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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

嬉しいと花を咲かせちゃう俺は、モブになりたい

作者: 古井重箱

 数学の問題用紙を見た瞬間、俺は戦慄した。

 ヤマが見事に的中してしまった。俺はこの問題をすらすらと解くことができる。

 赤点を免れるどころか、高得点を狙える。そう思うにつれて、俺の体に異変が起きた。全身がカッと熱くなり、視界が淡く白む。鉛筆を握った手には汗がぬるつきはじめた。

 まただ。また俺は、<花>を()んでしまう。

 俺の肩から5センチほど離れた空間にピンクの薔薇が出現する。一つどころではない。数えきれないほどの薔薇の花が咲き誇り、教室を艶やかに彩っていく。匂いが濃い品種を喚んでしまったらしくて、俺の周りにむっと花の香りが立ち込めた。

 隣の席に座っている田中静香さんが、困ったように俺を見やった。

 ごめんなさい。俺の特異体質のせいでテストの邪魔をしてしまって。田中さんは医学部受験を公言している勉強家だ。今回の中間テストにかけた労力は並大抵のものではないだろう。


三塚(みつか)、またか」


 試験監督をしている村井先生が迷惑そうに俺を睨んだ。


「どうにか始末できんのか」

「すみません、今やってみます」


 みんながテストに集中しているのに遮ってしまって、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それなのに突然現れたピンクの薔薇は風に吹かれた綿毛のごとく軽やかに中空を遊泳している。くそっ、怪しい<花>め。俺の心を嘲笑うかのように咲き誇りやがって。

 <花>を喚んでしまった時の対処法は一つしかない。俺はひたすら自己否定の言葉を胸の内側で唱えた。

 俺のアホ。空気が読めない変人。社会のはみ出し者。学園のお荷物。

 気分が沈むにつれて、ピンクの薔薇がくすみ、枯れていった。あとに残ったのは微香が漂う薄茶色の砂だけ。砂はぱらぱらと音を立てて床に散らばった。

 テストが終わったら掃除をしないといけない。

 俺は無表情をキープしたまま問題を解いていった。



▪️



 数学のテストが終わり、昼休みになった。

 田中さんに速攻で謝ると「いいのよ」と言われた。


「私の方こそ嫌な顔しちゃってごめんね。三塚くんはマレビトなんだから」

「面目ない……」


 俺が生まれた多々希(たたき)地方には、マレビトと呼ばれる異能の持ち主が住んでいる。蛇を召喚し使役できる者もいれば、かまいたちに変身できる者もいる。マレビトは一万人に一人の確率で生まれる。

 未熟者のため、俺は自分の意思で<花>の出現を制御することができない。

 父からは多感な思春期を乗り切れば<花>の暴走をセーブできるはずだと諭されている。でも俺の高校生活はどん底である。一年生の五月を迎えたが、親しい友達は皆無である。

 学校にいるのは、田中さんのように俺の力を一つの現象として捉えてくれる人だけではない。廊下ですれ違った際、あからさまによけられたり、舌打ちをされたことが多々ある。

 その昔、マレビトは地域住民の尊敬を集めていたらしい。多々希地方に訪れる悪しき怪異をやっつけていたからだ。でも科学全盛の時代となった今では、悪しき怪異は姿を見せない。マレビトは活躍の場を失い、人々から恐れられる存在となった。

 

「購買行くー?」

「コンビニにしよ」

「パン? おにぎり?」

「うーん、迷うなー」


 いいなあ、友達がいる人たちは。何気ない会話に俺も加わってみたい。

 俺は自分の席で、母が作ってくれた弁当を一人で食べた。



▪️



 放課後は俺にとって癒しの時間である。

 園芸部員として土いじりをしていると心が落ち着く。<花>は嫌いだけど、天然の植物は大好きだ。

 グラウンドにほど近い花壇にはクロッカスが咲いている。凛として咲いている紫色の花は何回眺めても見飽きることがない。素晴らしい造形美だ。俺にマレビトなどという運命を課した神様は意地悪だけど、いい仕事もするな。

