表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/41

自己犠牲的、罠


 ゆきが九鬼家に来てひと月と少し、季節はすっかり春めいていた。胡月が倒れた日からまだ数日しか経っていないというのに、妖界の混乱は収まるところを知らないようで、家に帰ってきているかどうかさえ怪しい。

 酒呑とは丸1ヶ月顔を合わしておらず、彼らへの心配は日に日に募るばかりである。


「家に帰りたいとか、言ってる場合じゃなくなったよな……」


 縁側から見える桜を眺めながら、ゆきは独りごちる。あんなに帰りたかった自宅なのに、今は酒呑と胡月の帰りが心配でそれどころではない。

 胡月が倒れたくらいだ、きっと2人とも無理をしている。虎徹も玉枝も家を守るために手を尽くしてくれている。


 初めは幼い海を守るためかと思っていた。自分は妖力がないから役に立たないし、仕方がないと割り切っていた。


 薄々違和感は感じていたのだ。虎徹は海のことを妖力が強いと言っていたこと、そして、胡月が倒れて日を境に海がゆきのそばを離れなくなったこと、それらが疑惑の根をどんどん成長させていった。

 最初は、胡月が倒れたことが不安なのだろうと思っていたが、どうやらそうではなくゆきのそばにいるように胡月に頼まれていたらしい。眠れぬ夜、たまたま廊下を歩いていたら虎徹と胡月が話しているのが聞こえてきたのだ。


 ーーー海は役目を守っているか?

 ーーーもちろん、ちゃんと目を光らせてるよ。


 その時は何のことかわからなかったが、翌る日、洗濯物を干そうと庭に出たゆきを、海が慌てて追いかけてきたのを見て、ハッとした。


 海がゆきのそばを離れないのは、決まって庭に出ようとした時。つまり、結界の境目に近づいた時なのだ。ゆきを結界の外に出さないようにと目を光らせること、それが、胡月が海に言いつけた役目なのかもしれない。


 そして、そのことはゆきが認識していた現状を大きく覆した。彼らに守られているのは、海なのではなく、妖力の持たない自分だけなのではないか、と。


 それに気づくと、もう自責の念は止められなかった。自分が厄介者で、彼らに苦労をかけているのだと、そう思わずにはいられなかった。

 花嫁として歓迎されていないのに、あんなに高熱を出してまで、胡月はゆきのために動いているのだろうか。酒呑も虎徹も玉枝も海も、彼らの生活に制限をかけているのは、ゆきの存在なのだろうか。


 ゆきは自身が人の迷惑になることが人一倍許せなかった。それはおそらく、ゆきに遠慮して自身の幸せを後回しにしてきた大人を、ずっと間近で見ていたから。


「私が外に出たらもとの平和に戻るのかな?」


 ゆきが来る前の九鬼家に戻るだろうか。もし、家にまでちょっかいをかけてくる妖怪がいても、自分以外の妖力のない者を気にせずに、返り討ちにできるかもしれない。

 そもそも、先祖返りの存在をバレたらいけないと言われていたし、バレないように玉枝に術もかけてもらった。それなのに、みんながゆきを守ろうと忙しくしているのは、バレてしまったからなのだろうか……。

 

 いつバレたのかはわからないけど、そう考えるのが自然な気がした。


 夕暮れがゆきの頬を染め、あたりは闇に包まれようとしていた。それはまるで、ゆきの心を反映しているかのように、どんどん気持ちが重くなる。


 どうしたら、誰にも迷惑をかけずに、全てを収束させることができるのだろうか。答えのわからない問いを、何度も心の中で繰り返す。

 反復する思考の中へ、ゆきが意識を沈めようとした次の瞬間、何かが目の前で音を立てる。


 カサッ……


 何かが近づいてきている。

 直感的に縁側から離れようと、後退りしたその時、信じられない声が聞こえてきた。


「ゆきちゃん?どこ?そこにいるの?」


 その声は、ゆきがよく知っている懐かしい声だった。ゆきは信じられないとでも言うように、震える声を無理やり絞り出す。


「亜希さんなの……?」


 言葉にすれば、もう、そうとしか思えなかった。亜希がここにいる。ずっと会いたかった亜希が。

 ゆきの声に反応して、声の主が歓声を上げる。


「やっぱりゆきちゃんなのね……!よかった!無事で……」


 涙を堪えた声にゆきは泣きそうになる。ああ、やっぱり亜希だ、ずっと会いたかった亜希だ。ゆきは亜希のもとへ駆け出して、早くその身に抱きしめられたかった。 

 

