31 感想と人物画
家に帰った橋本涼は、寝る前に、伯母である歩に、あることを相談した。内容と動機から、祖父や父に頼るのは、気が引けた。
『メイク用品って体質によるから、渡すにしても、1回は確認取ったほうが良いと思うよ?』
調べた時にもそんな注意があったので、じゃあ、まあ、しょうがないか、と、橋本涼は、腹をくくる。
歩にお礼の文章を送り、
「家行ったら、見せて貰えねぇかな」
と、こぼした。
◇
今日は日曜。体育祭の翌日である。お休みの日である。
なのに。
「ね、これ、どう?」
朝っぱらから、愛流に絵を見せられていた。まだ、ご飯前ですけど?
「似てるなぁと、思う」
見せられたのは、イラストではなく、リアルな人物画。橋本の。それも、5枚。
「ご本人に見てもらっても、いい?」
「いいけど。何言われても知らないよ?」
朝食の手伝いをしながら、それに答える。
「じゃ、送っとくね」
「はいはい」
そんなやり取りをして、朝食も食べ終わって部屋に入って。
まず、バナナカップケーキについて、昨日書き起こした感想を見直し、添削し、整える。
「うん、ま、こんなもんでしょ」
と、送った。
それから、昨日のうちに、愛流に写真のことを伝えたのと、
『昨日の妹、愛流が描きました。橋本さんの人物画です。見せて欲しいと頼まれたので、送ります。不快に思われたらすみません』
という文言とともに、5枚の人物画を送った。
今日は、お休みの日ではあるが、夕飯担当だ。メニューはナス肉味噌炒めをメインに考えている。材料も確認したし、冷蔵庫に張り紙もした。
では、だらだらしよう。したいことをしよう。
◇
まだ8時過ぎだぞなんなんだ。
橋本は、スマホに送られてきたものを読んで、見て、そんな感想を抱いた。
光海からの、バナナカップケーキについての『感想』は、それはもう、丁寧な文章ではあるが、だからこそ、愛が溢れまくってるのが分かる。橋本涼はそう思った。
そして、こんな字の名前だったのかと思いながら、愛流が描いたという人物画を見て。
「俺、こんなふうに見えてんの?」
橋本涼は、首をかしげる。
自分はこんなに、カッケェ感じの見た目をしてるのか。それとも、描いているうちに、現実から離れてしまったのか。
と、課題をしていた手が、止まってしまっていることを思い出す。
『感想、読んだ。今後の参考にする。ありがとう』
『絵も見たけど、不快ではないけど、上手いとも思うけど、俺に似てるのかこれは?』
と、なんとか打って、送った。
そして、シャーペンを持ち直し、課題に取り掛かる……取りかかれない。
絵は、絵はまだ、良い。あいつの妹だし。けど、問題は、感想で。
「……なんなんだよあれ……」
橋本涼は、シャーペンを持ったまま、両手で頭を抱え、テーブルに頭を預ける。
素人の感想ですが、と前置かれた、あれ。
バナナが練り込まれた生地の、味、風味、食感、口当たり。上に乗せてあるバナナの焼き加減。バターのコクと香り。そして、微かに感じたという、カメリアのとは違うような、と書かれた、リキュールの風味。
『見当違いなことを言っていたら申し訳ありません。ですが、カメリアのものと、少し違うように感じました。これは、考案した時のレシピだったりするんでしょうか?』
「ちっげぇわ……」
ここのところずっと、改良していたものだ。より、美味しくなるようにと。これも美味しいですと、言って貰いたくて。
『だとしても、そうじゃなくても、売られていたら買います。即買いします。周りに配りまくります。それくらい、美味しかったです。本当に、ごちそうさまでした』
むず痒い。詳細に分析されたこともむず痒いが、それを好ましいと言ってくれたことが、本当に、むず痒い。
そもそもが。少しはマシになったかと思って、どこかで渡せればと思って、持っていたもので。
「あー……くそ」
他の人間に、一言一句、同じことを言われていたとして。ここまで、自分はこんなふうには、ならなかっただろう。橋本涼は、そう思う。
冷静になれ。課題を終わらせろ。
なんとかそう念じて、頭を上げ、深呼吸をしていたら。
スマホの通知音に、肩が跳ねた。
『拙い感想ですが、参考にしていただけるなら、幸いです。それと、人物画についてですが。不快でない、なら、良かったです。私はそっくりだと思いました』
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛」
変な声を上げそうになり、一応、口を閉じることには、成功した。結果、くぐもった奇声が漏れた。外に聞こえていないことを祈る。
つまり。つまりだ。光海にも、自分はあのように見えていると、そういうことなのか?