 ジョウロで水をやっていた瞬間、俺の背中に鈍い痛みが走った。

 ドッという音を立てて、サッカーボールが地面に転がる。これって、イジメか? 俺が振り返ると、そこには同じクラスの鈴木綺羅斗が立っていた。ライムグリーンのビブスをつけている。

 イケメン揃いのサッカー部のなかでも、綺羅斗はトップクラスの美形である。大きな目にスッと通った鼻筋、薄い唇。すべてのパーツが華やかにできているのに見事に調和している。

 綺羅斗はせっかくの綺麗な顔が台無しになるほど真っ青だった。


「ごめん、リフティングしてたら手元……じゃなくて足元が狂っちゃって」

「そういう時もあるだろ。花壇に当たってないから大丈夫だよ」

「この花壇って、三塚くんが担当してるの?」

「そうだよ」

「すごいね。俺、花のことは詳しくないけど、大事にされてるのが分かる……!」


 無邪気な笑顔を見て、綺羅斗に対する印象が変わった。

 サッカー部員って近寄りがたいイメージがあった。陰キャの俺にとって対極にある存在だからな。綺羅斗を含め、同じクラスのサッカー部員とこれまで話したことはない。彼らは教室で女子に囲まれているか、グラウンドでボールと戯れている。自分の席しか居場所がない俺とは大違いだ。

 

「この花、なんていうの?」

「クロッカス」

「花言葉は?」

「……青春の喜び」

「うわー! 高校生の俺らにぴったりじゃん。三塚くん、花言葉を意識して植えたの?」

「いや、先輩から引き継いだだけだよ」

「花言葉まで知ってるなんてすごいね。三塚くんって、花が好きなんだね」


 綺羅斗はかなり人懐っこい性格らしい。こういう全方面に優しい陽キャもいるのか。陽キャって、俺のような陰キャを見下している印象があった。


「あのさ、三塚くん。明日、お昼おごらせて」

「えっ? いいってば、そんなの」

「ボール当てちゃったお詫びがしたいし、三塚くんともっと話してみたい!」

「……そうか」


 俺は綺羅斗の申し出を受け入れた。

 綺羅斗が俺に興味を持っているのか。にわかには信じられないが、悪い話ではない。もしかしたら俺たち、友達になれるかも?

