協力者
ゆきが攫われた。虎徹の放った烏達が胡月にそう伝えたのは、逢魔時を過ぎた頃、妖達の力が強くなる時間帯だった。
やられた。
あいつらが結界を破れるはずはないと思っていたが、どうやら読みが甘かったらしい。一体何が起こったと言うのだろうか。
フランケンシュタインの群れの相手をしている場合ではない。胡月は目の前の腕を蹴飛ばし、彼らの追手を逃れるように木々の中を走る。
知らせが届いて5分も経たずに、息を切らして帰ってきた胡月の目の前には、信じられない光景が広がっており、胡月は思わず歩みを止めた。
一体、どういうことだ?
胡月の目の前には、朝と何ら変わらない完璧な結界が張ってあった。虎徹の知らせが嘘であったかと思うくらいに、そこは何も変わっていない。
「兄さん!」
状況が飲み込めずに戸惑う胡月に、慌てて虎徹が駆け寄ってくる。
「ごめん、僕がついていながら……」
虎徹も状況が飲み込めていないらしい。顔を真っ青にしながら、謝罪の言葉を口にした虎徹を胡月は「謝らなくていい」と片手で制した。
「虎徹、いったい何があった?」
反省は後だ、今はゆきを助け出すことに最善を尽くさねば。真剣な胡月の視線に、虎徹は謝罪の言葉を飲み込むと、事の経緯を説明した。
「僕も詳しくはわからないんだ。海が気づいた時にはもう、ゆきさんは自分から結界の外に出ていっていたみたいで……」
「自分から?」
「うん。海の話では女の人の声が聞こえた途端、血相を変えて出ていったみたい」
あの馬鹿……!
胡月は思いっきり舌打ちをする。おそらく、ゆきの知り合いに化けて誘い出したのだろう。近くにいた海や虎徹が瞬時に気づけないほど、何らかの目眩しの術を使って自らの姿を隠した上で。
相手を欺くことに関しては、向こうが数倍上手だったらしい。
「ねえ、犯人ってやっぱりあの人たちなのかな……?」
彼ら以外あり得ない。そうわかってても、心のどこかで違うと信じたいと、微かな願いが手にとるように伝わる。和解して平和に婚姻を結びたい、そんな微かな願いが、今完全に立たれようとしている。
胡月はそんな虎徹の問いに答えられず、ただ、「今日は満月、やつらの力が増幅する日だ。早く何とかしないと、手遅れになる」と、その身が淡く光り妖狐の姿へと変化する。しかし、妖力不足による初の熱の影響か、その瞳は濁り毛並みも光を失っている。
すでに力尽きかけているその姿に、虎徹は言葉を飲み込んだ。もしかしたら、なんて言っている場合じゃない。
胡月は人差し指と中指を立て、唇に当てると、静かに風を起こす。風を使い、遠くの音を拾うその能力で、ゆきの居場所を割り出そうとしているのだ。
風が天高く渦を巻き、日本の国土、全ての音を拾う。風が宙で霧散し、胡月は静かに術を解く。
「だめ、邪魔をされている」
彼らはしっかりと詰めの処理を行なっていたらしい。彼らの居場所のヒントとなる欠片は、どこにも残っていない。その上、胡月らの捜索の手を阻むように、トラップのようにさまざまな術が使われているらしい。
そして、何よりも満月というのが厄介であった。彼らの妖力が強くなる、そんな奴らにとって絶好な日の上に、奴らの中には吸血鬼がいる。
吸血鬼は精神支配が得意な上に、血を吸った相手の精神を崩壊させて彼らの操り人形にすることもできる。
ゆきを攫ったということは、先祖返りについての知識をほぼ得ているとみて間違いないだろう。一般的に、先祖返りは子を産むために注目される場合が多い。しかし、それだけではない。
先祖返りの妖力の器としての役割は、婚約者、つまり番となったものの妖力を増幅させることができるのだ。
妖の妖力を、先祖返りにいれ、それを取り戻した時にその妖力が増幅される。生まれつき定まった妖力が、その方法のみで増幅させることができる、つまり、妖怪として強くなれる。
しかし、それは先祖返りにとって、生死に関わるほどの負担がかかる。先祖返りは、自身の生命力を用いて妖力を増幅させるのだ、大量の妖力を増やせば、生命力はなくなり死に至る。
それゆえ、禁忌とされてきたのだ。先祖返りを守るために。
しかし、やつらにそんな倫理観があるとは思えない。ゆきの死など、痛くも痒くもないだろう。死に至るまでの無茶はしなくとも、妖力増幅のために、吸血鬼の術で意識を奪われ、死ぬギリギリのところまで定期的に妖力を奪っていくかもしれない。まるで、飼い殺しにされた傀儡のように。
幸い、日本国内では国家間の問題が生じるため、表立って危険な術をかけはしないだろう。
しかし、一度彼らの国に入れば、もうあちらの自由だ。彼らを裁く法律などない。
急がないと、ゆきの身が危ない。
何とかしないといけないのに、手がかりが見つからない。闇雲に探していては、時間ばかりが取られて彼らの国に連れ去られてしまうだろう。そうなれば、今度は胡月らが反逆者的立場となってしまう。
くそっ……!
胡月が乱暴に頭を掻いていると、家の中から海が走ってきた。海坊主の姿となり、その目からは大粒の涙が流れている。
「ごめんなさい!うみのせいで……っ、ゆきちゃんが……」
胡月の足に絡みつきながら号泣する海を、胡月は抱き上げる。涙のせいですっかり小さくなってしまった、その体を優しく撫でてやる。
「大丈夫だ、ゆきは必ず俺が連れ戻す」
そうだ、連れ戻さなければならない。諦めるわけにはいかない。
胡月がそう決意し、顔を上げると頭上から「はっはっはっ」と恰幅の良い声が響き渡ってきた。
何事かと、海と虎徹をその身で守るようにしながら見上げると、そこには宙に浮かぶ酒呑の姿があった。
「え?父さん?!何で浮いてるの?!」
虎徹が驚き声を上げると、空から勢いよく酒呑が降ってきて、どすん、と地面が大きく揺れる。
落ちてきた酒呑も驚いたのか、「ぬわっ」と変な声をあげてよろけて尻餅をついた。
「おいこら、おいぼれ!急に落とすでない!」
酒呑を声を張り上げ、空を仰ぎ見る。
皆が酒呑の視線を追い、空を仰ぎ見て、言葉を失った。そこにいたのは、真っ赤な顔に長く先の曲がった鼻で、烏のような真っ黒で立派な翼をもった老人で、その人は紛れもなく、数十年前に隠居した大鴉天狗その人であった。