完全武装の乙女の弱さ
武装を終えたゆきは、そのまま迎えにきた酒呑に連れられて部屋を後にする。酒呑もいつもの着流しとは違い、灰色の袴に黒の着物と羽織で、かなりきっちりとした印象だ。ゆき自身も色留袖と呼ばれる、フォーマルの中でも格式高いものを着用しており、このまま親族の結婚式に参列できそうなくらいである。
酒呑に連れられた先には、胡月と虎徹が間違えていた。胡月は白に近い色を、虎徹は黒色のものを身につけており、どちらも五つ紋の入ったフォーマルな装いである。服装とは不思議なもので、いつもは少年っぽさの残る2人だが、こうしてみるとゆきよりも年上、落ち着いた大人の男性に見える。
胡月と視線が噛み合い、慌てて目を逸らす。なぜだか、昨日見た妖狐の時の姿が重なる。雪のように白い髪、そして、黄色味のある耳と尻尾が、胡月の身につけているベージュの着物にとても似合うと思ったのだ。
胡月も胡月で、まさかゆきが自身の本来の目の色と同じ、黄色の着物を着てくるとは思わず、玉枝にしてやられたと、気恥ずかしい気分だった。というのも、相手の色のものを身につける、という愛情表現が西洋で流行っていると耳にしたところだったからだ。それも全部、玉枝による策略なのだが、2人は知る由もない。
「あらあら、虎徹くんえらい大きくなって」
玉枝が海を引き連れてやってくると、まるで正月に集まった親戚たちの会話のような空気が繰り広げられる。和気藹々と話に花が咲く中、海がゆきの着物の裾に抱きついた。
「ゆきちゃん!すっごくきれいね!」
顔を真っ赤にさせてにこにこと褒めてくれる海のかわいさに、ゆきの頬も蕩けそうなほどにこやかになる。
「ありがとう、海ちゃん」
そう言って頭を撫でてやると、海は「うふふ」と控えめな笑い声を漏らして喜ぶ。ゆきのことを、姉のように慕ってくれる海に、もし妹ができたらこんな感じかな……とまだ性別もわからない亜希の腹の子を思い出し、少し物悲しくなる。
亜希たちは元気だろうか。まだ1週間と少ししか立っていないのが嘘のように、長く家を空けている気がしてならない。
ゆきが寂しさに浸っていると、玄関に車の止まる音がした。
「うむ。ではそろそろ参るか」
酒呑の一言に皆が玄関へ移動していく。家の前には2台の車が停まっていた。てっきり、この家へ客人が来るものと思っていたゆきは、やや拍子抜けしつつも、いつのまにか用意されていた下駄に足を通し、皆に倣って外に出る。先に外に出ていた、酒呑と虎徹が前の車に乗り込み、後ろの車へと胡月が移動する。残りはゆきと玉枝と海だ。
どこに座るか、玉枝に確認しようとすると、「じゃあ、ゆきちゃんいってらっしゃい」とにこやかに手を振られてしまった。
「え?玉枝さんも一緒ですよね?」
「何言うてんの、うちと海ちゃんはお留守番よ?」
情けない声をあげるゆきに、玉枝が「ほら、はよ行ってらっしゃい」と背中を押す。後ろでは海が腕を大きく伸ばして、バイバイと手を振っていた。ゆきは聞こえないように小さくため息を漏らす。
まだ話しやすい虎徹ならまだしも、よりにもよって胡月と2人きり……。正確には、運転手と3人だが、運転手を務める九鬼家の使いの人たちは無駄話を一切しない、職人気質な人たちだ。彼らと明るいおしゃべりなぞ、到底望めない。空気の重い車内が想像できてしまう。
渋々、胡月の隣に乗り込むと、「遅い」と早速小言を言われた。「すみません」とゆきが声を発すると同時に、車が動き出す。彼の運転する車に乗るのは二度目だが、相変わらずゆっくりとする間は作ってくれないらしい。
窓の外で手を振る玉枝と海に小さく手を振るが、すぐさま姿が見えなくなってた。スピードも相変わらずなようだ。後ろへ引っ張られる体をなんとか支えながら、帯やまとめた髪が崩れないように背筋を保つ。呉服店の娘だから和装には慣れているはずだが、どうも息苦しく感じるのは玉枝の術のこもった着付けのせいなのか、はたまたこの車内の重苦しい空気のせいなのか。
ゆきはこっそりため息をつく。隣の胡月はまっすぐに前を見据えて微動だにしない。運転手にいたっては存在感を消しているのか、声をかける隙もない。再び、ため息をつきかけたゆきへ、胡月が眉を寄せた。
「術は完璧なんだから、シャキッとしろ」
唐突に声をかけられ、ゆきはぴくりと背筋を正す。そろりと隣を見ると、胡月は相変わらず、まっすぐ前を見据えたままだ。
落ち着きのなさを叱られた子どものように、ゆきは居心地の悪さを呑み込み、静かに車の振動に揺られる。胡月は満足そうにゆきを見やると、「人間臭さがうまく隠れている」と褒めてるのか貶しているのかよくわからない感想を言われた。
「はあ……私にはよくわからないんですが……」
術というのは、ゆき自身の目に見える変化は伴わないようで、わかるのは少しの隙もない完璧な着付けということぐらいだ。不思議そうに自身の身につけている着物を眺めているゆきを、「仕方ないだろう」と胡月はちらりと流し見る。
「目眩しの術はいわば香水みたいなものだ。匂いを感じる妖力自体が少ない上に、術は身に染み込むものだから鼻が鈍る。しかし、他人、それも自身の種族とは離れたものからすれば、相手の元の匂いがわからないほど、複雑めいたものに見える」
「複雑めいたもの……?」
