それは、えっと…」
そう言って拓磨は指さした。
顔を上げると空いっぱいに美しい虹がかかっていた。
「全然気付かんかった…」
圧倒されるように息を飲んで呆然と空を見つめた。
「ほら、早く行かないと」
拓磨はまた俺の手を掴んだ。
「え?行くってどこに?」
俺のキョトンとした顔は無視して続けた。
「あの虹のはじまり」
真顔の拓磨に俺は再びキョトンとした。
「あー、あれか?虹の根元には宝が埋まっているみたいな…?」
俺が知ってる〈虹の根元情報〉を言ってみた。
「んーー、ちょっと違うんだけど、そんなところかな…」
歯切れの悪い答えだった。
「嵐、虹の根元で願い事をすると叶うって、知らない?」
その言い方が、どこか試すように聞こえた。
「急に乙女みたいなこと言い出してどうした?」
珍しく拓磨が困った顔をした。
「……わかった。いいよ、行こうぜ!」
今度は俺が拓磨の手を取って走り出した。
「拓磨、早くしないと消えちまう!」
オレ達は虹のはじまりを目指して再び走り出した。
*****
目的の虹は近くにあるように見えてなかなか近くに辿り着けないでいた。
俺としてはもう諦めかけていた。でも、変わらず必死な拓磨を見るとまだ一緒に頑張ってやろうと思えた。
少しすると、そんな拓磨の足が止まった。
息が上がったまま見つけたのは、俺と拓磨が通っていた保育園だった。拓磨と初めて出会った場所だった。
あの頃より随分小さく感じる園庭の端には砂場と滑り台付きの複合遊具がある。
「拓磨、懐かしいな」
「うん」
拓磨の目線の先には、大きな水たまりにキラキラと虹色が映し出されていた。
「嵐、覚えてる?」
「え?どのこと?」
「いや、大した事じゃない」
拓磨は水たまりに映る虹を遠くを見るように見つめていた。
───懐かしいあの夏のざわめきが、オレの中でよみがえった。
───オレの記憶にある嵐との初めてのワンシーン。
オレが差し出した手を取った嵐は、虹色の水たまりを飛び越えて、オレの胸に飛び込んできた。
───その瞬間、虹色に輝くような嵐の笑顔にオレは恋をしたんだ。
俺はあの時の──虹を飛び越えた瞬間を思い出していた。
「なあ、嵐……」
「うん」
「虹の始まり、ここにあった」
「え?ここ?」
「ここ」
俺を見つめる拓磨の眼差しは強く真剣だった。
「…なんか願い事すんの?」
「したい」
短く途切れたその言葉に、熱がこもっているのを感じた。
───瞬きをするような、ほんの一瞬のはずだった。
拓磨の距離がぐっと近づいて、あの時の──虹を飛び越えた先にあった拓磨の顔をはっきりと思い出した。
その時にはもう、拓磨の唇が俺の唇に触れていた。
息が止まったまま離れていく拓磨を、スローモーションのように一コマ一コマ呆然と見送った。
唇の熱だけが、まだ残っていた。
はっと我に返り、手の甲で唇をぐしぐしと拭った。
「お、おまっっ…、な、何すんだよ!俺の貴重なファーストキスをだな…!」
「大丈夫、これは2度目だから」
「は?俺のファーストキスは俺しか知らんだろ」
「保育園のお昼寝の時間にしたことあるから。オレが!」
「は、はぁ?お前マジ最低だな!……保育園の頃とかノーカンだろ!」
「そしたら、これがファーストキスってことでいい?」
「なっ……!誰がそんなこと──」
「……た、拓磨、俺のことずっと好きだったとか言い始める?」
「……、言い始めたらどうする…?」
「うっ…」
俺は言葉に詰まった。
「確か前に、虹のはじまりでキスしたら結ばれるって──嵐が言ってたよな?」
「は?俺そんなこと言ったっけ?満月の下の間違いじゃね?」
「え、そうなの?……じゃあオレ、間違えて覚えてたのか…」
拓磨の表情が曇った。
「……ほら、まぁ、拓磨の願いは叶ったわけだし、いいんじゃねぇの?」
何故だか俺から、拓磨を庇うような言葉が出た。
「ああ!それよりおまえ、キスは結ばれてからしろよ!順番逆だろ!」
「あ、そっか。……じゃあ、これから結ばれるってことで」
「……は?誰がそんなこと──」
俺たちの前から虹はいつの間にか消えて、俺の頬を夕日の赤が染めていた。
俯いた俺の熱くなった頬を夏の終わりの風が撫でていった。
──それが俺と拓磨の
夏の終わりで始まりだった。
─END─
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