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形勢逆転

 いち、にい……


「さん!」


 ゆきの声とともに、人型の紙の姿をした、式神が勢いよくアダンの右手へ巻きつく。


「いっ!?」


 ゆきは両手の爪を思いっきり立てて、アダンの左手をつねり上げた。両手へ一斉に攻撃を受けて、アダンは驚きバランスを崩す。


 ゆきは、その一瞬を逃さなかった。


 両手の力が緩まった瞬間、アダンの身体を踏み台にゆきは海に向かって勢いよく飛び込んだ。

 

「ーーーーーっ!ゆきさん!」「ゆき殿!」


 それは酒呑らにも予測できなかったことで、彼らの叫び声が聞こえてくる。

 慌ててゆきを捕まえようと手を伸ばすアダンに、慌ててゆきを救いに行こうと羽を広げる大鴉天狗、全てがスローモーションに見える。まるで、魂が体から抜け出して、第三者としてこの出来事を眺めているような、メタ的な視点でゆきは皆を見ていた。


 固い、海へとその身体が打ち付けられる、その直前、よく知った温もりがゆきを包み込んでいた。


「待ってろって言っただろ」


 不服そうな声は、さっき式神を通して聞いた声と同じ、頼もしいあの人のもの。


 ああ、帰ってこれたんだ……!


 安堵から涙腺が緩み、視界がぼやける中、ずっと待っていた人の顔をその目にしっかりと映す。

 そこには、少し怒ったような、困った顔をした胡月がゆきをしっかりと抱きとめていた。


「絶対、受け止めてくれると思ったから」


 そういうゆきの声は震えていて、胡月はゆきの感じていた不安を察した。なんで言うことを聞かずに出ていった、なんで助けるからじっとしてろと言ったのに海に飛び込んできたのか、叱りつけたいことは沢山あったが、胡月はそれらを飲み込み、ゆきの細い肩をそっと抱きしめた。


「遅くなって悪かった」


 ゆきはその温かい胸元に身を委ねる。

 みんなのところに帰ってこれたんだ、そう思うと、やっと体の力を抜くことができた。


「ありがとう」


 胡月はもう一度強く抱きしめると、自身の背後に隠すようにゆきを海へとおろした。

 そこでようやく、胡月が海面の上に立っていることに気づいたゆきは、柔らかな波の揺れに足元がおぼつかず倒れそうになる。しかし、海の上に倒れることも、はたまた、海の中に沈んでいくこともない。むしろ、ゆきが倒れないように波がゆきを包み込んで、支えているではないか。


 どうなっているのかわからず、呆然とするゆきに、よく知った愛らしい声が聞こえてくる。


「ゆきちゃん、うみも助けにきたよー!」


 はっと、自身の足元に視線を落とすと、そこにはまんまるな黒い瞳が2つ、こちらを見てにっこりと笑っていた。


「海ちゃん?!」


 なんと、ゆきと胡月が立っていたのは、海面ではなく、妖怪の姿となった、海坊主の海の上だったのだ。

 海は海面から水飛沫を上げながら、むくむくと顔を出す。いつもの海坊主の姿とは比べ物にならないほどの、巨大な体はアダンらが乗っていた船をも飲み込みそうなほどだった。


「は?どういうこと?今のあんたの妖力じゃ、俺の術を破られるはずない……!」


 アダンは状況が理解できないようで、上空から胡月らを見下ろしたまま、慌てふためく。そこには思い通りにいかなかったことへの怒りも含まれているようだ。悍ましい闇の姿をした妖力は、とてつもない速さで周囲一体を包み込んでいく。


「くっ……動けん……!」


 船上の大妖怪たちも、その妖力の前にたじろぐ。呼吸ができなくなるような息苦しさを感じたゆきはそのまま動けなくなる。


 く、苦しい……。


 酸素を全て奪われたような苦しさに、ゆきは死への恐怖を感じた。こわばった身体が酸素を求めて、口を開く。しかし、煙のような闇がゆきの口を塞ぐように、息つく退路を断った。

