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囚われの花嫁


 ーーーうっ……


 大きな上下の揺れが起こり、身体が地面に吸い付くように床へ倒れた。

 体へ走る鈍い痛みと共に、ゆきは幕の掛かった重い瞳をゆっくりと開ける。しかし、瞳に入る光は一切なく、瞳を閉じているときと変わらない真っ暗な世界が広がっていた。


 ここは……?そうだ、私、亜希さんと会って、それで……。


 直前の記憶を辿っていく。亜希の元へ行こうと、結界を出た瞬間、急に意識が遠のき、目が覚めたらここにいた。

 再び、地面が大きく揺れ、ゆきは床に強く叩きつけられる。


「地震……?」


 ゆきが何かに捕まろうと手を動かすが、その手がぴくりともしないことに気づき、そこで初めて手足が拘束されていることに気づいた。

 縄が何重にも巻かれ、自身で体勢を変えることすらできない。ゆきは縄を緩めようと、後ろに回された手を細かく動かすが、縄は緩まるどころか返ってしまっていく。


「無駄だと思うよ」


 声と同時に扉が開かれる音がした。微かな光が声の主を照らす。


「アダン、さん……」


 口にすると共に絶望がゆきを襲う。九鬼家がずっと警戒していた、西洋妖怪の1人がそこにいた。今の状況から薄々気づいてはいたが、彼の登場で、ゆきは攫われたのだと自覚せざるを得なかった。


「ふーん。君、面白い魂をしてるね」


 アダンはゆきに近づくと不躾にその姿を観察する。


「ねぇ、君って何者なの?ただの妖怪じゃないでしょ?」


 サーっと血の気が引いていくのがわかった。

 今のゆきは玉枝にかけてもらった強固な術もなく、どこで先祖返りとばれるかわからない。そんな緊張感が、ゆきの喉元を締め上げる。


「なんで……?」


 掠れた声が闇に溶けていく。なんで自分を拉致しているのか、私の何を見ているのか、聞きたいことは山ほどあった。ただ、狐に睨まれた蛙のように、体の自由が効かないのだ。まるで喉元を固められたみたいに。

 それが恐怖によるものなのか、はたまた、拉致された時に何かされたのかは、ゆきにはわからなかった。


 アダンは質問に質問を返されたことを特に怒る様子もなく、上機嫌でゆきの顎を持ち、その目を観察する。


「違う魂が混じってるみたい……ゴーストが人の体を乗っ取った時とは違う、君の魂にぴったりと何かが包み込んでる……あの狐はこんな面白いものを隠してたんだね」


 アダンはそう言うと、ゆきの顔を解放して、立ち上がった。足音が離れていく。

 

 違う魂……?何、どういうこと……?


 先祖返りのゆきの身体の中で、一体何が起きているのか。アダンの告げる内容は、ゆきの知り得ない、ゆき自身に起こっていることを知る糸口のように思えた。


 ぱちっと音がした途端、部屋に灯りが灯る。蛍光灯の光に目が眩み、ゆきはきゅっと固く目を瞑った。そして、恐る恐る瞳をあけ、光に慣れた瞳が周囲の情報をゆきへと届ける。


 ゆきが寝そべっていたのは、さまざまな機材が置かれた、物置のような部屋であった。


「うわー埃っぽいな。連れてきたのは僕だけどさ、よくこんな部屋にいるよね」


 アダンは服の袖口を口に当てて、咳き込む。アダンのいう通り、そこはしばらく放置されていたようで、清潔とは言い難い部屋だった。

 

「まあ、ここが1番結界がかけやすかったから、なんだけど。君が何者かは知らないけど、逃げ出そうとしても無理だからね。ここは檻の中、助けも来れないから、諦めることだね」


 ゆきの手首に手を伸ばす。拘束を解こうと暴れた箇所が赤く、血が滲んでいた。アダンはうっとりと酔いしれながら、その傷に爪を立てて身をえぐるように握りしめる。あまりの痛みにゆきは細い悲鳴をあげた。


「まだ日本の中だから、本当は危害を加えちゃいけないんだけど……まあ、いいか。ここで死にたくなかったらこれ以上暴れないでね」


 アダンはそう言うと、見せつけるように手についたゆきの血を舐めとる。ギラリ、と光った犬歯にゆきは息を呑んだ。


「きゅう、けつき……」


 血のように染まった瞳がにやりと細める。そして、見せつけるように、ねっとりと指を舐め上げた。


「君、やっぱり何か隠してるね。血の味が全然違う」


 口元についた血を親指で拭い、一滴も逃すまいと、味わうように舌で舐めとる。

 その姿はあまりにも、確固たる捕食者のもので、ここにいては殺されると、ゆきは初めて身の危険を悟った。


 ちゃんと言うことを聞いて、警戒していれば……。


 あれだけ、皆が手を尽くしてくれたのに、ゆきはそれを無駄にしてしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。ゆきは下唇を噛み、自身の無力さを呪った。

 そして、アダンが危険な人物だと再認識した途端、囚われる前の光景が脳裏に浮かぶ。最後に会ったはずの、ゆきにとって大切な人。

 ゆきは強烈な不安に襲われ、その名を叫んだ。


「亜希さん……っ!」


 ゆきがアダンに攫われたということは、亜希もアダンと接触をしているはずだ。亜希の、命が危ない!

 喉で何かが弾け、ゆきは堰を切ったようにアダンに問い詰める。


「ねぇ!亜希さんはどこ?!」


 必死で縋り付くゆきに、アダンは不思議そうな顔で「へぇ、自分で外せるんだ」と顎に手を当てて、興味深そうに観察する。まるで、被検体を観察しているような、ゆきに取り合おうともしない態度に、ゆきの焦りと怒りが沸騰していく。


「亜希さんに何もしてないでしょうね!もし、亜希さんに何かあれば……っ、あんたを呪ってやる!」


 狂犬の如く、ゆきはアダンに噛み付く。激しい剣幕に、アダンはますます面白そうに笑みを深めた。


「威勢がいいのは結構だけど」


 グッと、ゆきの髪の毛を掴み、うつ伏せになったゆきの顔をもちあげるように引っ張る。ギリリ、と頭皮に鋭い痛みが走り、ゆきは顔を歪めた。

 亜希の無事を確かめなければ、そう思うのに声は頭部の痛みに支配されて言葉が出てこない。拘束だけでなく、意識をも痛みを用いて支配されていることに、ゆきは悔しくて涙の滲む目でアダンを睨みつけた。


 アダンは冷たい、害虫に向けるような眼差しで、ゆきを蔑む。そして、一際、強くゆきの髪を引っ張ると、冷たい瞳がゆきの双眸を捉えた。


「君の命は、僕の手の中ってことを忘れないほうがいいよ」


 赤い瞳がゆきの目を射抜く。その瞬間、ゆきの体は固まり、声をも封じられてしまった。

 何か、体に異変が起こっている。ゆきは押さえつけられるような、目に見えない力に抗おうとする。しかし、鈍器で殴られた直後のような、鈍く強い痛みに意識を消し去られていく。


 まけたく、ない……!


 必死に睨みつけるが、どんどん焦点が合わなくなっていく。

 そんなゆきに失望した、と言いたげな視線を向けていたアダンは、掴んでいたゆきの髪の毛を放した。

 ガンっと、鈍い音が床にこだまする。


 ゆきを襲った物理的な痛みは、そのままゆきの意識をも奪い去っていった。

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