 ゆきの心のままに動き出しそうになる体を、理性が必死にブレーキをかける。ここはかなりの山奥な上だ。身重の亜希が1人で来れるような場所ではない。それに、妖が住む場所なのだ、人が自由に入れる場所ではない。


 溢れ出るゆきの疑問を止めるように、亜希の声がゆきに話しかける。


「なかなか帰ってこないから心配で……幸信さんにはダメだって言われたんだけど、やっぱり心配だったから。九鬼さんの家まで行ってみようと思ってタクシーで連れてきてもらって、ここまできたの。ただ、すごい山の中ね。迷子になっちゃって……」


 亜希がそこまで話すとふぅと、息を吐く。その声にはだいぶ疲労が混じっているようで、ゆきは疑惑よりも心配が勝ってしまった。山の中を歩き回ったのだろう、腹の子への影響は大丈夫だろうか。


「心配かけてごめんね。家の人に言って、休ませてもらえるようにするね」

 

 虎徹に頼んで、亜希を家の中で休んでもらえるようにしよう、と思い立つと、亜希が申し訳なさそうに「ごめんね」と謝る。


「森の中で変な外国の人に追いかけられちゃって、疲れちゃった」


「変な外国の人……?」


 虎徹を探そうとしていた足を止めて、ゆきは亜希の言葉を反芻する。嫌な汗が背筋を伝う。

 そんなゆきの嫌な予感など、亜希は知る由もなく「そうなのよ」とため息混じりに言葉を続ける。


「妖怪?がどうのこうのとか、捕まえろとかって言ってて、変なオカルト系の人かと思って怖くなって逃げてきちゃった。この辺って何か出るのかしら?」


 あっけらかんと言う亜希とは裏腹に、ゆきはパニックに陥っていた。


 もしかして、あの人たちのこと?!

 もうすぐそこまで来ていたのだ、そして、亜希がなぜか狙われている。


 なぜ?私と縁のある人だから?それとも……、


「私と間違えられた、から?」


 自分の言葉にゆきは真っ青になる。はやく、亜希を安全な場所に避難させなければ……!


「待ってて!すぐそっちに行くから!」


「えっ?う、うん」


 亜希の返事を待たずに、ゆきはもう庭へと降り立っていた。迷っている猶予はない。

 ゆきは庭に面した塀の向こうにいる。とりあえず、結界の中にはいれば安全だろう、とゆきは裸足のまま裏口の扉に手をかけた。


 言いつけを破ることになるが、致し方ない。海や虎徹を探している間にも西洋の妖怪たちはその魔の手を亜希へと伸ばすかもしれない。


 亜希を守れるのは、自分しかいない。


 ゆきは裏口から飛び出して、結界の外へ降り立つ。当たりを見渡し、塀のすぐそばに懐かしい亜希の姿があることを捉え、ゆきは安堵の息を漏らす。


 よかった、間に合った……!


 そのまま亜希の元へかけていく。早く結界の中に戻らなければ。亜希の手を取り、そのまま、結界の中へ戻ろうとした次の瞬間、ゆきの後頭部に鈍痛が走り、意識が闇の中へと堕ちていく。


 なに……?


 痛みと堕ちゆく意識の中で、何が起こったのか、確かめようと振り向くが、もう視界は狭まり、亜希の顔が崩れる。亜希を、守らないと……。そう思うのに、体は動かない。


 遠くで、海の叫ぶ声が聞こえた気がした。


 何が起こっているのか、確かめるだけの意識はもうゆきには残されていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