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懐かしい声に呼ばれて

 すごく、懐かしい夢を見ていた気がした。

 幼い頃、父と母と3人で過ごした、陽炎のように不確かで消えてしまいそうな、夢のような日々。思い出そうとすればするほど、遠ざかって眩んでしまう日々。

 それでも、写真に残っている真実がゆきの心を励ましてくれた。遠ざかっていく顔も、声も、確かにそこにあったのだと、変わらずに教えてくれる。


 病弱だった母との思い出は、いつも部屋の布団の上だ。母の膝の上は、どんな陽だまりだって勝てっこない、世界で1番、あたたかくて優しい、ゆきの特等席だった。


「ゆき、大丈夫よ。私が守ってあげるからね」


 凛とした母の声が蘇る。そうだ、母はいつも透き通るようなまっすぐな声で、宝物を呼ぶようにゆきの名を呼んでくれた。

 その言葉がいつも頼もしくて、悲しいことがあっても、母の側にいると安心してしまって、きっと大丈夫って思えた。ゆきにとって、母の言葉は勇気の出る、魔法のおまじないだった。


 大好きな母の顔をこの目にうつしたくて、声のする方へ顔を向ける。しかし、白いモヤがゆきの視界を邪魔して、その姿を捉えることができない。


 夢の中で会うことも叶わないのだろうか……。


 母の顔が出てこないほど、ゆきの記憶は廃れてしまったのだろうか。ゆきは必死に手を伸ばす。


 お母さん……、お母さん……!


 ゆきの手が大きく宙をかく。もう少し、もう少しで手が届く……はずだった。



 ゆきの視点の合わない双眸が、うっすらと開かれて、その目に太陽の光が差し込む。ピントを合わすように、ゆっくりと目の焦点が合っていく。

 目の前には見慣れた天井と、視界の下の方に黒い物体が映り込んできた。ゆきの腹の上に乗っかった、その黒い物体にゆきは身に覚えがあった。


「え……っと、海ちゃん?」


 自分の出した声がびっくりするほど掠れていて、ゆきは自分の発した声に驚く。まるで、数日間誰とも喋らなかったかのような、喉に違和感を感じた。

 ゆきの掠れ声はしっかりと海に届いていたようで、ゆきの問いかけにぴくりと、腹の上で海が顔を上げた。顔と言っても、球体のように丸いので、どこまでが顔かはわからないが、なんとなくそんな気がした。


 海はゆきの顔元に駆け寄ると、ワンワン大きな声で泣きながら、ゆきの顔にぴったりとすり寄ってきた。その号泣っぷりにゆきは慌てて起き上がり、海を胸元に抱えてあやす。


 両手サイズに縮んだ海の姿に、ゆきの心がきゅっと締め付けられた。海が海坊主の姿で小さくなる時は、泣いて体から水分が抜けてしまった時。

 きっと、ゆきが知らない間にたくさん泣いていたのだろう。よしよし、とゆきがその小さな頭を撫でてやる。海は顔をぴったりとゆきの体にくっつけるように、ゆきにしがみついた。

 そして、顔を伏せたまま、涙声でゆきに問う。


「ゆきちゃん、いたいいたい、ない?」


 その言葉でゆきは、自分が海と別れた後の出来事を思い出し、あっ、と小さく声を上げた。胡月に妖力を返した後、そのまま意識を失ったのだった。

 ゆきの声にどうしたのかと、大粒の涙を浮かべながら海が顔を上げる。その顔を優しく撫でてやりながら、「大丈夫、もうすっかり元気だから!」と拳を作ってアピールすると、はぁ、とどこからともなくため息が聞こえてきた。


「大丈夫なわけないだろう」


 振り向くと、部屋の隅で胡月が頭を抱えていた。いつから部屋にいたのだろうか。全く気配がなく驚いた様子のゆきに、胡月がさらに言葉を続ける。


「お前、10日間も寝込んでたんだぞ!なんであんな無茶をしたんだ……!」


 怒り口調でずかずかと近寄ってくる胡月に、ゆきはたじろぎながら身をそらす。あんな無茶って、何のことだろうか。身に覚えがなく首を傾げるゆきに、胡月の怒りはヒートアップしていく。


「アダンの時だって勝手に動いて、あげく、妖力を返すなんて、どれだけ危険だったか……!下手すれば死んでたんだぞ……!」


 胡月の言葉に、ゆきはムッとして唇を尖らせる。「自分もじゃん」とぼそっと反論したら、胡月の耳に届いたようでギロっと睨まれた。しかし、言われっぱなしが性に合わないゆきは、「だって」と言葉を続ける。


「ずっと無理してたのはそっちでしょ!熱出した後もずっと、無理してたんでしょ?妖力移すのも、すごい負担だったんでしょ?胡月さん、真っ青で冷たくて……死んじゃうかもって怖くて……っ!」


 あの時のことを思い出し、ゆきは体が震えるのを感じた。言いようのない恐怖が今もなお、鮮明にゆきの中に潜んでいた。

 無理をしていた自覚があるのか、胡月は一瞬言い淀む。そして、少し考えてから、俯き言葉を紡ぐ。


「それでも、頼むから……もう、無理はするな……」


 切実な胡月の言葉に、ゆきの怒りはみるみる萎んでいく。怒りのエネルギーに引っ張られてしまったが、全てはゆきを心配してのことだったのだ。そのことに気づき、ゆきは自身の幼さが恥ずかしく感じた。


「うん……、心配かけてごめんなさい……結界の外に出たのも、ごめんなさい。それから、助けてくれて、ありがとう」


 ゆきが素直にそう伝えると、胡月は俯いたままだった視線をゆっくりとあげ、ゆきの顔を覗き見た。


「体は本当に大丈夫なんだな?」


 念押しのように聞かれ、ゆきは自身の体を動かしてみる。どこも痛いところもないし、手足もしっかり動く、うん、大丈夫だろう。

 ゆきが「大丈夫そう」と頷くと、安堵の表情を浮かべて胡月はホッとため息をついた。


 2人の言い合いに驚いて黙っていた海が、「だいじょーぶ?」ともう一度念押ししてくるのに、ゆきは申し訳なく思い、「大丈夫だよ、心配かけてごめんね」と謝る。胡月も海の前で怒鳴ったことに、バツの悪さを感じているようで、海に向かって「すまん」と頭を下げる。海にはたくさん心労を与えてしまったな、と反省していると、海がゆきの膝の上でにこにこと笑った。


「なかなおりできてよかったねー」


 海の言葉に、ゆきと胡月は顔を見合わせて小さく笑った。

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