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微かな、ざわめき 前


 ゆきが亜希を抱きしめ、無事を喜んでいると見覚えのある黒い車が数メートル先の獣道に止まった。


「兄さん!よかった……みんな無事だったんだね」


 車から出てきたのは虎徹で、九鬼家の使用人である、クロが運転して連れてきてくれたようだ。後部座席には信幸の姿も見えたが、車外に出るなと言われているのか、心許なく心配そうな面持ちで窓にへばりついている。

 ゆきの視線に気づいたのか、虎徹が「人里に近いとはいえ、妖怪の世界だからね。念の為、倉敷さんには車で待っててもらってるよ」とゆきに告げた。


「あれ?ゆきさんのお母さんってこっちの世界の人だったの?」


 まだぼんやりと虚げな亜希を前にして、虎徹が不思議そうに亜希の顔を覗き込んでいた。


「違う、それはゆきと腹の子の妖力だ」


 相変わらず横になったまま、ぶっきらぼうに胡月が応えると、虎徹は「え?!」と目を見開いて勢いよくゆきへと視線を向けた。


「え、ほんとだ……!でも、これ、兄さんの妖力だよね?なんで?あ、だから兄さんの妖力、追いづらかったの?」


 なんでなんで、と質問責めにされ、ゆきは言葉に詰まる。助けを求めるように胡月を見やると、胡月もまた虎徹の質問にげんなりとした顔をしていた。


「説明は後だ、早くその人を運んでいってやれ。親父さんの視線が痛い」


 胡月が車の方を指差す。信幸が不安げな面持ちで食い入るようにこちらを覗いていた。


「そうだったね……」


 虎徹は信幸の視線から逃れるように目を逸らし、亜希の横に膝をついた。


「えっと、亜希さん?大丈夫ですか?歩けそう?」


 虎徹の言葉に亜希はゆっくりと瞳を開けた。目の前の見知らぬ少年の存在に驚いたのか、息を呑む音がした。ゆきが「この人は私が今お世話になってる家の人だよ。すぐ下でお父さんも待ってるから、ここを出よう」と亜希の手を取った。


 虎徹とゆきに支えられながら、亜希らは妖の世界から抜ける。その瞬間、ゆきを包んでいた橙色の光がふわっと風に溶けていくのが見えた。


 亜希の姿が近づくと、我慢の効かなかった信幸が扉を開けて駆け寄ってくる。そして、虎徹とゆきから亜希の手を受け取ると、ぎゅっと力強く亜希を抱きしめた。


「よかった……!無事で……!」


 わんわん泣き叫びながら、亜希を抱きしめる信幸に、亜希は「心配かけてごめんなさい」と信幸にその身を委ねた。


 よかった、本当によかった……。


 ゆきの目には、お腹の子が嬉しそうに笑っている様子がありありと伝わってきた。その姿には、ゆきが出した橙色の光が混じっていて、一際明るく輝いて見えた。


「念の為、病院に行きましょう。僕ら付き添います」


 虎徹はそう言うと、2人を車へ乗るように促した。後部座席に2人が乗り込み、「ゆきさんも」と虎徹がゆきも乗り込むようにと促す。


 乗り込もうとして、ふと、後ろを振り返る。そこには胡月がさっきと変わらない様子で伸びていた。


「あの、胡月さんは……?」


 ゆきの言葉が聞こえたのか、胡月がしっしっと手を払う。気にするなと言いたいのだろうか。


「兄さんも車で一緒に行こうよ」


 虎徹も心外だったようで、胡月に呼びかけるも「いい、直接帰る」と一刀両断だった。

 「ほんとに大丈夫?1人で帰れる?」とさらに呼びかける虎徹に、胡月は耳を塞いで「うるさい、とっとといけ」とめんどくさそうに言い放った。


「うーん……まあ、兄さんだし大丈夫か。ほら、病院の先生も待ってるから早く行こう」


 虎徹は胡月の言い分を呑むことにしたようだ。ゆきを車に押し込み、自身も助手席に乗り込んだ。

 皆が乗ったことを確認すると、車が発車する。ゆきは後ろ髪を引かれる思いで、後ろを振り返る。リアウィンドウ越しに見る胡月はみるみるうちに小さくなっていく。


 亜希のことが心配だし、病院にも付き添いたい。でも……、本当に大丈夫なのだろうか?


 力尽きて倒れ込んだ胡月の横顔を思い出す。心がザワザワと波立ち、ゆきは思わず車を止めるようにクロにお願いしていた。


「お母さん、ごめんなさい!あとで絶対追いかけるから!」


 亜希にそう言い残すと、ゆきは後部座席のドアを開け、飛び降りた。早く、痩せ我慢が得意で意地っ張りな、彼の元に行かなければ……。その一心がゆきを突き動かしたのだ。


 ゆきの突然の行動に皆がギョッとして、呆然としている中、亜希ひとりだけが「気をつけてね」と微笑み、手を振っていた。


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