燻る、火種
「きえ、た……?」
胡月の術の光がパラパラと、まるで粉雪のようにゆきの元へ降り注ぐ。
胡月とアダンの戦いを一部始終見ていたはずなのに、忽然と姿を消したアダンに、ゆきは状況が飲み込めなかった。
「ううんー、あそこー」
呆然とするゆきに、海が海面を指差す。そこには両手に収まるぐらいの、黒い塊がふよふよと漂っていた。
海がおもむろに、その塊を片手で掴み上げた。
「この中にいるよー」
海が手にしているのは、岩のようなもので先ほど胡月が手にしていた札がしっかりと張り付いていた。アダンが岩になったとでも言うのか?ゆきは信じられず、海に再確認する。
「海ちゃん、これ、岩だよね?」
そんなゆきの言葉に海はにこにこ笑いながら、「そうだよー」となんとも気の抜けた返事をは返した。
「あのねー、わるいことすると、海たちは石にされちゃうのー」
間延びした愛らしい声から、驚愕の事実を聞かされゆきは呆然とした。悪い妖怪を岩に封じただとか、物語上の話だと思っていた。しかし、海のこの言い方だと作り話でもなんでもなくて、ただの事実だと言うことがひしひしと伝わってくる。
目を凝らすと岩の周囲には、禍々しい黒い煙のようなものが渦巻いており、ゆきは岩を近づけようとしてくる海を必死で止めた。
そんな2人のやり取りを、空から見ていた胡月はホッと息をつく。全て、終わったのだ。
妖怪が陰陽師の術を使うなど、いくら血筋であったとしても不可能と言われていた。その術の対象が自分にも及んでしまう、つまり、自身も封じられてしまう可能性を孕んでいたのだ。
命の補償はできない、そう言われても何度も頼み込み、なんとか陰陽師の術を学ばせてもらった。
自分自身に術が及ぶため、封印の核に迫る術の練習は一切できない。一発勝負だった。
妖力無しに、自身を守る術を発動させながら、アダンを封印する膨大な術をかける。それを成し遂げた胡月の体はもうボロボロだった。
力尽き、崩れ落ちそうになる。もう、空を浮遊するだけの力は残っていなかったのだ。
体が大きく傾く。落ちる、そう思った瞬間、逞しい腕が胡月の身体を支えた。
「ったく、この親子は……」
そう言いながら、胡月の腕を掬い上げるように支えてくれたのは、黒い立派な羽を羽ばたかせた大鴉天狗だった。
大鴉天狗は肩を組むように胡月を支えると、ゆっくりと船に向かって下降する。
「とんでもない無茶をしよって……いくら血筋といえども、妖怪が陰陽道の術を使うなど、自殺行為じゃぞ」
ぶつぶつと小言を言う大鴉天狗に、胡月は力無く笑った。
いくら命の保証がないと言われても、家族を守るにはこうするしかなかったのだ。
「あいつには、借りがあるんで……」
そういう胡月の目は凪いでいて、とてもまっすぐで、大鴉天狗はそれ以上何も言えなかった。
船に着くと、酒呑と虎徹が胡月を取り囲み、その身の無事を安堵しあった。
「父さんも兄さんも……なんて無茶するんだよ……」
大鴉天狗に代わって胡月の肩をとった虎徹が、悲痛そうな声を漏らす。その声から、かなりの心配をかけてしまったことを、胡月は感じ取った。
「俺がもっと強かったら……」
ぽつり、と虎徹が漏らした本音に、「何を言ってるんだ?」と胡月は目を丸くする。
「だって、俺、家の警護を任せられてたのに、ゆきさんを攫われるわ、その上、何の役にも立てなかったし……」
言っておいて、その言葉が胸に刺さったのか、虎徹は言葉を重ねるごとにどんどん落ち込んでいく。そんな虎徹の姿に、胡月は小さく息をつくと自分を支える大きな弟の頭をわしわしと撫でてやった。
「ちょっと、兄さん?」
突然の子ども扱いに、虎徹が不服そうな声を漏らす。しおらしさが少し消えて、いつもの虎徹が戻ってきた、と胡月は安心してこっそり笑った。
「お前が捕えた傀儡がなけりゃ、こうしてあいつらを追えなかったし、ゆきを連れ戻すこともできなかった。虎徹のおかげで、みんな無事なんだ、ありがとうな」
そう言う胡月の表情は誇らしげで、虎徹は「術をかけたのは玉枝さんだし」と漏らしながらも、そんな兄の言葉に少しだけ心が救われた。
