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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

nightmare

作者: 小池ともか


 こちらの夢には直接的な描写やグロテスクな場面はありませんが、人肉食を思わせる表現があります。苦手な方はどうぞここでお目覚めください。



 薄暗い中を私は兄と歩いていた。


 さながらショッピングモールの裏手にある駐車場のような灰色の景色。正面は一面壁もなく大きく開けており、少し先で低い天井は途切れている。右手側は遠くまで天井が続き、左手側はすぐ壁だった。


 壁際、雨が当たらぬギリギリだろう場所に二人乗りの木製のブランコが置かれていた。ベンチ代わりにでもするのだろうかと思いながら横目で見るうちに気付く。


 自分は昔、友人とこのブランコに並んで座ったことがある。そしてここで友人に別れを告げた。


 あれはいつのことだったか。いつ見た()だったのか――。

 そう考えた刹那、唐突に理解する。


 これは夢だ。

 自分は夢を見ているのだ。

 夢の中で歩いているのだ。


 そう認識すると、この支離滅裂な状況も色々と腑に落ちる。

 今自分の隣を歩くのは兄。しかしその容姿が今ひとつはっきりとしない、その理由。


 自分に兄はいない。だからこの兄だと思う男の顔も声もわからないのだと。





 コンクリートの天井の下から出て、今はほとんど見掛けないブロック塀に挟まれた細い道路を歩いていく。


 いくら歩けどひとつも信号がなく、手にした覚えがないのにいつの間にか自転車を押している。


 これは夢だ。

 そうわかっているので疑問に思うこともなく、話し声すら聞こえない兄と談笑しながら歩いていく。


 そのうちにブロック塀が途切れ、川に出た。

 川幅もそれほどない。道路から三メートルほど下に、見るからに浅く水が流れている。壁面は町中(まちなか)でよく見るコンクリートの護岸となっていた。


 私と兄が歩く道路は橋となり、川を横断して続いていた。川は橋の先で私たちが来た方向へと、あまりにも不自然でありながら、自然と直角に曲がっている。


 その角に大きな木の船が見えた。

 木の小舟を川幅いっぱいまで大きくして甲板を張っただけのような、飾り気のない茶色い船。

 川の深さからしてありえない大きさのその船は、船首を川が曲がった先へと向けて佇んでいた。


 橋を渡った私と兄は、左に曲がって船の方へと行く。


 川の角にはバス停の標識柱のようなものがあり、若い女性が一人立っていた。

 茶色の髪を二つにくくり、スーツほどの固さはない紺基調のセットアップに身を包んでいる。


 近付く私に気付いた彼女はにこりと笑みを向けた。

 彼女は案内人で、自分はここから船に乗るのだと、理屈ではなくただ知っていた。


 これは夢だ。

 だから目の前の出来事を不思議には思わない。


「お名前は?」


 女性にそう問われ、私は苗字を名乗った。





 舳先に立つと、当たるというほど強くもない風が抜けていく。

 川幅いっぱいの船は、歩く速度と変わらぬ程度のゆっくりとした速度で進んでいた。


 さっきまでいたはずの兄はおらず。しかしだからといってそれを疑問に思うこともない。


 私が今居る舳先も本来なら柵でもありそうなものだが、夢の中ではそれすらなく。何に邪魔されることなくすぐ下の川面を覗き見ることができた。


 これは夢だ。

 眼下の光景を疑問にすら思わない自身にそう繰り返す。


 浅い川の中には人がいた。


 あたかも水でふやけたかのような、ブヨブヨと肥えた全裸の女が水の中に並んでいる。

 仰向けに寝転がるような格好で鼻先まで水に沈んでいるのに、その表情にはまったく苦悶はなく。生来水棲であるかのように、薄青い幕の下で長い髪を揺蕩わせていた。


 女たちの傍には同じようにブヨブヨと太った全裸の男たちが、こちらに背を向け座っている。

 男たちの手が伸びる先に、女たちはここで客を取っているのかと思った。


 薄い青の幕の向こうの目と視線が合う。

 嫌悪も恐怖も愚弄も恍惚もない、ただ空を映すだけの目。


 水底まで見えそうな浅く澄んだ水が粘度を増したように見えた。


 人で犇めく浅い川を、ぶつかることなく船は進む。


 そのうち水の中にはうつ伏せの女たちばかりになった。

 四肢はだらんと力なく、顔を見ずとも死んでいるのだとわかる。


