試練は突然に
「ゆき殿、少し話がある」
昼食を食べ終え、一息ついていると酒呑から声をかけられた。いつもは、朝夕問わず食事を食べ終わると、すぐに姿を消していたので、面と向かって話すのは、初めてここにきた日以来かもしれない。
ゆきは緊張した面持ちで、酒呑の向かい側に腰を下ろす。
「この前、ゆき殿に参加して欲しい行事がある、と言ったのは覚えているか?」
「は、はい」
酒呑の問いかけに、ゆきは記憶を確かめるようにゆっくり頷く。酒呑はゆきの反応に満足したように大きく頷くと、無精髭の生えた顎を片手でさすりながら話を続ける。
「その行事、というものが急遽明日開催されることになってしもうてな……」
「あ、明日ですか?!」と、急な展開にゆきは素っ頓狂な声をあげた。そんなゆきの反応に、困ったように酒呑は「こちらも想定外でのう」と眉間に大きな皺を寄せる。酒呑に無理を通せる存在が絡んでいることを悟ったゆきは、いったい何を頼まれるのか、漠然とした不安に包まれていた。
「何から話せば良いのやら……。虎徹にはしっかり説明するように、この前怒られたからのう」
酒呑の言葉に、ゆきは初日に起こった出来事を思い出した。酒呑に何も説明されず、それどころか酒呑の妖力に当てられていたところを、海と虎徹が見つけてくれて、ゆきが何故ここに来ることになったのかの、確信に迫る話をしてくれた。
あの時、虎徹はだいぶ父親に怒っていたが、なんと話をつけてくれたらしい。なんとも有難い話である。ゆきはこころの中で虎徹に感謝していると、唐突に、酒呑が「西洋の妖怪は知っておるか?」と聞いてくる。
「えっと……、魔女とか吸血鬼とかってことですか?」
「ああ、そうだ。今、我らは何ともめんどくさいことに巻き込まれておるのだ」
酒呑は大きくため息をついた。その姿はだいぶ参っているように見えるが、酒呑のそんな姿を見たことのないゆきは大きく動揺してしまった。ゆきの中で、酒呑は相手を振り回す側の立場だと思っていたのだ。そんな彼を面倒ごとに巻き込むことのできる相手……それが海外の妖怪ということだろうか。
「日本の妖怪の数が減っていることは知っているか?」
「はい、虎徹さんからそのように聞きました」
だから、先祖返りのゆきが九鬼家に嫁入りすることになった。虎徹からそう聞いている。
「そこで我ら日本の妖怪は人に歩み寄ることで、その血筋を守ってきた……だが、西洋は他国と手を組むことでその血筋を守ってきた」
他国と手を組む?
ゆきが首を傾げると、そんなゆきの反応に酒呑は素直なのはいいことだと、快活に笑う。
「ようするに、国際結婚ということだ。大陸国家だからなせた技でもあるな」
「あ……でも、日本もそうですよね?別の種族と結婚するようになったって聞きました」
虎徹が言っていた、最初は同種族同士の婚姻で血を繋いでいたのを、その著しい数の減少により、他種族間の婚姻も認められた、と。
「ああ、そうだ。だが島国ではたかがしれとる。それでは成り行かんくなり、今に至るのだからな。だが、やつらは違う」
島国と大陸国、確かに土地の大きさからいっても規模が違う。複数の国の妖怪が集まるのだ、数もはるかに多いのだろう。
「種族としての血は薄まっていったが、妖怪としての妖力は濃くなった……妖力が強くなれば、種族の違う血を異物と捉え排除しようとする力も強くなる。つまり、死産となるか、子が生まれても母体が亡くなってしまうことが増えた」
酒呑は厳しい顔でそう告げた。
そう言えば、虎徹からも似た話を聞いていた。母親より力の弱い子は母体に吸収される、反対に力の強い子は母体の力を吸い取ってしまう……その原理は、強くなった妖力と混じってしまった他種族の血によるものだったのか。そして、思い当たるのは、母親のいないこの家で暮らす異母兄弟たち。
妖怪のもつ性質は、なんと悲しいものなのだろうか。
黙り込んだゆきに、酒呑は少し困った顔をして「重い話をしてすまぬ」と謝ると、咳払いをし話を進める。
「そこでやつらは、我らの日本の妖怪のように人と交わっていった妖怪たちに目をつけた。あれだけ妖力を持つ妖怪としての血が濃いと、人間と交わるのも難しいんだろう。人間の血が混じり、かつ、妖力耐性のある日本の妖怪に目をつけられたわけよ」
酒呑はそこまでいうと、はあと大きなため息をついた。妖怪の世界も大変なのだなぁ、と思って相槌を打つ。
「まあ、日本の妖怪と縁を結びたいというのはまあいい。こちらとしても、西洋妖怪と繋がりができるのは悪い話ではない。
急なのだが、その婚姻話を進めるために、明日やつらと顔を合わせる必要ができた。ゆき殿には九鬼家の一員として、西洋の妖怪たちとの顔合わせに参加して欲しいのだ。急な話ですまぬ」
酒呑はゆきに大きく頭を下げたものだから、ゆきは慌てて酒呑に顔を上げるように頼んだ。明らかに上の立場の人に頭を下げられるなど、心臓に悪すぎる。
酒呑は頭を上げると、もう一度「すまぬ」と申し訳なさそうに謝る。
「婚姻話には、虎徹が候補として上がっておる。ゆき殿には胡月の婚約者として、我らの顔合わせに在席してもらいたい」