 あ、まずいと思った時には、ポポポッと体が熱くなって、ピンク色の薔薇が出現した。綺羅斗が目を丸くする。俺は事態を収束させるために、自己否定の呪文を心の中で唱えた。

 俺のバカ。勘違い野郎。身の程知らず。調子乗りすぎ。

 薔薇が枯れて砂へと変わった。さらさらと音を立てて、砂が足元の土と交わったのを見届けた俺は綺羅斗に謝った。


「ごめん。気色悪いだろ」

「今のって、嬉しいから咲いたんだよね?」

「……うん」

「そうなんだ! よかった。俺ってもしかして、三塚くんからの好感度高い?」

「……悪くはない」

「ほんと? 期待していい?」


 このグイグイくる感じ、さすが陽キャだな。

 俺は綺羅斗にサッカーボールを渡した。


「あんまり話し込んでると先輩に怒られるぞ」

「そうだね。それじゃ、明日の昼。楽しみにしてるから!」


 爽やかな笑顔を残して、綺羅斗は去っていった。



▪️



 帰宅した俺は、母に明日の弁当はいらないと告げた。


「まあ! ついに友達とランチ?」


 母が大きな声を上げた。すると自室にいた兄がリビングにやって来て、手を叩いた。


「おめでとう、伊織。これでおまえの高校生活も薔薇色だな」

「まだ正式に友達になったわけじゃ……」

「照れちゃって。可愛いんだから」


 母には敵わない。俺は頬を赤らめながらキャッキャっという母の笑い声を浴びた。いつの間にか帰って来た父もリビングのにぎやかな様子に気づき、「お祭りか?」と微笑んだ。


「お父さん。伊織に友達ができたんですって!」

「ほう」

「……相手は陽キャのサッカー部だよ。クラスメートの一人としか思ってもらえないってば」

「おまえはマレビトとして生まれ、不遇の時を耐えてきた。でも青春は一度きりしかない。友達と思う存分、語らいなさい」


 父の言葉を俺は噛み締めた。


「俺……高校生活、楽しんでもいいのかな」

「私たちは伊織の幸せを願っているよ」

「お赤飯、今からじゃ間に合わないわねぇ。明日の朝に炊こうっと」

「母さん。盛り上がりすぎ」


 期待しすぎると現実にガッカリする羽目になるかもしれない。いつもの癖で俺は喜びに湧き立つ気持ちを抑え、<花>の召喚を回避した。



▪️



 綺羅斗と約束をした当日になった。

 昼休みの訪れを告げるチャイムが鳴り出した途端、綺羅斗は大きな声で言った。


「三塚くん、購買行こうぜ!」


 いつも綺羅斗の周りを取り囲んでいる女子の眉が跳ね上がる。みんな、マレビトの俺がクラスの人気者に誘われたことに驚きと反発を覚えたようだ。綺羅斗ファンの中でも特に性格がキツい宝田愛美さんが露骨に嫌な顔をした。


「綺羅斗。今日はあたしと食べようよ」

「ごめん、三塚くんと約束してたから」

「だってその子、マレビトだよ? 怖くないの」


 宝田さんの言葉が俺の胸をえぐる。そうだよな。俺はマレビトだ。現代社会では疎まれる存在だ。

 でも宝田さんに言いたい。

 俺にだって、きみたちと同じように心がある。拒絶されれば傷つくし、バケモノ扱いされれば泣きたくなる。

 じっと拳を握りしめて黙っていると、綺羅斗が俺をかばうように肩を抱いた。


「三塚くんの力は人に危害を加えるものじゃない。偏見を持つのはやめたら?」


 宝田さんはなおも不服そうだったが、綺羅斗がじろりと睨んだため口をつぐんだ。綺羅斗ってこういう顔もするんだ。いっつも笑ってるイメージがあったから意外だ。


「行こう、三塚くん」

「う、うん……っ」


 俺は綺羅斗に手を引かれて、別棟にある購買まで歩き出した。

 購買は多くの生徒で賑わっていた。綺羅斗の存在に気づいた女子生徒がキャーッと声を上げたあと、俺の顔を見て沈黙した。この子たちも宝田さんと同じ意見のようだ。俺がうつむいていると、綺羅斗に肩を叩かれた。


「三塚くん、棚をよく見て! 早くパンを選ばないと」

「そうだな」


 マレビトの俺が遠巻きにされるのは今に始まったことではない。俺は前を向いた。そして、棚に並んだパンに目を走らせた。見るからにうまそうなパンの中から、タルタルチキンサンドとあんパンを選ぶ。

 財布を開こうとしたところで綺羅斗に止められた。


「俺のおごりだって言ったでしょ」


 綺羅斗はスマートに会計を済ませると、校舎へと俺をいざなった。

 どこでお昼を食べるのだろう。あまり人目につかない場所がいいのだが。

 綺羅斗に手を引かれてたどり着いたのは、屋上へと続く階段の踊り場だった。しんと空気が冷えている。人影はなくひっそりとした雰囲気だ。


「ここ、俺のお気に入りスポットなんだ。ひとりになりたい時によく来る」

「そうなんだ。綺羅斗っていっつも人といるイメージだけど」

「俺、大家族だからさ。せめて学校では静かに過ごしたいんだよね」


 今の発言、綺羅斗ファンの女子生徒が聞いたら驚くのではないだろうか。綺羅斗は教室という社交場で自分を殺して、みんなの人気者という役を演じているのかもしれない。


「三塚くんといると落ち着く」


 コロッケパンを平らげた綺羅斗は、ニカッと笑った。邪気のない笑顔を向けてくれる相手は貴重だ。俺の心は、水を撒かれた砂地のように綺羅斗がくれた喜びを吸収した。たぶん来るなと思った時にはもう、全身がカッと熱くなってピンクの薔薇が登場した。

