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歓迎されない花嫁


 一息つくまもなく、由依は時間に追われるように外出のための準備を整えた。

 どのくらいの期間、向こうの家に寝泊まりすることになるかわからず、引っ越し準備となってしまった。明らかに、前日に行う作業の量ではない。


 心の中で不満を言いながら作業するゆきの後ろを、今度は亜希が寂しそうについて回る。


「ゆきちゃん、ほんとに行っちゃうの?」


「許嫁…しかも、いきなり住み込みなんて…」


「まだ18歳よ……デートからはじめましょうよ?」


「早く帰ってきてね」


「やっぱり、寂しいわ…」


などと、悲しそうな瞳がずっとゆきのあとを追い、ゆきの手をさらに鈍らせた。


 ゆきだって本当は、亜希のそばにいたい。お産の時だってすぐそばで支えてあげたい。

 日に日に大きくなるお腹に、喜びと共に不安も大きいだろう。そんな大切な時にそばに居られないなんて…と、後半は無茶苦茶な祖父と九鬼家への恨み言を漏らしながら、夜がふけるまで作業を進めた。


 翌朝、家族総出で見送られ、家の前に停められた不釣り合いなほどの黒い高級車に乗り込む。九鬼家の家の使いらしいが、明らかにボディーガード然とした屈強な男2人に迎えられゆきは尻込みしつつ、おとなしく後部座席へとおさまった。

 窓から見える亜希達にぎこちない笑みを浮かべて手を振る。不安そうな顔をしていたら、亜希のためを思ってした決意が無駄になるし、何より九鬼家に舐められてしまう。


 ゆきが乗り込んだのを確認した九鬼家の使いは、別れのひと時など不要と言いたげに、エンジン音を響かせると、すぐに車を走らせ始める。心配そうに見守る亜希と信幸の姿がどんどん小さくなっていき、瞬く間に見えなくなる。ゆきを積んだ車はどんどん山奥へと入っていく。獣道なのか、車が激しく揺れ、ゆきは感傷に浸る間も無く生命の危機を覚え、必死に座席にしがみつく。生きた心地がしない。

 揺れる窓越しに、鳥居の下を車が通ったのが見えた。その瞬間、さっきまでの揺れが嘘のように、車内は静まり返り、ゆきは不思議に思いつつも周囲を見渡す。


 明らかに、今までと空気が違う……。


 自然に慣れ親しんだゆきの違和感は、森に根付いた息吹にあった。そこはあまりにも静かすぎたのだ。生き物の声が、呼吸の音が、全くと言っていいほどない。

 それは、ゆきが完全に相手の陣地に入ったということでもある。ゆきは決闘にでも向かうような勇ましい心持ちで、まっすぐに前を見据える。


 森の中に古い日本家屋の家が見えてきた。車はその目の前に止まり、助手席に座っていた大柄な男が丁寧な仕草で後部座席のドアを開け、頭を下げたまま男は動かない。

 ゆきは恐る恐る車から足を下ろす。地面を踏み締めると、徐に車の扉が閉じゆきが瞬きをしたわずかな間に、車は来た道へと走り出していた。いつのまにか、傍には雪が昨夜詰めた荷物が置かれている。


 完全に捨てられたみたい……。


 知らない土地に放り出されて、唯一、顔を合わした九鬼家の使いは二人とも去っていってしまったのだ。ゆきは不安を募らせるが、こんな山道を1人で引き返すことなどできず、目の前の家屋に視線を向ける。


 ここらへんの村の中で一番の名家と聞いていたが、慎ましい暮らしをしているようだ。こじんまりとした日本家屋は、古そうに見えるが丁寧に手入れされているのだろう、汚れた印象は一切受けない。

 九鬼家とは一体、どんな人なのか皆目見当がつかない。


 いざ、敵陣に参らん。


 ゆきは不安に膨らむ心を鼓舞し、玄関へと進む。砂利を踏む音が一際大きく響く。一歩踏み締めるごとに、ゆきの心臓の音がどんどん大きくなっていくのがわかった。

 玄関の前までやってきたゆきは、行き場の失った手を宙に浮かべたまま、眉を顰める。視線を彷徨わせるが、チャイムらしきものは一切見当たらない。仕方なく、声をかけようとするが、人の気配が全くしないことに、ゆきはまたもや不安を抱いた。もしや、無人なのではないか……?山奥の空家に1人きり、最悪の展開が脳内を駆け巡る。

 想像に揉まれ、どうするべきかゆきが頭を抱えた次の瞬間、音もなく玄関が開かれた。そして、外から見た何倍にも広そうな玄関口から、シャランシャランと鈴の音が近づいてくる。


「倉敷ゆき様、ようこそお越しくださいました。どうぞ奥へお上がりください」


 鈴の音のような軽やかな声が響き渡る。声のする方へ視線を向けるも、なぜだかその姿を目にとらえることはできない。無から声が聞こえてくる。


 そんなはずない……。


 心霊現象が脳裏に浮かび、慌てて消し去る。ゆきが見落としているだけだろう。荒れた心を鎮めようと、大きく深呼吸しながら注意深く辺りを見渡す。すると、いうことを聞かないゆきに、痺れを切らした鈴の根が急かすように告げる。


「旦那様がお待ちです。さあ、中へお進みください」


 音を立てて襖が開いていく。外から見たよりもはるかに広い室内には人影がなく、まるで襖が1人でに開いて行ったようだ。幽霊屋敷、その言葉が脳裏を掠め、ゆきは顔を引き攣らせる。