 細い悲鳴が喉から上がりそうになった、その時、口を覆う闇が剥がされた。


「大丈夫だ」


 胡月の二本指がゆきの喉元へ当てられる。ふわっと淡い温もりを放ち、その温もりが全身を包み込んだ。

 その温もりは、薄い膜となってゆきをアダンの妖力から守る。息ができたことへ、ゆきが安堵の息をつくと、胡月はそのまま、ゆきを背後に隠しアダンへと向き直った。


「ーーーっ!」


 それはアダンにとって想定外の出来事であった。


 今日までに、脅威となるはずの胡月の妖力はとことん削っていた。それも数日で回復できないほどに。そうだというのに、目の前の胡月が飛ばした式神はアダンの結界を破り、その上、攻撃まで仕掛けてきた。

 そして、今、日本妖怪を喰らいその能力を高めたアダンの、圧倒的な妖力の中で、胡月らは何の制限もなく動くことができ、あまつさえ、ゆきに結界をはっているではないか。


 一体、どうなっているんだ。


 息を呑むアダンに、胡月はフンっと鼻で笑い、海の手から飛び上がる。間近に迫った敵に、アダンは傀儡を用いて攻撃を仕掛けるも、胡月の式神によって遮られる。


「妖力も残っていないくせに!なぜ動ける?!」


 胡月の式神を蹴散らしながら、アダンが空を飛ぶ。その後を自身の式神を足場に、胡月が追う。

 そして、アダンが蹴散らした式神は再び、魂を取り戻したかのように重なり新たな式神へと形を変え、アダンに襲いかかる。アンデットのごとく、妖力の攻撃を受けても復活を遂げる式神にアダンの混乱は増していく。


「狐の傀儡ごときが!なんなんだよ!」


 アダンの苛立った叫び声に、胡月が「自分の妖力に甘んじてたツケが回ってきたな」と相手を見下すように冷たく笑った。


 圧倒的な妖力の強さを持って生まれ、その強さのみで勝負をしてきたアダンは、己の強さを誇り、驕っていた。妖力の弱い相手を見極めて勝負をしてきた。


 今回も、勝てるはずだったのだ。


 妖力がほぼないはずの胡月が、何故アダンと互角に、いや、それ以上の力を放てているのか、アダンには理解できなかった。討ち払っていたはずの、胡月の式神がアダンの手足、そして、羽へとまとわりつき、バランスを崩す。


 胡月がその一瞬の隙を逃すはずはなかった。


「俺の家系までは遡れなかったようだな」


 胡月はそう言い放つと、右手の人差し指と中指に挟んだ紙をアダンに投げつけ、そのままその指を唇に当て呪文を唱える。式神に拘束されたアダンの額に張り付いた札は、たちまち白い光を放ちアダンを覆っていった。


「この力、まさかエクソシストの……っ!いや、妖怪が何故?!」


 光の縄にとらえられ、アダンが呻き声を上げた。身体を締め上げられ、捻り潰されていく。


 全てが、スローモーションのようにゆっくりと、胡月の術が確実にアダンを捉えていた。

 アダンは信じられないものでも見るように、目を見開いて術者である胡月を、困惑したその双眸でまっすぐに捉えた。


 妖怪が何故、妖封じの術を使っているのか。


 胡月はアダンの問いに答えるように、自身の尻尾を撫で上げ、強かに笑った。

 妖狐は妖狐でも、ただの妖狐ではない。そこにははっきりと9本の尻尾がふさりとその存在感を放っていた。


「九尾……?!まさか……!」


 息を呑むアダンに、胡月は最後の呪文を唱え終わると、額に汗を滲ませながらアダンに言い放つ。


「陰陽師の曾孫だよ」


 その言葉が手向の言葉であったかのように、眩い光がアダンを包みこみ、目も果てられぬほどの光を放つ。そして、その光がおさまった頃にはもう、アダンの姿は忽然と消えていた。


 それは、この最悪な西洋妖怪の企ての終焉を意味していた。

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