虎徹の名があがり、ゆきは少々驚いてしまった。見た感じ、大人っぽくは見えるが、春から学校始まるの嫌だとぼやいていたので、まだ学生なのだろう。妖怪が人間と同じ学校に通っていることに驚いていると、人間の世界に溶け込んで生きてるからね、と当たり前のように言われたのだ。人間界で生きていく上には、人間と同じ教育を受けて人間として働くらしい。その上で、妖怪としての役割もあるのだそうだ。人間と妖怪、二足の草鞋ということだ。
それにしても、学生のうちに婚姻話がでて両家の顔合わせをするなんて……と、思ったところで、ゆき自身は赤ちゃんの時に、許嫁にされたのだったと思い出す。妖怪の世界は、人間の名家よりはるかに大変そうだ。
ゆきがぼんやりと考え事をしていると、酒呑の話は、虎徹が婚姻を結ぶ予定の家の話になっていた。
「あの家の年寄りどもときたら、婚姻相手を指定したり、勝手に予定日より早めて来日したりと、本当に厄介だ。あいつら、こっちが国際問題に発展しないようにと、おとなしいのをいいことに……好き勝手しよって」
どんどん酒呑の怒りがヒートアップしていく。ぶわっと全身に冷や汗をかくほどの怒気が酒呑から漂ってくる。
やばい、これ初日と同じやつだ……。
おそらく、相手の傍若無人な行動を思い出してイラッとしてる、みたいなかんじなのだろうが、耐性のないゆきには妖力が強すぎるようだ。身を保つことすら必死なゆきなのだが、酒呑はその異変に気づかない。
酒呑に声をかけることもままならず、ただ、耐え忍ぶことしかできない。そして、ゆきの意識が遠のいてきたとき、涼やかな声が室内に響き渡った。
「親父、それぐらいにしてやれ」
声の主は胡月らしい。しかし、その姿はいつも見ている姿ではなく、白い髪には耳には黄色みのがかった白い耳が、着物の裾からは耳と同じ色の大きな尻尾が姿を見せていた。
ゆきはぼんやりとした意識の中、その姿を、天使のようだと感じた。白い髪は太陽の光で淡く輝いており、この世のものとは思えない美しさを持っていた。
そして、彼の双眸は金色に鋭い光を放つ。
「おっと……すまぬ」
怒気を引っ込める酒呑をよそに、胡月はゆきに近づくと人差し指と中指を立てた手を、ゆきの額に近づけた。そして、胡月が小さく何かを呟くと白い小さな光がゆきを包み込む。その光は温かく、さっきまでの恐怖心や不安感がみるみるうちに消えていくのがわかった。
安堵感からゆきがほっと一息つくと、胡月の手が下げられ淡い煌めきを残しながら光が消えていく。
「えっと……ありがとう」
何が起こったのかはわからないが、胡月がゆきを助けてくれたと言うことはわかる。
ゆきが控えめに例を述べると、胡月は「気分が悪いのならちゃんと言え。じゃないと死ぬぞ」と、物騒なことを言ってくる。
妖力ってそんなに危険なのか……?!
ゆきが顔を青くしていると、胡月はフンっと鼻を鳴らしてその場に座り込んだ。どうやら話に参加するつもりらしい。
席につくなり、胡月は「ほんとうにこいつを参加させるのか?」と酒呑に詰め寄る。その尋常じゃない雰囲気に、ゆきは不安を覚えた。
「各地の妖怪たちの間でも不穏な空気が広まっている。何か仕掛けてくるに違いない」
酒呑はその言葉に「わかっておる」としかめ面で胡月を睨む。
「隠していては余計に怪しんでくる。それならば正式に紹介することで、こちら側から圧力をかけたほうが抑止力になるだろう……」
その言葉に、胡月は推し黙る。おそらく、真理をついていたのだろう。胡月は悔しそうに歯噛みすると、「おい、人間」と乱暴にゆきを呼ぶ。
「お前の存在は、ここ日本でも希少価値が高いが、奴らにとって喉から手が出るほど欲しいお宝だ。西洋では先祖返りはいないし、存在自体を認知されていない。だが、どこまで漏れているかはわからない」
ゆきはごくりと唾を飲む。
人間でありながら、強い妖力の子を孕むことのできる、妖力の受け皿はもっている先祖返り。その存在は、先ほどの西洋の妖怪たちの置かれている立場の打開策とも取れるだろう。間接的に人間の血を交えていくよりも、はるかに早く確実な方法、それを可能にするのが人間の血を持った先祖返り。
もし、西洋の妖怪たちに捕まったら、器として扱われるのは目に見えていた。
「絶対に、先祖返りだと悟られるな」
自身の置かれている状況を自覚し、恐怖に襲われたゆきに、胡月は重く言い放つ。
「悟られるなって……何をしたらバレるかわからないし、そもそも自分のどこが先祖返りなのかもわからないし……」
狼狽するゆきに、胡月は「俺だって知らん」と苛立ちを含めた口調で吐き捨てられた。
「妖力の少ないやつは一目見ただけでは分からない。それは、たとえ純血の妖であっても、だ。特に、日本の妖は人間と近いから、余計にわかりずらいだろう。
つまり、理屈ではお前を見て人間だとすぐに気づくやつはいないはずだ……疑う奴はいるだろうけどな」
つまり、バレるかバレないかは、相手次第ということか。ただ、怯えて過ごすことしかできない無力さに、ゆきの恐怖が強くなっていく。
恐怖で顔を引き攣らせるゆきの姿を見て、気の毒に思ったのか、酒呑が口を開く。
「そう不安がらんでいい。我らの前では碌なことはさせん。ただ、ゆき殿も注意はしておいて欲しい」
酒呑の言葉に、ゆきは黙って頷くことしかできなかった。