「いや、ありえない……」


 ゆきは不安に何ながらも、逃げ去ることができず靴を脱ぎ、鈴の音に言われた通り部屋の中を進んでいく。宴会場のような、長い畳の部屋を足早に通っていくと、大きな襖の前にやってきた。ゆきの到着を待ってましたと言わんばかりに、もったいつけながらゆっくりと襖が開いていく。


 ゆきの目の前にある大広間の奥には、赤茶の髪に大きな口を持った、ゆきの2倍はありそうなほどの大柄の男が、肘掛けのある大きなソファに深く座り、ゆきを待ち構えていた。


「ようきた、人の子よ。我は九鬼酒呑と申す」


 酒呑と名乗る大男は赤く燃えるような瞳でゆきを射抜く。心が野晒しにされたような、心許なさに、本能がこの男は危険だ、と告げる。

 逆らったらとんでもないことになる、そんな恐怖心が湧き起こるのだ。ものすごい気迫にゆきは圧倒される。


 ゆきは震えそうな手を硬く握りしめ、淡々とした口調を装い、「倉敷ゆきです」と頭を下げる。


 ゆきの気丈な振る舞いを気に入ったのか、酒呑は大きな口に弧を描く。


「慣れん土地で不自由かと思うが、よろしく頼む。まあ、気軽にパパとでも呼ぶといい」


 ぱ、ぱぱ?

 全くもって受け付けない、その二文字が宙を舞い、ゆきは思わず素で呆けてしまった。


 何言ってんだ、このおっさん……。


 渋く威圧感のある顔が、見るからに楽しそうにゆきを眺めている。そして、言葉を失ったゆきを急かすように、大袈裟にひとつ咳払いをして、期待満々な視線を送ってくる。この男とは全くもって初対面である。


「遠慮しておきます…」

 

 酒呑の期待に満ちた視線を軽く流し、ゆきは酒呑の隣に立つ少年に目を向ける。

 巻物に書かれていた、同い年の孫というのはきっと彼のことだろう。酒呑とはあまり似ておらず、線の細い美丈夫だが、不満でいっぱいとでも言いたげな無愛想な顔である。おまけに、酒呑に引きずられてきたのだろう、がっしりと腕を掴まれている様は大男に攫われた町娘のようである。何気なく少年の顔を見ていると、じろじろと見ていると思ったのだろうか、その視線に気づいた少年は不快そうに蔑んだ視線でゆきを見下す。


 何度でもいうが、あくまでも初対面である。


 見るからに婚約に乗り気ではない、そのあからさまな視線に、こっちも被害者だよ…と文句が出そうになるが、その言葉は空気を読まない酒呑の声にかき消された。


「こいつが倅の胡月だ。そなたの婚約者だな」


 その言葉に湯でも湧いたのか、黙って睨んでいただけの少年が、冗談じゃない!と吐き捨てる。


「俺はこいつと結婚する気はないし、この家を継ぐ気もない。さっさと人里に帰ってくれ」


 ちらりとゆきを一瞥すると、チッと舌打ちを漏らし酒呑に引き止められる前にとっととその場を去る。


な、なんなんだ、あいつ。



 あまりの拒絶にゆきは唖然とする。

 婚約が納得いかず、怒るのはわかる。それはゆきも同じだ。しかし、その怒りを相手にぶつけるのは間違っているだろう。こっちの立場は、あくまで九鬼家の下だ。嫌ならとっとと破棄すればいいものを。第一印象最悪、である。


 こっちだって結婚したくないし、なんなら倉敷家に手を出さないと約束してもらえるのなら今すぐにでも実家に帰りたい。


 あまりの歓迎ぶりに固まるゆきをよそに、酒呑はがははと笑いながらゆきの肩を叩く。


「すまんすまん、うちの長男はややシャイでなあ。まあ、一緒に暮らしているうちにアイツも丸くなるだろう」


 あれはシャイで片付けていいものか?

 酒呑にはどこ吹く風らしく、息子の言い分に特に気にした様子もない。

 ゆきはこれはチャンスなのではないか、とゴクリと唾を飲む。明らかに婚約を拒否しており、言質はとった。ゆきは緊張で痛む胸を堪えながら、酒呑に話しかける。


「あの……息子さんも乗り気ではないようですし、この話、なかったことになりませんかね……?」


 すっと酒呑から笑みが消え、周囲が冷気に包まれる。地響きのような冷たい声がゆきを貫く。


「それは無理な話だな」


 凍てつくような鋭い視線に背筋が凍る。失言をしたのだと、気づいた時にはもう遅い。


「この契約を結んでいるのは、あいつじゃなくて俺だ。あいつが何と言おうとゆきさんにはあいつの婚約者として、ここで暮らしてもらう」


 酒呑は周囲を圧倒していた冷気を消し、「頼むぞ、花嫁殿」と悪役然とした含みのある笑みを残し去って行った。

 ゆきは全身の緊張が解け、へたり、とその場に座り込む。酒呑、とは一体何者なのだろうか……尋常ではない冷や汗にゆきは震える身を抱きしめる。恐怖で足が震えていた。


 放心状態の頭の中で、酒呑の言葉がこだまする。この契約を結んでいるのは、あいつじゃなくて俺。つまりは、酒呑が婚約の約束を結んだということになる。しかし、ゆきが聞いていたのは祖父と友人であった、九鬼家の先代である。

 

 どういうことなんだろう……?


 何か、ゆきの知り得ない力が、ゆきと胡月の婚約に蔓延っているような気がした。

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