 購買のパンのいい匂いをかき消すように花の香りがむっと漂う。

 俺は自己否定の呪文を心の中で唱えようとした。

 すると、綺羅斗が「その薔薇、綺麗だね」と<花>に手を伸ばした。


「やめろっ! 触るなっ」

「どうして? 別にトゲが生えてるわけじゃないし、いいじゃん」

「<花>に触られると、……頭撫でられてるみたいな気分になるんだよ」

「そうなんだ?」


 綺羅斗が手のひらいっぱいに<花>をのせた。満足そうに微笑んでいるので、俺はそれ以上拒絶できなくなる。綺羅斗はあろうことか、<花>に頬擦りをした。


「この<花>って、三塚くんの分身なんだね」

「邪魔くさいだろう。今消すから待っててくれ」

「消す時ってどうするの?」

「心の中で自分をひたすら否定する。そうするとテンションが下がって、花が枯れて砂になる」

「えぇっ? それって辛いうえに、せっかく咲いた<花>がもったいなくない? 三塚くんの能力は素敵だよ! 俺を明るい気持ちにさせてくれた」

「……俺は、自分の気分をコントロールできない未熟者だ」

「俺と一緒にいて嬉しいって思ってくれたんだろ? しかもそれを<花>という形で表現してくれた。そんな三塚くんが俺は大好きだよ!」


 参ったな。

 綺羅斗が必死に褒めてくるものだから、自己否定の言葉が浮かばなくなってくる。こんな俺でもちょっとはいいところがあるのかななんて思ってしまう。


「三塚くん。きみも、きみの<花>も綺麗だ」


 その瞬間、ピンクの薔薇が開ききって花びらだけの姿に変わった。そして花びらは甘い匂いを振り撒きながら中空を回遊すると、光の粒になって弾けた。残光が視界をちかちかと装飾する。


「……<花>が光に転じた?」

「すごい! 魔法みたいだ! って、魔法なのかな?」


 綺羅斗はマジックショーを見届けた観客のように興奮している。俺は何が起きたのか把握できなかった。嬉しいという気持ちにフタをせずに感情のボルテージを上げていくと光を生み出すことができるのか?

 俺は綺羅斗にお礼を言った。


「……ありがとう。綺羅斗が一生懸命褒めてくれたから、新しい力に気づけた」

「よかったー。俺、三塚くんのことが好きだからさ。三塚くん自身にも、自分のことを好きになってほしいんだよね」

「<花>を枯らせて砂を作って周囲を汚すより、喜びを爆発させた方がいいみたいだな」

「うんうん」


 そろそろ昼休みが終わろうとしている。

 俺は綺羅斗と教室に戻った。



▪️



 綺羅斗と俺は毎日一緒にランチを食べるようになった。

 場所はいつも屋上へ続く階段の踊り場である。


「へえ。綺羅斗って姉ちゃんが二人、弟が二人の五人兄弟なんだ」

「うるさくて仕方ないよ」

「きょうだいの真ん中って大変だな。上には命令されるし、下の面倒も見なきゃいけないし」

「中間管理職の苦労、分かってくれるんだ? さすが三塚くん」


 がしっと綺羅斗が俺の腰を抱く。

 一緒につるむようになって分かったことだが綺羅斗はスキンシップが多い。他のクラスメートにはさほどでもないのだが俺相手には遠慮がない。心を開いてくれている証拠と考えていいだろうか。友達と兄弟のようにじゃれ合うのは悪い気がしない。

