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ちょっとだけ主人公になってみたかった。
一年生のときに不登校にならず、そのまま毎日授業を受け勉強を続けていたら? そしたら二年生の頃にはバッチリ成績優秀な生徒として日々を過ごしていただろう。それぐらいの自信はある。
ピアノがもっと弾けるように、できるようになってみたかった。大人になってやめてしまったが、あの頃は少しピアノが弾けるというだけで割と目立っていた。合唱のときの伴奏を担ったり、ピアノの弾ける男子として目立っていた。でも、自分では初見で演奏するのが大の苦手だったので、そこをもうちょっとどうにかできないかと、そんな風に設定した。
体育ができるようにもした。バスケットボールが得意な設定にした。ずっと憧れていたのだ、バスケができるようになりたいと。しかし運動音痴だし、そもそもそんなに努力する気もなかったので大人になってからもドリブルすらままならない。もっとも大人になってからドリブルをする機会などほぼなかったのだけれど。
あと一つ忘れてはならないのが、容姿だった。自分の容姿は中の中。それより、もうちょっとだけかっこ良くなってみたかった。モテたかったというのもあるが、それよりも自分の顔がイケメンな世界線を過ごしてみたかった。それってどんな感じなんだろうと思った。不登校になってからも仲良くしてくれた秀哉はそこそこイケメンで、これで秀哉と並べると思った。
そんなこんなで開始してみたシミュレーション。インターネットでIT技術科学者を名乗る男の不思議なブログを見て、気になったので連絡してみたら、謝礼を払うからぜひやってみないかと誘われ、やってみることにしたのが、ただのサラリーマンになっていた現在の郷秋だった。
そもそも実験はこの時点でだいぶ捗っていたそうで、一般人の反応を知りたかったそうだ。
それで実験がスタートして、郷秋は中学二年生の夏休み前日へと意識を動かす。その時期を選んだのはもちろんあのときの猫を助けたかったからだった。むろん仮想現実内の世界であって、実際のあの子はあのとき自分が目撃したままに車に轢かれて死んでしまったのだが、その記憶がずっとフラッシュバックするのがどうしても耐えられなかった。そして、そもそも不登校にならなかったら、体育ができていたら、という設定を付け加えて、自分としてはなかなか生まれ変わった体験ができた。
そんな中で藤嶋環がバグとなっていたことがわかって、もちろん秀哉や千尋たちにワクチンの役割を担ってはもらったのだが、それでもどうせだからとこのまま実験を続けてみた。——もしもこの世界の終わりで告白なんてしてみたら、どうなるんだろう、そんなことを思って。
結局、どうなったのかよくわからない。バグである彼女の反応は夢見た通りにはいかない。
ただ、自分の中にあった彼女の残像で言うと、環の反応しそうな反応のようには思えた。
それだけで充分だった。
あの頃、もしもあっちの道を進まなければ。
もしも、その道で、もうちょっとかっこいい自分になれていたら。
ちょっとした、主人公になってみたかった。
実験に参加する決め手はそれだけだったし、それだけで充分だった。
それも泡沫の夢。
夢が終われば、世界が終われば、この物語が終われば、全て終わってしまう夢。
それでも、ちょっとしたヒロイックな自分のほんのひとときを過ごせたことで、碌なものではなかった子ども時代が、少し救われたような気がする。
あの頃の自分が……救われたような気がする。
そんな気がする。
ほんの束の間の夢物語。
今は博士に、感謝している——。