「ああ。九尾の術が、ごく僅かだった座敷童子の気配を増幅させている。元々あった人の気配を封じ込むほどにな。その上に、九尾の気をまとっているから、不本意ながら九尾の嫁だとアピールしているようなものだ。全く不本意だがな」
胡月は腹立たしそうにふんっと鼻を鳴らす。よっぽど不本意だったのだろう。
初日に面と向かって帰れと言われたくらいだものなと、ゆきはあの日の傍若無人な態度を思い出し頰を引き攣らせる。ゆきだってこんな状況でなければ、この男の婚約者ですなどと触れ回りたくない。しかし、これはゆきの命に関わる緊急事態なのだ。なにふり構っている暇はない。
今はとりあえず、先祖返りってバレないことだけを祈ろう。一言余計な胡月にイラッとする心を、無理やり落ち着ける。今はこの男と争っても意味はない、一旦休戦だ。
「あの、玉枝さんを呼んでくれたって聞きました……ありがとうございます」
ぎぎぎ……と鉄の錆びた音が聞こえるような、機械的でぎこちない笑みをおくる。これはご機嫌取りじゃない、これはご機嫌取りじゃない、と何度も心の中で自分に言い聞かせる。ゆきの為に玉枝を呼んでくれたのは事実だ。それに至っては、ゆきも重々感謝している。
ゆきの礼を胡月は、ああ、と軽く受け流すと「母さんも気になってたみたいだからな」と呟く。
いつもよりも口数の多い胡月に、ゆきは思い切って疑問をぶつけてみることにした。
「あの、玉枝さんって、胡月さんのお母さんなんですよね?皆さんとは別居されてるんですか?」
ゆきの疑問に胡月は「聞いてないのか」と少し意外そうに目を見開く。そして、興味がなさそうに、九鬼家の家族事情を教えてくれた。
「母さんは俺を産んで1年弱で父さんと別居。俺を産んで弱った妖力を回復させるために実家に帰ったんだが、そのまま2年後に離婚。もともと、どちらも我が強い人たちだから性格が合わなかったんだろう。
その後に、後妻との間に虎徹と海が生まれたが、妖力が弱く海を産んですぐ亡くなった。それからはずっと、5人で暮らしてきた」
淡々と語る胡月の言葉に、ゆきは言葉を失った。5人で暮らしてきた、その言葉に込められた寂しさのような、悲しさのような、複雑な感情を受け取った。その悲しみがゆきを問い詰める自身の心に反応して、ゆきは自身の心の奥底に燻っていた、新しい家族を迎える不安を思い出す。
自分がのけ者になるわけではないと頭では理解できているし、心から祝福していることには嘘はない。愛する対象が増えるだけ、ただそれだけなのに。亜希の子が産まれれば、自分は家族の異物になるのではないか、そんな不安を見て見ぬ振りをして、ずっと心の奥底に閉じ込めていた。
「あの、えっと……」
「おい、謝るなよ。別に不憫に思われることじゃない、妖怪にはよくあることだ」
「あ、うん……」
ゆきの言葉を遮った胡月だが、あまりの煮え切らないゆきの態度に不審そうに顔を向ける。胡月に面と向かって、まっすぐ見られたのは初めてかもしれない。
「なんだ?」
胡月がゆきの言葉を促す。そこには苛立ちや腹立たしさは一切なく、純粋にゆきを心配してくれているような真剣な声色だった。
何故か、ゆきはこの人に聞いてもらいたい、そう衝動的に思ってしまった。
「私の家も、お母さんが亡くなって……、その後にお父さんが亜希さんと結婚して……。私をずっと気にかけてくれた、優しい人で……。2人の間に、赤ちゃんができて、もうすぐ生まれるんだ……」
しどろもどろになりながら、心のままに言葉を並べる。要領を得ない、ダラダラとした話に胡月は口を挟まず、胡月はじっと次の言葉を待つ。
「すごく、嬉しくて、楽しみで……だけど、ほんの少し不安で……自分のことばかり考えて不安になってる自分がすごくいや。ここに来て、みんなを見てると眩しすぎて、余計に自分が嫌な奴で……」
親の離婚や死を経験して、それでいて腐ることなく家族を守ってきた胡月たちに、ゆきは自身を比べてそのちっぽけさに羞恥心を覚えた。なんて、自己中心的なのだろうか。
ずっと気づかないふりをしてきた不安と、募る自己嫌悪を、ゆきはしどろもどろになりながら言葉に乗せる。自分でもなにが言いたいのか的を得ない発言に嫌気がさすが、意外なことに胡月からの嫌味は飛んでこない。
ゆきが言いたいことがわからなくなり言葉に詰まると、胡月は「そういうもんじゃないか?」と意外な言葉を口にした。
「負の感情を抱くのはそんなに悪いことじゃないだろ。負の感情があるから、陽にひっぱられすぎず、均衡がとれる。それに皆己が大事でなにが悪い。自己犠牲は相手も不幸にするぞ」
胡月は一息にそう口にすると、少し間を置いて、ようするに、と力強い眼差しでゆきの双眸を捉える。
「自分の気持ちぐらい、自分の自由に抱かせてやれ。思うだけで人間の世界では大罪になるのか?」
ふるふるとゆきが首を横に振り、否定の意思を伝えると、胡月はふっと目線を緩める。
「なら、そんなに責めなくていいんじゃないか?それに、お前に帰る場所がないと、俺が追い出せなくなるだろ?」
胡月の帰れという言葉が、今日ほど優しく聞こえた日はない。ゆきはこくりと頷く。痛く疼いていた心の棘がするりと、抜けていくのを感じ、ゆきは目に浮かんだ涙を堪え、誤魔化すようにそっと窓の外へ視線を逃した。