 綺羅斗の長いまつ毛に縁取られた大きな目が俺を見つめている。


「三塚くん、最近ますます綺麗になったね」

「は? どこが、この平凡なツラ」

「自己否定をやめたからじゃないの? 内面の充実が表に出てる感じ」

「……マレビトのくせに調子に乗ってると思われないかな」

「もう自己否定は禁止ね。マレビトは俺たち一般人を悪しき怪異から守ってくれる存在だろ? もっと自信を持って」


 綺羅斗が微笑むたび、俺はピンクの薔薇を咲かせた。

 そのまま喜びを爆発させようとしたところで、俺の心に影が差した。綺羅斗はいつまで俺と一緒に昼メシを食べてくれるだろう。最近は教室でもスキンシップを求められるため周囲の目が痛い。嫌われ者の俺と人気者の綺羅斗では釣り合わないのは自分がよく分かっている。

 俺の心を反映したかのように<花>がぐしゃりと歪む。そして、ぼたぼたと踊り場に落ちていった。そのまま砂に変わってくれたらまだよかったのだが、生花の姿のまま恨めしそうに転がっている。俺は綺羅斗からビニール袋をもらって、<花>を回収した。


「俺にはなんでこんな能力があるんだろうな」

「三塚くん……」

「綺羅斗。明日は教室でみんなと食えよ」

「オッケー。その『みんな』には三塚くんも含まれてるんだよね?」

「……いいや。俺はおまえたちとは違う」

「そんな風に壁、作んないでよ。俺は三塚くんがマレビトだからって気にしないよ? 三塚くんは植物が好きで優しい人だ。俺の大好きな人だ」


 綺羅斗が惜しみない賛辞を与えてくれるのに、ビニール袋の中に突っ込んだ<花>は依然として砂に姿を変えなかった。俺の心は欲張りになりすぎた。綺羅斗から嬉しい言葉をかけられたら、それが真実であることとか、永遠を約束するものであることを期待するようになった。