橋本涼はなんとか、『そうか』とだけ送り、課題を進めることを一旦諦め、資格取得の本を、手に取った。
◇
ノートのコピーを取りまくる。今日で、1年一学期の分は終えられる筈。
「みっつみん♪」
「なにー?」
作業をしながら、桜ちゃんに答える。
「次の勉強会は、いつ?」
「明日だよ。学校終わってから、一応、2時間」
「一応?」
マリアちゃんが聞いてくる。
「うん。明日はね、愛流の希望で、ウチでやることになってさ。今までは図書館だったから、勝手が違うでしょ? だから、一応」
よし、残り2冊。
「愛流ちゃんの希望って?」
「体育祭のお昼の時にさ、横で喋ってたんだけどね。愛流、モデルになって写真撮らせて欲しいって、言ってたの。で、そのOKをね、貰えてね。愛流、次はいつかって。教えたら、その日に来てもらえないかって。……という、流れ」
あと1冊。
「で、その橋本は?」
「え? どっかに居るんじゃない? ほら、最初に、司書さんと話してたでしょ?」
「みつみんに付き添われてね」
「付き添う、かな。あれは。初めてのことって、誰だって緊張するんじゃない?」
図書室で調べ物をしたいけど、時間はあるか。
そんなことを言われて、ノートのコピーをするから、放課後なら、と承諾した。
そしてまた、4人で図書室に入って。
『では、コピーをしてきます』
と、コピー機に向かおうとして。
『ちょっ……と、待て、待った』
躊躇う感じで、引き留められた。で、司書さんのほうをチラチラ見るから。
連れて行って、何か調べたいことがあるらしいです。と、伝えて、コピー機に向かったのだ。
おし、終わり!
カバンに仕舞い、肩にかける。
「……みつみんさ、いっつも、長女だからって言うけどさ。その面倒見の良さは、長女だからじゃなくて、みつみんの個性じゃない?」
「そう? まあ、個性って、環境要因も大きいし」
「姉さんは光海ほどじゃなかった。……それも、個性と言ってしまえば、そうなんだが」
マリアちゃんが、ため息を吐くように言う。
5人グループからの情報で、ベッティーナさんとアレッシオさんは、同棲することに決め、今、物件を探しているそうだ。
……あのグループ、他の話もするけど、ベッティーナさんたちの近況報告の場になっているような……。
それと私、ユキさんとアズサさんに聞いてから、二人のアカウントもフォローして、時々見ている。とても楽しい。
「じゃあ、終わったし、探しに行こうか」
橋本へ、コピーが終わったことを伝え、どこに居るのかと送る。
「よし、行こうぜ」
「行くか」
「あ、奥の大きいテーブルだって」
二人に伝え、歩き出す。すぐに見つけられた。
「橋本さん、終わりましたが、どうします?」
声をかけつつ近寄っていけば、橋本は本から顔を上げた。
「あー……これらをな……」
橋本が視線を向けたのは、手元のものと、横にある、数冊積まれた本。
「読んでいきます? 借ります?」
ぱっと見だけど、経営関係の本だと思う。
「……一冊、持ち出し禁止のが、あってだな」
「では、それ以外は借りて、その本は読むか、コピー出来るなら少しコピーしていったらどうです?」
「……あ、コピー……そうか……」
我に返ったような顔になる橋本。出来ることが頭になかったらしい。
「じゃ、コピー、します?」
「や、出来るか、聞いてない」
「なら、なんにしても、一回カウンターに持っていきましょう」
そのまま、全ての本をカウンターに持っていき、借りられるものは借りて、コピーも可能だと確認を取り。
「じゃ、コピー、してきて下さい」
「ああ、おお、悪い」
本をリュックに仕舞った橋本は、コピー機へ向かった。
その後、コピーを終えた橋本と別れた私たちは、いつものコーヒーチェーンへ。
「二人とも、聞いておくれよ」
「なにかな」
「叔母さんがさぁ……」
桜ちゃんは、はああ……と息を吐いて。
止まった。
「……桜ちゃん? 大丈夫?」
「息はしてるな」
「……うん、少し、黄昏れてた」
黄昏れてた。
「叔母さんさ、昔、ガシャクロの作者さんである袋小路巴先生の、アシスタントしてたんだって」
「……なんでそれで黄昏れてたの?」
「だってさ、なんで? って。なんで今言う? って。ずっとファンだったの、叔母さん、知ってるのに……」
桜ちゃんはむくれながら、抹茶オレをズズッと飲んだ。
「今まで言えない理由があったとか、そういう訳ではなくてか?」
「んー……いちお、理由は言ってくれたけど。袋小路先生ね。昔は作風が全然違ったんだって。で、別名で活動してた。けど、売れなくて、数年修行して、名前も作風も変えて、今、ガシャクロがヒットしてる。だから、言うかどうか、ずっと迷ってたんだってさ」
「じゃ、逆に、なんで今、それを教えてくれたの?」
「んー……送る」
で、グループに送られてきたのは。
『ガシャクロがヒットしたから、その、別名義の作品 短編ばっかりらしいんだけど。それを、本に纏めて発売することになったんだって。ドラマの初回の日に。けど、作風が全然違うから、心構えをしてほしくて、教えてくれた、らしい、です。これ、まだ、非公開情報だって』
「でもさ」
桜ちゃんは、また抹茶オレを飲み、
「先生が決めたんだからさ。内容がどうあれ、買うよ? で、合わなかったらそれはそれ。てか、先生の人生が見れるんだよ? 相当な覚悟のもとでこうしたものが見れるんだよ? もう……もうそれだけで最高じゃん?!」
あ、桜ちゃんのスイッチが入った。
そこから私とマリアちゃんは、聞き役に徹した。そして私は、ガシャクロだけでなく、袋小路巴先生についても、少し、詳しくなった。




