思惑
アダンは意識の失ったゆきを床に転がしたまま、電気を消すと扉の外側から鍵を閉めた。
ゆきの目覚める頃を見計らっての来訪、そして、意識を奪い結界を掛け直す、すべて予想した通りの、完璧なシナリオだった。
しかし、一点だけ、予想外のことが起こった。
アダンはゆきに欠けた呪いを思い出す。
日本国内にいるうちは、ゆきに手を加えるなというエドモンドの言いつけがあり、ゆきの精神そのものを変え、吸血鬼の支配下に置くという、彼ら独自の禁術を使うことができなかった。しかし、何らかの術を用いて、ゆきの行動をある程度制限する必要があった。
それも、ゆきの持つ能力が未知数だったためである。
彼らの本来の作戦では、胡月をエマの婚約相手にすること、それが当初の目的であった。しかし、それが困難となった今、彼らの作戦はゆきを絡めた複雑なものとなっていた。ゆきを攫い、ゆきを出しに胡月をおびき寄せ、捉えること、それがエドモンドの思惑であった。
女を政治の道具としてしか思っていない節のある彼は、以前も自身の娘たちを使って、西洋での地位を築いてきた。そして、今度は自分たちの国だけでなく、世界にも手を伸ばそうとしている。
鬼と妖狐、二つの妖力を持つ胡月は、エドモンドの求めていた、日本の最高の血、そのものであった。自身の又姪である、エマの夫として胡月を向かい入れ、最強の血をもつ子孫を作り上げようとした。
しかし、エドモンドの企みはうまくいかなかった。誤算が生じたのだ。
まず第一に九鬼家が胡月を婿とすることを拒否したこと、そして、第二にエマの妊娠出産にかかる妖力の負荷を考えたルネが、妖力の強い胡月との婚約を反対したこと。双方の意見が合致する形となった婚約話は、胡月ではなく虎徹へと移ったのだ。
妖力の強いエマが、無事に出産を終えて生きていくためには、妖力の弱い相手と子を成すこと、それこそがエマの生存率を格段に上げる方法であった。ルネは一族の強化よりも、大事な娘の生を取ったのである。
そのことが、エドモンドには不服であった。一族を強くするために、子すらもコマとして扱う彼には、ルネの親心が少しもわからなかったし、理解する気もなかったのだ。
その頃からエドモンドとルネは衝突することが増え、エドモンドは密かにルネから家督を奪う計画を立て始めた。そして、目をつけられたのがルネの息子である、アダンだった。
アダン自身、ルネの娘贔屓には嫌気がさしていたし、エドモンドの野心に興味があった。
ルネが築き上げたものを奪うよりも、エドモンドが築き上げたものを奪う方が、面白い。
そう感じた彼は、エドモンドの下について、彼の表の顔として家督を奪う計画に乗ったのだ。こうして手を組んだ2人は、まず、バレリ家の中で様々な衝突を生まれさせた。一族がバラバラになるよう、あることないことを吹き込み、エドモンドの派閥に入り、彼らに手を貸すものを増やしていった。
そして、西洋妖怪の今後のためにと、日本の妖怪との縁談を進めてきた、西洋重鎮たちと手を組み彼らにとって都合の良いように、好き勝手な行動を認めさせ、九鬼家との縁談を進めてきた。
日本に行き、何らかの形で胡月を拉致し、予定通りエマとの間に子を成すこと、そしてその子を支配下に置き、他国を脅かす道具とすること。世界が跪く、最強の妖怪になること、それが彼らの目的であった。
第一の障害であった、元バレリ家当主のルネでさえ、胡月を支配下に置いた時点で勝ったも同然であった。ルネを含むバレリ家の面々は、エドモンド達に手が出せなくなり、実権はエドモンドが握る。
胡月を拉致すれば、全てがうまく進むはずだったのだ。
しかし、日本で動き回った彼らは、胡月の妖力が思った以上に強いことを思い知った。正統法で胡月を捉えて精神を衰弱化し、支配下に置くことは難易度が高すぎた。また、妖狐としての相手を惑わす力は、吸血鬼の術を使ったアダンと互角、下手をすればアダンらが精神支配を受ける可能性があった。
その上、胡月にはゆきという花嫁を迎えたと聞き、もう正式に胡月とエマを婚約させることは不可能となった。妖怪達の中で、婚姻とは強く固い契りなのだ。
しかも、その婚姻がエマの婚姻を断った後に、異例の速さで行われたこと、それは何らかの事情を孕んでいることを示唆していた。
ここで、エドモンドの悪い癖が出た。日本の頭を張るくらいの、強力な妖怪の家系である、九鬼家が他に取られぬように急いで手に入れた花嫁には一体どんな力があるのか。絶対に何かがある、そう睨んだエドモンドはゆきも手に入れよう、と目をつけた。
対面したところ、ゆきの身には妖狐の気がまとわりつき、その妖力は未知数だったが、胡月や酒呑のような圧倒的な強さを持つ妖力は感じ取れなかった。その後、何度も傀儡たちを探りに行かせたが、強固すぎる結界のせいで全くその妖力を知ることはできなかった。
しかし、それだけ強固な結界で守られているということは、やはり特別な力を隠し持っていると言うことと確信したエドモンドは、アダンらとともに日本妖怪をけしかけて揉め事を起こし、西洋妖怪の手下たちを暴れさせ、その対応に追われる酒呑と胡月の妖力を、少しずつ着実に削っていった。
もっともうまくいったのは、抵抗のできない弱い日本妖怪を襲わせ、それを胡月に庇わせたことだろう。妖怪達の長として、彼らを守る胡月の真面目すぎるその性格を利用した、姑息な方法だった。
その甲斐もあり、胡月の妖力はだいぶ弱まってきた。しかし、その悪行がそろそろ日本妖怪の幹部達に伝わり、もう西洋妖怪の重鎮たちの手で誤魔化せないほどになった。外交問題と取り出される前に、日本を撤退する必要があった。
そして、これがその、ラストチャンスであった。運良く、ゆきをおびきだすことに成功したアダンは、彼女の皆無とも言える妖力に度肝を抜かれた。
こんな弱っちい、人間みたいなやつのために、彼らは必死になっていたのか。バカらしくなったが、すぐさま、その特殊性にアダンは気づいた。
底抜けの、何か妖力とは違う別の力が、彼女の中に眠っている。
眠っている状態の時でさえ、感じる、何者かの魂の存在にアダンは笑い出しそうになった。
ゆきは、その身にとんでもない化け物を飼っている、そう気づいたアダンは、その化け物が暴走せぬよう、彼女の身に抑圧の術をかけた。
そして、相手を眠らせる術は、すぐに解ける軽い物を。目覚めた彼女の魂を、観察するためにエドモンドの命を無視して、途中で術のかけ直しが必要な状態にしたのだ。
そして、その術に成功して、彼女の覚醒した魂を見ることに成功した。文献でも読んだことのない、初めて見る魂の形にアダンは興奮が抑えられなかった。
エドモンドは、このことをまだ知らない。狼である彼にはわからないだろう、これは、吸血鬼の目を持つアダンだからこそ知り得たことだ。
そして、このことをエドモンドに伝える気はさらさらなかった。ゆきを手に入れて、その身に眠る秘密を暴く、そんな面白いことをエドモンドに譲ってやる義理はない。
ゆきを出しにして胡月を捉える予定であったが、アダンにはもうどうでもよくなっていた。
胡月以上の価値を、アダンはゆきの中に見出していたのだ。




