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揺れる心に、少しの決意


 自室として使うよう、案内された部屋に荷物を運び込み、積み上げられた寝具にダイブする。布団をしっかり干しておいてくれたのだろう、ひだまりのようなお日様の匂いが鼻をくすぐる。ゆきはふかふかの布団に顔を埋め、ほっと息をついた。


「妖怪……ねぇ」


 先ほど、虎徹から受けた説明を思い出し、腑に落ちない思いでぽつりと呟く。今も完全に信じたわけじゃないし、一族総出でドッキリでも仕掛けているのか、と少し疑っている。

 しかし、彼ら一族が妖だと仮定すると、婚約の巻き物にはじまり、生き物の声のしない森、訳もわからず腰が抜けるほどの酒呑の圧力と、説明のつくことが多すぎる。

 それに、虎徹のあの角。つくりものではないことは、間近で見ていたから信じざるを得ない。


 納得したくない心と、受け入れるしかない現実との狭間でゆきは悶々と声にならない呻き声を漏らす。


 最悪の誕生日だ……。


 ゆきの目に浮かんだ涙は、みるみるうちに膨らみ今にも流れ落ちそうだ。


 泣いちゃだめだ、泣いたら挫けそうになる。負けてしまいそうになる。


 ゆきは乱暴に眼を拭い、目を硬く瞑る。18歳の少女にはあまりにも酷すぎる現実に、ゆきはただ、家族のもとに帰りたい、という願いだけで今、何とか保っているのだ。

 先の見えない世界で、婚約解消という目標はあまりにも無謀なものだと、考えれば考えるほど痛感させられる。それでも、やっぱり、家族のもとに帰りたい、倉敷家がゆきの帰る場所なのだ。


 ゆきが不安に飲み込まれそうになっていると、とんとんと襖を叩く音がした。


「ゆきちゃん、ごはんしましょ」


 ゆきの返事を待たずに、海が襖を開けて入ってくる。着物が歩きにくいのか、とてとてと体を大きく揺らしながら歩く様は、今にも転んでしまいそうで思わず手を差し伸べたくなる。


「きょうはねー、ごちそうよー」


 海はゆきに話しかけるのに必死で、にこにこと無垢な笑顔を向けられて、ゆきの中で張り詰めていたものがふいに弾けてしまう。

 ぽたぽたと、溢れ出してしまったらもう止めることはできなかった。


「ゆきちゃん、いたいいたい?」


 真っ黒な瞳が心配の色を浮かべるのに気づき、顔を背けて「大丈夫だよ」と涙を止めようとするが、堰を切った感情は思うように止まってくれない。自分の弱さに嫌気がさした、その時、不意に頭が温かいものに包まれた。


「だいじょーぶよー」


 ゆきの小さな胸に抱きしめられ、頭を優しく撫でられる。その瞬間、何もかもが崩壊してしまった。


 ゆきは幼子のように、海に縋り付くようにぎゅっと抱きしめ返し、静かに泣き続けた。海の胸の中は、大海原のように温かく大きかった。ゆきは自分よりうんと年下の女の子に、母の温もりを感じていた。


 お母さん、もう逃げ出してしまいたいよ。


 海の優しい手がゆきを慰める。まだ何もしていないじゃないと、困ったように笑う母の声が聞こえてくる。


 やってみたら、案外うまくいくかもしれないわよ?


 嫌になって挫けそうになったゆきは、何度その言葉に背中を押されたことだろう。


 私、やれるかな?


 ゆきの問いかけににっこりと、母が自信満々に笑う。


「だいじょーぶよ」


 海の心強い声が母と重なり、さらに泣けてくる。海の優しさが、ぬくもりがゆきの不安を溶かしていく。

 ゆきは海の胸に顔を埋めながら、海の体を抱きしめようと、腕を大きく伸ばした。次の瞬間、伸ばした腕の幅に疑問を覚えた。


 海ちゃんって、こんなに大きかったっけ……?


 いつのまにか、抱きしめられていた胸は、幼い頃抱きしめられた母のものと同等、いやそれ以上のものになっていた。

 ゆきはおそるおそる瞳を開き、自分が縋り付いている存在に視線を向ける。


 『ゆきちゃん、元気なったー?』


 真っ黒な巨体に、大きなクリクリの目が二つついた、謎の生物がゆきを見下ろし、目を細めて笑う。その口調は明らかに、海のものである。


「きゃーーー!!」


 ゆきは訳がわからず、思わず叫び声をあげた。その声に驚いた、黒い巨体は不思議そうに目をぱちくりさせている。


 「どうした?!」


 襖が勢いよく開かれたかと思うと、そこには意外な人物が立っていた。


『あ、大兄さまー』


 ゆきの叫び声を聞いて駆けつけてきたのは、なんと胡月だったのである。胡月は尻餅をつくゆきと、不思議そうに揺れている海を見比べて状況を把握したのか、顔を大きく歪めてチッと大きく舌打ちをした。