いつもは言葉が足りなくて、物言いもきついくせに、こう言う時は甘いんだから、と虎徹は困ったような笑みを漏らす。虎徹にとって、胡月はぶっきらぼうで優しい、自慢の兄だった。
そんな2人の様子を酒呑と大鴉天狗が微笑ましそうに眺めていると、船に海が近づいてきた。
その胸元には、胡月の術に守られたゆきが、しっかりと抱きしめられていた。
「ほんとうにごめんなさい」
ゆきは船に降りるなり、みんなに向かって深く頭を下げる。自分のせいで、みんなを危険な目に合わせたことを、ゆきはちゃんと分かっていた。
ゆきの謝罪に皆が顔を合わせて小さく笑う。
「ゆき殿、無事でよかった」
酒呑のにこやかな笑みに、全てが終わる、はずだった。
ゆきは皆の温かな空気に感謝しながらも、心にざらりと残っている不安を口にする。
「あの、私のお義母さんが一緒に捕まっていると思うのですが……私が捕まる直前まで一緒にいて……」
ゆきの言葉に、場の空気が再び緊張感を帯びる。あれだけ大暴れした中、人間がいたとすれば、もう……。
虎徹が慌てて船内を確認してくる、と駆けていくのをゆきも一緒についていこうとするが、胡月に止められた。そして、真剣な眼差しでゆきにことの経緯を尋ねる。
ゆきは薄れゆく記憶を辿りながら、捕まった当初のことを思い出す。
「お屋敷の外から、亜希さんの声が聞こえてきて……私に会いにくるつもりだったって言ってた。でも、途中で誰かに追われて、なんとか撒きながら屋敷に着いたって。だから、急いで結界の中に入ってもらおうと思って扉を開けたら、そこで気を失って……気がついた時にはもう、捕まった後だった。私を捕えた人にも聞いたけど、どこにいるか教えてもらえなかった……」
俯くゆきに、酒呑が顎を撫でながら深く唸る。
捕まっていなかったとしたら、屋敷の外にいたところを保護されているのではないか、そんな一抹の願いが完全に絶たれ、ゆきは絶望的な気持ちだった。
亜希の身に何かあれば……恐怖で体が震える。
「奴らの中に変化の術ができるやつはいなかったはずだが……」
「船内の気配を読むか……」
頭を抱える酒呑に、大鴉天狗が船内の生存者をさがす。妖力のない人間だとしても、大鴉天狗ほどの妖怪は、風を駆使して人の気配を探すことができる。しかし、それはあくまでも、生きている場合のみ。
ゆきは初めて顔を合わせるこの、長い鼻を持つ男を見て、伝説上の存在であった天狗が実在していることへの驚きと共に、ゆきらが暮らす村の守神とされていたその存在に、藁をも縋る気持ちだった。
しかし、そんな望みは儚く散り、大鴉天狗は俯いたまま小さく頭を振った。
「海外に連れ出すとすれば、民間人を巻き込んだとして罰は免れる。やつらがそこまで考えていたかはわからんが、船内にいる確率は少ないはずだ……」
黙り込んだ大鴉天狗に酒呑が慌てて言葉を繋ぐ。落胆したゆきを励ますように、胡月も「幻を見させられたか、元いた場所に放置されたか……少なくとも、船に連れられた確率は低いだろう」とゆきの肩に触れる。
ゆきがみた亜希が幻で、今も家にいつもと同じように暮らしている、それが1番いい……。
しかし、心のざわめきはちっとも落ち着いてくれない。嫌な予感がゆきの心を揺さぶる。
そんなゆきの様子に、酒呑はそうだな、と胡月の言葉に同意すると、人の姿のサイズに戻り再び言葉を紡ぐ。
「とりあえず、わしは倉敷のばあさんのところに行く。こいつに運んでもらうから、すぐ着くだろう」
酒呑の言葉に、胡月が頷く。そして、ゆきの身体を前触れもなく抱き抱えると、そのまま海の上に飛び乗った。
海は驚きつつも、「おっとっとー」となんとかバランスをとり、その体の上に胡月とゆきを乗せた。
「俺らはこいつが最後に会ったって場所に行く。海、うちまで最速で頼む」
そう言い、海面を移動し始める胡月らの後ろ姿に、酒呑が大声で叫ぶ。
「頼む。虎徹は我らと共に着いてきてもらうとしよう。伝達の術が上手いからな、何かあったらすぐ伝える」
肩越しに頷くと、ゆきを庇うように、その身体を覆うと海がものすごい水飛沫をあげて来た道を戻っていく。
どうか、無事でいて……。
ゆきはそう祈ることしかできなかった。