 何だよ、これ。

 まるで俺が綺羅斗に恋してるみたいじゃないか。

 いや、この気持ちは……友情だ。だって俺にとって綺羅斗は初めての友達だから。


「今度、他校との練習試合があるんだ。見に来てよ」

「……行かない。俺はサッカー部のみんなからは歓迎されていないから」

「三塚くんは『みんな』に傷つけられてきたんだね……。でも俺は違う。三塚くんの味方だって信じてほしい」

「……綺羅斗」


 チャイムが鳴ったので、俺と綺羅斗は教室へと駆け込んだ。



▪️



 金曜はあいにくの曇りだった。鈍色の雲が空を覆い隠している。

 登校しようとする俺に、父が険しい顔で言った。


「今日は何やら嫌な予感がする……」

「もしかしたら悪しき怪異が出現するのかも!? 俺が倒さないと!」

「伊織にできるのは、<花>を喚ぶことだけだろう。囮ぐらいにはなれるかもしれないが、戦闘は蛇使いや(いぬ)使いのマレビトに任せるのがいい」

「……でも父さん、俺は」

「無理はするなよ」


 心配そうな表情の父に送り出されて、俺は学校へと向かった。

 教室へとたどり着いた俺は、クラスの雰囲気がいつもと違うことに気づいた。


「綺羅斗、今日不機嫌じゃない?」


 宝田さんが話しかけても綺羅斗は反応が薄かった。

 俺は教室のすみっこから、綺羅斗の様子を伺っていた。ちらりと見えた横顔には苛立ちのようなものが浮かんでいる。おおらかな綺羅斗らしくない。


「こいつ、もうすぐ対外試合があるから気が立ってるんだろ」

「えーっ? 公式戦じゃないんでしょ」

「そうだよ、綺羅斗。一年生のレギュラーだからって気負うことはないぜ?」


 サッカー部員が取りなしても綺羅斗は疎ましそうに視線をそらすだけだった。こんな綺羅斗は見たことがない。


「……綺羅斗、綺羅斗ってうるせーよ」


 喉の奥から絞り出したような声でつぶやくと、綺羅斗は教室を出ていった。

 嫌な予感がする。

 ホームルームの開始時間が迫っていたが、俺は廊下に出て綺羅斗を追いかけた。綺羅斗の足は俺たちのランチタイムの定番だった、屋上へと続く階段の踊り場に向かっていく。

 ひと気のない踊り場に到着して、ようやく俺は綺羅斗の肩に触れることができた。


「綺羅斗! どうしたんだ?」

「……ククク。よく来たな。花使いのマレビトよ」

「おまえ……綺羅斗じゃないな」


 綺羅斗の姿をしていたものがぐにゃりと輪郭を変える。コールタールを煮詰めたようなドス黒いモノが円柱を形作っている。俺は間合いを取ろうとしたが、ドス黒いモノに手首を掴まれてしまった。ひやりとした感触が俺の心身を侵食していく。

 恐怖を感じている場合じゃない。

 俺はドス黒いモノに罵声を浴びせた。


「ふざけんじゃねぇっ! 綺羅斗をどこにやった?」

「<器>なら校庭にいる」

「ウツワ? 何だ、それ」

「われら悪しき怪異の親玉を降ろす<器>ということだよ」

「綺羅斗が……!?」

「あれほどの適合者はいないというのに、一緒にいて気づかなかったとはな。愚かなマレビトだ」


 そんな……!

 だって綺羅斗はみんなの人気者で、俺のことを気にかけてくれた優しい奴で、悪意なんて少しも持ち合わせてはいない。そんな綺羅斗が悪しき怪異の親玉の憑代になるだって? 信じられるかよ!


「強き光は濃い影を落とす。鈴木綺羅斗は人望が厚く、純粋だ。魂の輝きが他の人間とは違う」

「綺羅斗に何かしたら許さない!」

「おまえごときに何ができる」

「この手を離せっ!」


 俺はドス黒いモノに体当たりを喰らわせた。相手が一瞬怯んだところで自由を奪い返し、俺は階段を駆け下りた。そのまま廊下を突っ切って校庭に出る。

 綺羅斗はグラウンドの中央に立っていた。いつもはいきいきと輝いている双眸が沈んでいる。綺羅斗のすらりとした体を覆っているのは黒い霧だ。禍々しいオーラを放っている。


「綺羅斗! しっかりしろ」


 俺の呼びかけに対して、綺羅斗ではなくしゃがれた声が応じた。この霧が喋っているのか?


「無駄だ。<器>は我に精気を吸われ、衰弱している」

「……俺の友達になんてことを!」


 怒りが爆発した。頭頂部からつま先まで熱くなる。

 俺の感情に連動して<花>が出現した。

 怒りを源とする<花>は血のように赤い花びらを持つ薔薇だった。俺が念じると、赤い薔薇は綺羅斗を拘束している黒い霧に向かって飛んでいった。

 黒い霧が綺羅斗の体から離れる。


「花使いか、忌々しい。まずは貴様から処分しよう」


 ずぞぞぞっという、おぞましい音を立てて黒い霧が俺に接近する。俺は再び<花>を喚ぼうとした。すると墨に浸したように花弁が真っ黒な薔薇が現れた。むせ返るほど香りが濃い。

 黒い霧が、漆黒の薔薇を吸収して濃度を増していく。


「ふははははっ。恐怖の味はやはりいいものだな」

「俺は……おまえを恐れてなどいない!」

「強がりはよせ。他のマレビトは誤情報に釣られて、別の場所に散っている。援軍は到着しないのさ、花使いよ」

「くそっ!」


 花しか喚べない俺にこいつが倒せるだろうか?