「海、虎徹にドライヤーかけてもらえ」


『えー、ドライヤーいやー』


「人の姿に戻らないと不便だろ」


『まっくろの方が、ごはんいっぱい食べれるよー』


 目の前で繰り広げられる会話を見て、黒い物体が海の本当の姿、海坊主という妖であることに気づき、ゆきは居た堪れなくなった。


「あの……大声出してすみませんでした」

 

 ゆきの謝罪の言葉に、胡月はちらりとゆきを一瞥すると、「これだから人間は……」とぶつぶつ言いながら出ていってしまった。


 人間が嫌いなのに、人間の悲鳴でかけてつけてくれるのか……。


 不思議に思いながらも、海に対して失礼な態度をとってしまったことが気がかりで、胡月のことを思考のすみに追いやる。

 ぽよぽよと揺れ動く海に手を添えて、「海ちゃん、叫んでごめんね」と頭を下げて謝罪すると、『いーよー』となんとも力の抜けたゆるい返事が返ってきた。


『ゆきちゃん、声おっきーね』


 海がコロコロと笑うと、ブッと誰かが吹き出して笑う音がした。音の方を振り向くと、虎徹が腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。

 その様子だと、おそらく陰で一部始終を見ていたのだろう。盗み聞きなんて悪趣味だ。

 責めるようなジトッとした視線を向けると、虎徹は悪びれもなく「あー、面白かったー」と大きく息をついた。


「兄さんのあの顔見た?あんだけ人間嫌いアピっといて、あれはないでしょ。面白すぎ」


 何が面白いのかはわからないが、初対面のゆきでさえも、疑問を抱いたのは間違いない。

 間違いないのだが……それよりも、気になることがある?


「この子って、海ちゃんなのよね?」


 彼らが妖である、という確信にゆきは終止符を打とうとしていた。もう、これは言い逃れできない。


「やっと信じた?」


 虎徹はしたり顔で、妖怪ってちゃんといたでしょ?と笑いかけてきたのでゆきは渋々頷く。

 虎徹はそんなゆきをみて勝ち誇ったように鼻を鳴らすと、「海、お手柄だね〜」と海の頭を撫でてやる。すると、海は嬉しそうに左右に揺れ動いた。


「海はまだ力のコントロールを練習中だから、水分に触れるとすぐ、こっちの姿に戻っちまうの」


 その言葉に、ゆきはハッとする。

 ゆきの涙にふれて、海は変化してしまったというのか。そうわかった瞬間、ゆきは泣いていたことが、おそらく胡月にも虎徹にもバレていることに気づき、無性に恥ずかしくなった。

 その思いを掻き消すように、口早に「人間の姿って難しいの?」と虎徹に問いかけていた。

 虎徹は少し悩んで「ゆきちゃんはさ、おむつ取れた日のこと覚えてる?難しかった?」と質問に質問を重ねられる。ゆきが口ごもっていると、虎徹はさらに言葉を重ねる。


「自転車はいつ乗れた?多分、その時は無茶苦茶苦労したんだろうけどさ、できるようになってしまえば雑作もないことでしょ?妖怪にとって人型になるのも、そんなもんなんだよ」


 虎徹の説明にゆきは舌を巻く。なるほど、そういうものなのか。


「じゃあ、コツとかはないの?」


 ゆきの質問に、海が身を乗り出して『ないのー?』と真似っこしてくる。海の手前、適当なことが言えなくなった虎徹は額に手を当てて悩み出す。


「うーん、コツか……妖の姿の時はさ、体の周りに妖力が漂っている感じなんだけどさ、人の姿になる時は、それをぎゅっと人間のサイズの型に押さえ込む感じかな?」


 ふわっとした答えに海は不服そうに『わかんなーい』と声を上げる。虎徹はこれ以上追求されないようにと、「海、それよりもはやくご飯にしよう」とあからさまに話を逸らす。

 海は『ごはーん』と嬉しそうに飛び跳ねて、『はやくはやく』と2人を急かす。


 海に案内されて、食卓へとやってきたゆきは、目の前に広がる光景に言葉を失った。

 そこには、ポットとカップラーメンが数個並べられていた。予想外の光景にゆきが固まっていると、「強い妖は食事しなくてもいいんだけどねー、妖力の弱い俺みたいなのは食事しないといけないんだよねー。ほんと、めんどくさいよねー。海はただ単に食べるのが好きなだけなんだけど」と御託を並べる。


「えっと、毎日インスタント麺食べてるの?」


 固まるゆきをよそに、虎徹がお湯を注ぎはじめる。


「ほとんどそうかなー、飽きるからピザとかの時もあるけど」


 カロリーに、栄養バランス……。

 想像しただけで、もうすでに胸焼けしそうだ。


 海がカップ麺を3個開ける頃には、胸がいっぱいになってしまい、気がつけば、「明日の食事は私に作らせてください…」と志願していた。

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