 あの女たちの成れの果て。

 悼む気持ちすら抱かぬまま、私は下を見るのをやめた。





 船が着いた先にはまた標識柱のようなものがあり、女性がいた。

 船を乗る前にいた女性本人かと思えるほど似通った容姿。こちらを見、にこりと微笑む。


「お名前は?」


 下の名前を名乗ると、女性は少し驚いたように私を見つめた。


「本当の名を教えてくれるの?」


 砕けた言葉とはがれた装いが彼女の驚愕を窺わせる。

 本当も嘘も、私はただ普通に名を名乗っただけだ。


 女性のうしろにはシルクハットと黒いフロックコートを身に着けた細身の男が立っていた。青白い肌に明るい茶色の髪、どう見ても日本人ではない顔立ちの中で目だけがギョロリと目立つ。


 工場長だったか、昔の映画でこんな登場人物がいたなとふと思う。


 男はじっと私を見ていた。

 値踏みするようなその眼差しに、わけもなく不快感と不安を覚える。


 これは夢だ。

 この状況も、この男も、夢の中の出来事。

 目が覚めれば自然と薄れて消えていく、夢の中の出来事なのだ。


 ――そうわかっているはずなのに。


 居心地が悪いどころではない。

 言いしれぬ恐怖が悪寒と共に這い上がってくる。


 これは夢だ。


「こいつにする」


 男は私を見据えたまま、そう言い切った。





 いつの間にか別の男が傍にいた。

 シルクハットの男が淡々と指示を出している。


 言葉はわかる。だが意味がわからない。


 ――肉、と言ったのか。


 私のことを、肉だと言ったのか。


 向けられた言葉を復唱するやいなや、膨れ上がる恐怖。

 

 このままここにいては大変なことになってしまう気がする。

 しかし夢の中の私は一向に動こうとしない。


 慌てて身体を動かそうとしてもどうにもならない。

 まるで別人の身体に精神だけ入り込んだかのように、自分の意思で動くことができなかった。


 これは夢だ。

 だから自分の思うように動けないのかもしれない。


 気付いた時には既に仰向けに転がされていた。

 これから何をされるのかは、男たちの会話が示している。


 これは夢だ。

 ひたりと寄る恐怖も夢の中での話なのだ。


 あとから来た男が私を掴んで引き摺り始めた。

 地面に(こす)れているはずの背に痛みは全くなく、ただズルズルと引き摺られる振動だけが伝わってくる。


 これは夢だ。

 だから痛みを感じない。


 これは夢だ。

 痛みを感じないのだから、きっとこの先、予想通りのことが起きても大丈夫なはずだ。


 近くの倉庫に連れて行かれるのだとなぜか理解していた。

 そこで何をされるかもわかっていた。


 これは夢だ。

 これは夢だ。

 これは夢だ。


 だから殺されても問題はない。

 問題はないはずなのだ。


 これは夢だ。

 これは夢、だが。

 問題はないとの保証はない。


 これは夢だ。

 夢の中で殺されるとどうなるのかなんて。

 殺されたことがない私にはわからない。


 恐怖と不安が早く早くと急き立てる。


 これは夢だ。

 だったら目覚めてしまえばいい。


 時間がない。

 一刻も早く目を覚まさないと、私はこのまま殺されてしまう。


 目を覚まさないと。


 早く、目を覚まさないと。





 男が私を引きずるのをやめた。

 見上げる視界には倉庫の天井が見える。


 拘束されてはいないのに、やはり身体は動かず、声も出ない。

 唯一思い通りにできる頭の中で、早くと願う。


 目を覚まさないと。

 このままでは殺されてしまう。

 殺されたらこの夢が終わる保証などないのだ。

 致死の痛みに耐えられる保証など、どこにもないのだ。

  

 私の横へと回ってきた男の手には刃物が握られていた。包丁よりも刃渡りの長いそれを、男が振り上げる。


 早く目を覚まさないと。

 現実に戻らないと。


 切っ先が向けられる。

 日常にはありえない光景が目の前にある。


 一刻も早く目を覚まさないと。

 このままでは、私は――。


 男が刃物を振り下ろした。

 ぐっと腹を押される感触のあと、鈍い痛みを感じる。


 ――やはり、声ひとつあげることはできなかった。







 ふっと、忘れていた己の身体の重さを感じる。

 視界が黒いのは目を閉じているから。

 生きているのだと主張するように、早い鼓動が身体を揺らす。


 ――目が覚めた、のか?