 弱気になればなるほど、漆黒の薔薇を生み出してしまう。真っ黒なカーテンのような形状になったバケモノが、俺の全身に絡みついて自由を奪った。


「勝負あったな」

「俺は……負けたくない! 綺羅斗を助けるんだ」


 その時のことだった。

 誰かが俺の体に張りついたバケモノを剥がそうとした。

 

「三塚くんに乱暴をしたら、許さない!」

「綺羅斗!」


 精気を吸われてフラフラだろうに、綺羅斗は敢然とバケモノに立ち向かった。綺羅斗は俺のために身を投げ出してくれたのか? 俺は彼の熱い気持ちに感動した。

 綺羅斗は俺の友達だ。

 こいつは、俺に自分を認めることを教えてくれた。

 綺羅斗。

 俺はおまえと会えてよかった。


「な、なんだと……!? 花使いにまだ余力が残っていたのか?」


 全身がカッと熱くなり、視界が白む。俺は数えきれないほどたくさんのピンクの薔薇を喚び出した。甘い匂いが鼻先をくすぐる。

 恐怖と違って、喜びから生まれた<花>はバケモノの糧にはならないようだ。

 黒かったバケモノの体色が薄くなっていく。あとひと押しだ。

 綺羅斗が俺を抱きしめる。


「三塚くんと海に行きたい。それから、クレープを食べたり、お互いの部屋で勉強をしたり。ともかく一緒にいたい」

「俺もだよ、綺羅斗」


 楽しい想像をしているうちに俺の能力にアクセルがかかって、ピンクの薔薇が虚空を埋め尽くした。バケモノはもはや、淡いグレーのモヤに成り果てていた。俺はバケモノを掴むと、ころんとした感触を確かめた。これはバケモノの核だ。こいつを壊せば、こいつは再起不能になる。


「や、やめてくれーっ!」

「俺の友達を苦しめた罰だ。消えろっ!」


 手に力を入れる。

 バケモノは断末魔すら上げずに、この世から去った。

 俺と綺羅斗は膝立ちになった。わずかに残っていた体力を振り絞り、綺羅斗の体にしがみつく。


「おまえがバケモノに狙われてたこと、気付かなくてごめんな」

「謝らないでよ。俺、無事なんだからさ」

「綺羅斗。好きだ」

「俺もだよ」


 唇が迫ってきたので、俺は狼狽した。


「えっ!? 好きってそういう意味?」

「三塚くんは違うの?」

「俺にとって綺羅斗は初めての友達だから……」

「そっか。まあ、まだ時間はあるからね。じっくり俺の気持ちを受け入れてもらえればそれでいい」


 綺羅斗に髪を撫でられる。

 友達の距離感ではないけれども、優しい手つきで触れられるのは悪い気がしなかった。

 時が満ちれば、俺は綺羅斗と恋人になるかもしれない。

 今はとりあえず、友達として仲良くしていたかった。



▪️


 

 朝のホームルームで、体育祭の実行委員に関する話が出た。


「誰か立候補してくれる人はいませんか?」


 クラス委員の田中さんが呼びかける。

 俺は手を挙げた。


「三塚くん……!」


 みんなが驚きのまなざしを俺に向ける。俺の心臓はバクバクしていた。

 目立つことが嫌いで、クラスメートとは一線を引いて接してきた。でも、マレビトの俺だってみんなの輪に入りたい。

 

「はいはーい。俺も!」


 綺羅斗が挙手をしたので、俺は安心感に包まれた。ほんのりと薔薇の香りが漂い始める。一輪だけ咲いたピンクの薔薇の花を、俺はそっと両手で包み込んだ。<花>は俺の心が生み出した、俺の分身だ。もう罵倒して枯らしたりはしない。

 友達がいる喜びを噛み締める。

 ピンクの薔薇は光の粒となって弾けた。


「……綺麗ね」


 俺を敵視していた宝田さんがつぶやく。他のクラスメートたちも<花>を褒めてくれた。俺は胸がいっぱいになった。壁の向こう側に飛び出してみたら、別の景色が見えてきた。

 綺羅斗、ありがとう。

 俺に勇気をくれたのはおまえだよ。

 昼休み、俺は綺羅斗と一緒にクラスメートのみんなとランチを食べた。みんな最初は俺に遠慮していたが、宝田さんが積極的に話しかけてくれたおかげで、徐々に打ち解けていった。


「三塚くん。いい顔してる」

「綺羅斗だって」


 俺たちは微笑みを交わした。




(完)

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