 現実だろうと思っても、目を開けるのが怖かった。


 何か聞こえないかと耳を澄ますが、エアコンの動作音らしきものしか聞こえない。

 手を幾度か握ったあとに動かしてみる。ちゃんと思い通りに動いていることがわかる。


 大丈夫だと確信を得てもなお怯えながら、私はゆっくりと目を開けた。


 視界に入ったのはエアコン作動中のランプ。僅かな光に照らし出され、見慣れた部屋が見える。


 戻ってきた――。


 ただ夢から覚めただけだというのに、言いしれぬ安堵を覚える。


 思わず腹部に手をやるが、もちろん痛みすらない。


 大丈夫。ただ、夢を見ただけ。

 ただ、いつもより夢を覚えていただけ。


 心中そう呟き、気持ちが落ち着くのを待つ。


 夜明けまではまだ時間がある。

 あの夢の続きを見ずに済むよう願いながら、私は再び目を閉じた。







 まるで霧の中にいるかのような、一面の白。

 なんとなくほっとしながら私は歩いていた。


 地面も空も何もない。上げた足を下ろす場所すらわからないが、それでも不安など感じずに進んでいく。


 そのうち先に黒いものが見えた。

 引き寄せられるように近付くと、そこにあるのはバス停の標識柱によく似たもの。


 ――あれは夢だ。

 そして、これも夢、か?


 蘇る記憶に動きが止まる。

 私はここを知らないが、あれを知っている。

 この標識柱の先で、私は――。


「おかえりなさいませ」


 不意に聞こえた声に思考を止めそちらへ意識を向けると、標識柱の傍らに女性が立っていた。

 茶色の髪を二つにくくり、スーツほどの固さはない紺基調のセットアップに身を包んでいる。


 私は彼女を知っている。

 彼女に案内された先で、何が起きたのかも。


 あの時の恐怖が蘇る。

 あの夢で私は家畜のように殺された。

 ならばこの夢でもまた殺されてしまうのか。


 これは夢だ。

「あの夢」に繋がる、これは夢だ。


 私はもうあんな思いはしたくない。

 私はもう殺されたくはない――。


 じっと私を見据えていた女性が、ふっと微笑んだ。


「何を仰っているのですか? あなたはもうこちら側でしょう?」


 言葉の意味がわからずに女性を見返す。

 こちらとは夢の中ということなのか。

 それとも――。


 女性の笑みが昏く歪んで見えた。

 今まで白く見えていた周囲は黒かったのだと気付く。


 これは夢だ。

 私は夢を見ているだけなのだ。

 単に先程の夢の続きを見ただけなのだ。

 目覚めれば自然に忘れていく、そんな夢を見ているだけなのだ。


「何度でも呼べますよ」


 浮かんだ言葉に答えるように、にこやかに女性が告げた。


「だってあなたは本当の名を教えてくれたではないですか」








 狭い川を大きな木の船が来る。

 停まると荷が降ろされる。

 今日の荷は見るからによく締まったいい肉をしている。

 早速調理を命じる。騒がしいのは活きが良い証拠。


 フロックコートの裾を翻し、なき声を背にして場を離れる。

 そのうち屋敷に新鮮な肉が届けられることだろう。


 これは夢だ。


 毎日のようにここに立ち、荷を選別するのが私の仕事。


 これは夢だ。


 あの荷がなんという生き物なのか私は知らない。


 これは夢だ。


 あの荷を好む者たちの末路など私は知らない。


 これは夢だ。


 屋敷で出される食事も、実際に食べたわけではない。


 そう。これは夢なのだから――。




 お付き合いくださりありがとうございました。


 どうぞお目覚めください。


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コロン様
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